Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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時代の青春像  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
2  “断絶の時代”といわれる現代は、世代間の相克の時代でもある。世代間の相克こそ、最も古くして、しかも生存の本源に絡まる問題といえよう。エネルギーの大きさからいえば、若者のほうが圧倒的に強大である。今日のわが国の人口構成も、昭和世代が七割以上を占めている。にもかかわらず、あらゆる主導権は、わずか一割前後の明治の世代に独占されているのである。
 その指導者の施策が、若者を犠牲に追いやろうとするとき、若者たちの憤りが、激しく巻きおこるのは、むしろ当然のことと思わなければなるまい。私は現在の世代間闘争の先頭に立つ学生の行動が、全部正しいとはいわないが、少なくとも指導者は、この若い世代の心情を、深い洞察力をもって理解すべきであると思う。
 青春には、青春にふさわしい、希望と夢を与えるべきである。彼らのエネルギーが、彼ら自身の未来の建設に向かって、存分に発揮されていくよう、指導者は、あらゆる英知を傾けるべきである。そして、若い世代が、すでに十分に主導権を握っていける分野に関しては、いさぎよく、タイマツを渡すことではないだろうか。
 次の世代を大事にする社会は、すでに未来の発展と繁栄を約束されているといっても過言ではない。企業においても、若年の人材が抜擢される企業ほど、活力があり成長が著しい。老人が、主導権を独占し、若者が、その下に逼塞しているような企業は、同じことをしても、内部から腐敗し、崩壊していくものである。一国家も世界全体も、この原理は、まったく変わらない。
 歴史の曲がり角において、新しい活路を先駆をきって拓いてきたのは、つねに青年たちであった。われわれは、過去の激動の時代を振り返ってみるとき、そこに躍動する青春の息吹を感ぜずにはいられない。現代が、人類文明史の巨大な転換期であるとするならば、現代において主役を占めるものも、また、青年でなければならないはずである。
 時代は、好むと好まざるとにかかわらず、青年の台頭を強く要請しているのだ。この青年のエネルギーを、正しく未来の建設と開拓のためにリードしていくには、いったい、何が必要かということこそ、すべてに優先して探究されねばならないだろう。

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