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日蓮大聖人・池田大作

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私はこうして苦闘をのりきった  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
1  長い人生行路には、うららかな陽光を浴びた、春のような時もある。厳しい寒さと戦わねばならぬ厳冬の夜のような時期もある。苦闘時代とは、いわば人生の、冬の夜なのかもしれない。
 人によって、この苦闘時代を青春時代に迎え、それを乗りきって幸せな人生を生きる人もいる。青春時代を避けて、年老いてから、苦闘せねばならぬ人もいる。
 私の場合、若い世代に、できるだけ苦労を味わい、これを乗りきって、強い一生の土台を創りたいと願ってきた。だが、決して、何か他人と違った特別な苦労をわざわざして、特別な人間になろうなどとは、毛頭思っていない。今なお、私以上に、大変苦労をし、それと敢然と闘っている人は、世の中に数限りなくいる。
 ただ私も、多少の病苦、苦労があったために、他人の病苦や貧苦に対しても、人並みに心配するような人間になれたことを、心から感謝している。
 アメリカの詩人ホイットマンは「寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを感じる。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る」と言った。
 冬は、いつまでも冬ではなかろう。冬の苦闘のあとには、かならず春光を迎えるはずだ。
 苦難に負けてはならない。この時にこそ、あらゆる厳しさに耐えて、自己を鍛えることだ。むしろ冬の寒さを知ればこそ、春の陽光を、全身に喜んで享受することができるのではあるまいか。
 「汝の運命の星は汝の胸中にあり」と言った詩人もいる。
 自分の境遇がどうあれ、過去がどうあれ、未来を築きゆく運命の星は、ほかならぬ自分自身の胸中にあるにちがいない。
 嵐がこようが、怒涛が押し寄せようが、つねに汝自身が、厳然として光り輝いていればそれでよいのだ。私は、現在、幾多の苦難と闘っている若い人々に言いたい。今の苦難は、君たちの態度いかんで、君たちを飾る至宝にさえなるのだ、と。
2  前にも述べたように、私には四人の兄があったが、四人とも戦争にとられてしまい、いきおい残された私が兄の代わりをせねばならなかった。家は戦火に焼かれ、老いた両親は仕事に精出して、子供に苦労をかけないよう努力してくれたが、かわいい妹や、弟たちの面倒は私の肩にもかかってきたのだった。
 しかも、当時私は肺結核をわずらっており、自分自身の病苦との闘いに勝たねばならなかった。
 今日の、普通の家庭であれば、当然入院して、長期療養の身となっているところであろう。だが、戦争末期から終戦直後にかけての時代には、とうていそれは不可能なことであった。
 毎日が、本当につらかった。毎日夕刻になると、結核特有の微熱が出てくる。休みなく出るセキ……夜、床に臥しても、苦しくてなかなか眠れぬことがしばしばであった。
 医者は、二十三、四歳で終わりではないかと言ったことさえある。また、恩師戸田会長のもとで働くようになってからも、つねに心配をかけ、ある時は、あの体では三十歳までもたぬであろう、と恩師が親にもらされたという。
 だが、毎日激しい仕事でもやり通すよう努力していった。だからといって、私はなにも、無茶しなさいというのでは絶対にない。私の場合、逆に考えてみると、もしあれだけの緊張がなかったならば、自分の体は病魔に負けていたかもしれない。心から張り合いをもって勤める仕事があったことは、精神にも肉体にも張りを与え、健康に幸いしたとも考えられる。
3  『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスの言葉に「生命がある限り、希望はあるものだ」という一節がある。私も幾度か絶望し、死を覚悟したほど、悪化したこともあった。だが、そのたびに「まだ生命はある。希望はまだある」と自分を励ましてきた。
 世の中には、私以上の病苦と闘っている人がいくらでもいよう。それらの人々に心から訴えたいことは、絶対に病魔に負けないぞ、という、強い朗らかな心をもってほしいことである。
 これは病気に限らない。どんな場合の苦境であれ、かならずそれを開拓していくチャンスはあるということだ。つねに希望をもち、雄々しく前に立ち向かっていくことが大切だと思う。
 私は、昭和二十四年正月、二十一歳の時から恩師のもとで働かせていただいたが、連日の激しい仕事(雑誌編集)は、病弱の身にはつらかった。
 しかし、それがかえって、幸いしたことは、前述のとおりである。
 そのなかで、恩師はあらゆる面にわたって、厳しい訓練をほどこされた。ある時は百雷が一時に落ちたように、激しく叱咤され、ある時は、優しく、諄々と教えてくださったこともある。
 だが、根底には、深い信頼を寄せてくださり、どんな仕事でもできるような、立派な人間に育てようとの慈愛から出たものであることは微塵の疑いもなかった。だからこそ、私は、この人のもとで働けることに、無限の喜びを感じ、厳しい薫陶を苦しいとか、つらいとかいって負けたことはない。
 温かい、人間性の生きたつながりが、どれほど希望と、確信と勇気を与えてくれることか。今日の私があるのも、結局は、この絶対に信頼できる、偉大な師匠に巡り会えたことにあるといっても過言ではない。
 一般的にいっても、信頼感は、人間生活の最も大切な要件である。特に、青年にとって、仕事上の信用が最上の財産ともいえまいか。もし信用の蓄積のない青年であれば、かならずといってよいほど、敗残者になってしまうからだ。
4  現在は、無責任時代といわれるように、人の信頼を踏みにじって平然としている傾向がある。しかし人間社会が存続するかぎり、信頼感が根幹となることは真理であり、信頼を踏みにじった人が、社会の除け者とされ、敗れていくことは目に見えている。今は、いい気になって“無責任風”を謳歌しているようでも、最後は哀れという以外にない。
 信用というものは、積むに難く崩すに易いものだ。十年かかって積んだ信用も、いざという時のほんのちょっとした言動で失ってしまうこともある。小才で表面だけ飾ったメッキは、大事な時にははげてしまうものだ。
 苦難のなかを、まっしぐらにみずからの使命に生き抜く人こそ、最後にあらゆる人の信用をかち得るものではあるまいか。
 毎日、地味な、だれも見ていないような仕事であっても、それを大切にし、一歩一歩を忍耐づよく自己の建設のために進んでいく人こそ私は心から尊敬したい。
 信用が大事であるからといって、あまりにせせこましく、事なかれ主義におちいることは、青年として致命的な損失となってしまう。むしろ、若い時の失敗が、どんなに将来の基盤を作るうえに大切なことか計り知れない。ゆえに未完成を自覚して、自分らしく、勇気ある一日一日を過ごしてほしいものだ。
 イギリスの有名な小説家ゴールドスミスは、その著の中で「吾人の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなくて、倒れる毎に起きるところにある」と言っている。
 起きては倒れ、倒れてはまた起きる。失敗や挫折を知らない人生より、どんな絶望からも不死鳥のごとく立ち上がる「負けじ魂」の持ち主――そうした不屈の人生にこそ、最終章の勝利が輝くのだと思う。恐れるべきは失敗に「遭う」ことではなく、失敗に「屈する」ことである。
 一度や、二度の失敗でくじけることはまことに愚かだ。人生は、長い長い旅路である。途中で、いかに素晴らしい、華やかな人生を歩んでも、最後に不幸な、敗れた人生と化してしまったならば、これほどみじめなことはない。
 青春時代は、失敗すればするほど、新たなる人生、一生の幸福への基礎が築かれるのだと、勇気をもって進むことだ。
 さらに、失敗は失敗として、青年らしく、率直に認める大胆さと潔さが必要であろう。自己の失敗をみとめず他人のせいにするような卑劣なことは、絶対に避けたいものである。
 そして、その失敗の原因を、冷静に判断していく心のゆとり、それが次の価値創造の源泉となろう。
 青年が、ある一つの目標に向かい、努力していく姿は、最も力強く、最もすがすがしく、最も美しい。世界中のどこを探しても、青年の苦闘にまさる美しきものはない──。

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