Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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私はこうして苦闘をのりきった  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
4  現在は、無責任時代といわれるように、人の信頼を踏みにじって平然としている傾向がある。しかし人間社会が存続するかぎり、信頼感が根幹となることは真理であり、信頼を踏みにじった人が、社会の除け者とされ、敗れていくことは目に見えている。今は、いい気になって“無責任風”を謳歌しているようでも、最後は哀れという以外にない。
 信用というものは、積むに難く崩すに易いものだ。十年かかって積んだ信用も、いざという時のほんのちょっとした言動で失ってしまうこともある。小才で表面だけ飾ったメッキは、大事な時にははげてしまうものだ。
 苦難のなかを、まっしぐらにみずからの使命に生き抜く人こそ、最後にあらゆる人の信用をかち得るものではあるまいか。
 毎日、地味な、だれも見ていないような仕事であっても、それを大切にし、一歩一歩を忍耐づよく自己の建設のために進んでいく人こそ私は心から尊敬したい。
 信用が大事であるからといって、あまりにせせこましく、事なかれ主義におちいることは、青年として致命的な損失となってしまう。むしろ、若い時の失敗が、どんなに将来の基盤を作るうえに大切なことか計り知れない。ゆえに未完成を自覚して、自分らしく、勇気ある一日一日を過ごしてほしいものだ。
 イギリスの有名な小説家ゴールドスミスは、その著の中で「吾人の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなくて、倒れる毎に起きるところにある」と言っている。
 起きては倒れ、倒れてはまた起きる。失敗や挫折を知らない人生より、どんな絶望からも不死鳥のごとく立ち上がる「負けじ魂」の持ち主――そうした不屈の人生にこそ、最終章の勝利が輝くのだと思う。恐れるべきは失敗に「遭う」ことではなく、失敗に「屈する」ことである。
 一度や、二度の失敗でくじけることはまことに愚かだ。人生は、長い長い旅路である。途中で、いかに素晴らしい、華やかな人生を歩んでも、最後に不幸な、敗れた人生と化してしまったならば、これほどみじめなことはない。
 青春時代は、失敗すればするほど、新たなる人生、一生の幸福への基礎が築かれるのだと、勇気をもって進むことだ。
 さらに、失敗は失敗として、青年らしく、率直に認める大胆さと潔さが必要であろう。自己の失敗をみとめず他人のせいにするような卑劣なことは、絶対に避けたいものである。
 そして、その失敗の原因を、冷静に判断していく心のゆとり、それが次の価値創造の源泉となろう。
 青年が、ある一つの目標に向かい、努力していく姿は、最も力強く、最もすがすがしく、最も美しい。世界中のどこを探しても、青年の苦闘にまさる美しきものはない──。

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