Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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わが師  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
2  会長となってからの先生は、事業から一切手を引き、創価学会の興隆と、日蓮正宗総本山大石寺への、信徒の代表としての責任遂行に、心身を削って励まれたのである。その間の事情についても、詳述すると、それだけで膨大な紙幅を要するので省略するが、並大抵のことではなかった。
 終戦後、ただ一人立ち上がられ、会長就任までに約三千世帯にし、就任後、なくなられるまでの七年間に、七十五万世帯にまで、学会を発展させられたのである。この一事が、先生の非凡な力と、想像を絶する苦闘とを如実に物語っていよう。
 一つの宗教団体を、かくも大発展させたことから、先生は、ともすれば、教祖的な人間であるようにみられがちであった。先生の言い分は「私は凡夫である」ということであり、事実、教祖的臭味はまったくなかった。お酒が大好きで、つねに、人と語りながら飲んでおられた。
 冗談をよく飛ばし、豪快に笑い、豪快に飲まれた。だが、そのために姿勢がくずれることもなければ、判断が狂ったこともない。大事な問題になると、姿勢も改まり、的確な指示が、矢つぎばやに下されるのが常であった。特に、ごまかしや、お世辞が大嫌いで、弟子にそんな点があると、鋭く見抜いて、たちまち百雷が一時に落ちたような叱声がとどろくのだった。
 冷徹な理性の持ち主であるとともに、偉大な感情家でもあった。しかもその底流には、どこまでも、その人を包容し守っていこうとする、広大な慈愛があった。厳しく叱咤した人については、あらゆる方面から援助や激励の手を打ち、皆が忘れてしまうぐらい年月を経ても、ご自身は決して忘れることがなかったのである。
 先生の弟子を養育する法は、つねに、失敗の根を、事前に摘みとっていくことにあったといってよい。私などは、しばしば、たいして理由もないのに厳しい注意をうけて、不審に思うことが多かったが――あとになって、実際に、何かの事件が起こってみて、初めて、先生に厳しく言われたことを思い出し、それが、取り返しのつかない失敗を起こさぬよう、重要な歯止めになっていたことに気づいたりする。
3  戸田城聖という、この一人の指導者を、世間は、宗教家、あるいは、組織家ととらえる向きが多い。私に言わせると、そのすべてを含んでいるが、どれかに限定されるものではないというのが真実である。あえて言えば、人間教育の師であり、人生の第一級の指導者であったというべきであろうか。
 先生のもとで、私は、十九歳から三十歳までの十一年間、薫陶をうけることができた。仏法のことはもとより、人文、社会、自然の諸科学、礼儀作法や、組織運営の問題、さらに、世界情勢の分析、判断にいたるまで、私が身につけたことは、すべて、先生から教わったといっても過言ではない。先生の教え方は、厳格をきわめ、文字通り、“叩き込む”という表現がピッタリなほどであった。
 もちろん、当時、教わったことは、一つ一つの知識としては、今では、あらかた忘れてしまった。ただ、先生が、私に教えてくださったときの物の見方、そして、日常の生活のなかでの思考法、といったものだけが、今も脳裏に深く刻みこまれている。先生は、決して単なる結果としての知識を教えるのではなく、つねに、なぜそうなのかという、考える術を重んじられた。
 アインシュタインも認めているように「教育とは、人が学校で学んだことをすべて忘れた場合に、あとに残っているところのものである」(井上健・中村誠太郎訳、共立出版『アインシュタイン選集3』所収)ということは、教育の大切な問題であろう。
 人の生を形づくる精神的な骨組みは、結局、個々の知識を忘却というフィルターで濾過して、捨てたあとに残るエッセンスなのではあるまいか――。
 「教育とはもっとも大きな問題であり、人間に課せられ得るもっとも困難な問題である」(『人間学・教育学』清水清訳、玉川大学出版部)という、カントの言葉があるが、戸田城聖先生は、この最大かつ至難の教育を能くなしえた、偉大な人格であった。
4  今日、大学は“駅弁大学”と言われるまで数もふえ、学生数も激増した。そうしたマスプロ教育の弊害は、教育界の苦悩となっているが、それは、なにも、現代という時代の問題にとどまるものではない。といっても、私は、大学紛争のもつ、時代的特殊性自体を否定するつもりは、さらさらない。教育そのものが、時代を超えた、難しい問題であることを指摘したいのである。
 本当の意味での教育――つまり、人間をつくる教育は、決して、学校教育のみではなしえないと思えてならないのだ。一個の人格をつくる教育は、天性の教師にのみ許されたものなのだと思えてくる。私は、戸田城聖先生という稀有の師に巡り会い、十一年間にわたる師弟関係を通じて、最高の人生教育を受けることができた。それが、どんなに感謝すべきことであるか、年を経るごとに、しみじみと感慨を深めずにはいられない。

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