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日蓮大聖人・池田大作

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私はこうして若い日を過ごした  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
1  だれでも、青春時代には、尽きせぬ思い出があるものだ。
 私もまた、青春を回顧するとき、限りない魅惑をおぼえずにいられない。そこには、逆巻く怒涛もあった。荒れ狂う暴風雨もあった。陽光に包まれた、豊かな田園もあった……。
 時として私は、一人懐かしい思い出にふけり、なにもかも忘れて、青春の世界を彷徨したりすることがある。もう少し、よい生き方があったと反省しながら……。
 私の青春は、戦争と切り離して考えられない。――終戦の年、十七歳の私は、胸を冒され、軍需工場を休んで、家で静養していた。五月ごろ、転地療養のため、身支度をしていた矢先に、大空襲で家も荷物も焼かれ、まったく前途は暗澹たるありさまであった。
 家族はといえば、四人の兄は全部兵隊にとられ、長兄はビルマで戦死していった。その知らせを受けた悲しみの母の顔は、今なお忘れることはできない。
 戦争は絶対にいやだ。いかなる理由にせよ、人類は、この愚をくりかえしては絶対にならない。私が小説『人間革命』の冒頭に「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」と書いたのも、あのとき以来、私の胸奥に深く刻まれ、強められた実感だったからである。
 終戦直後、私の住んでいた城南一帯は、一面の焼け野原となってしまった。だが、あれから、ずいぶん変わった。高速道路ができ、モノレールが走り、近くを新幹線も通るようになった。一方、工場が立ち並び、煤煙で空気も汚れ、工場廃水で海は濁っていく。その海も、埋め立て地が広がって、はるかに遠くなってしまった。
 以前、大森の海岸には海水浴場があったし、ノリの採取で有名でもあった。今では、海水浴などとうていできないし、ノリ業者も、次々と他の職業に移ってしまい、昔のおもかげはもはやない。
 最近、博物館でも建てて、昔、ノリをとるために使った道具を保存しようという運動が起きていると聞く。それにつけても、時代の急激な変貌を痛感せずにはいられない。
 しかし、変わった変わったといっても、それは外形のみの変化であり、人々の心まで、まるで変わってしまったと考えるのは、早計ではなかろうか。
 終戦直後の青春時代と、現代の青春時代とを比べたとき、たしかに大きく変わった面もある。だが、青春時代の生き方そのものにおいて、それほど変わったとは、私には思えない。私の青春時代もまた、きわめて青春らしい生き方であったとも思っている。
 青春を特徴づけるものは、躍動する若さであり、激流のごとき熱情であり、果てしなく広がりゆく夢であり、雪のごとき清純さである。まさに、青春は人生の華であり、かけがえのない珠玉といえる。
2  いつの時代にあっても、たれびとであれ、その青春時代の生き方いかんが、その人の一生を大きく決定していくともいえるだろう。
 しかも、短い青春時代である。もしも、未来に禍根を残すような青春を送るならば、それは自己の最大の財産を失うことになろう。
 ある富豪のいわく「自分に、もしふたたび青春を与えられるものなら、私は全財産を投げ出してもおしくない」と。
 また、アナトール・フランスは、軽妙な洒落で「もし私が造化神であったら、私は青春を人生の終わりに置いたであろう」と言っている。
 私の青春時代を振り返ってみて、現在、青年期にある人々のために、どうか、悔いのない青春を送っていただきたいと、心から叫ばずにおられない。
 人それぞれによって、生き方は千差万別である。
 決して、こうならなければならぬといった、固定した生き方はない。それでは、あまりにも窮屈である。
 だが、どの方向へ進もうが、どのような立場であろうが、つねに自分自身の、人間としての成長を忘れてはならないと思う。成長が止まれば、たとえ年齢的には、青年であっても、心はすでに老人になってしまう。
 私は青春時代、暇さえあれば、本を読むことに努力した。終戦直後のことで、本はきわめて乏しかった。あるときは岩波書店へ行って、行列をして、ようやく一冊の本を買い求めたこともある。
 したがって、手に入った一冊一冊の本は、きわめて貴重であった。これらの本を読むことが、楽しみであり、張り合いでもあった。
 生活苦と病弱と戦っていた自分にとって、ただ、読書だけは決して怠るまい、生涯、前進していくのだと、心に固く誓っていたつもりであった。
 私の恩師は、つねに私たちに、「青年よ、心に読書と思索の暇を作れ」と叫ばれていた。
 人は、よく暇がないというが、暇がないのではなく、心にゆとりがないのである。仕事に流され、環境に支配されたりしたのでは、自己の成長を忘れた姿といえまいか。
 青年が、なかんずく現代に生きる青年が、読書を怠ったならば、英知は錆び、正しい批判力は衰え、未来は暗黒となってしまう。
 読書は、なにも一部の人の専有物ではない。一工員であれ、一事務員であれ、常識豊かな社会人として、読書するのは当然なことであろう。しかも、なにも背のびして、特別なことをする必要はない。日常生活のなかで、地道に積みかさねていくことが、最も大切ではなかろうか。
3  一日二十分の読書が、一年つづけばどれほどの学者となり、教養となることであろう。
 ただし、読む本の選定は、きわめて大事であると思う。特に、人間としての生き方、人生の問題を深く掘り下げた、過去、幾万、幾億の人の共感を得てきた良書は、ぜひ読んでいきたいものである。
 人間の真の価値は、学歴や、地位や名声や、財産だけで決まるものではない。それを取りのぞいた、その人自身のもつ、人間としての実力、人柄、そして、つねに自己の建設を心がける情熱によって決まるといえる。
 力のない、福運のない人間ほど、虚栄に走り、虚飾で自分を包もうとするものだ。これほど苦しい、愚かな、悲劇であり、時として喜劇の人生はない。大切なことは、あわてず、倦まず、自分らしく、着実に自己の成長に励んでいくことだ。
 私は、読書とともに、音楽にこのうえなく心を奪われた。特にベートーベンの『運命』が好きだった。
 ゲーテは『運命』を聴くと、天井がグラグラ動く思いがすると述べている。また、ロシアのある文豪は『運命』を聴くと、勇気が胸中にわいてくると叫んでいる。
 私も、疲れたとき、苦難にぶつかったとき、この曲を聞いた。そのたびに、勇気がわき“よし、がんばろう。力の限り努力していこう”という決意が、五体にみなぎってくる思いがした。
 静かな音楽に聴き入るときは、大海原の深さ、広さに思いをはせる。そこからふたたび現実のさまざまな問題をば、冷静にみつめ、未来を考えるゆとりが得られた。
 激しい音楽を聴くときは、灼熱の太陽のごとき情熱がわき立った。そして、すぐにも飛びだして、活動したい衝動にかられたこともある。音楽にはまさしく宇宙のさまざまなリズムがあり、また、人生のあらゆる姿が秘められているように思えてならない。
 どのように激務がつづいても、音楽を聴くぐらいのゆとりはもちたいものだ。いや、激務なればこそ、音楽は、私たちに新たな勇気と、限りない夢と力とを与えてくれるのではなかろうか。私は、音楽に限らず、何か一つの趣味をもつことは人生にとって大切なことだと考えている。およそ趣味のない人は、幅が狭く、味気ないものだ。ただし、趣味に流され、生活を破壊していく行き方は、本末転倒であると言いたい。
4  青年は、過去に生きる人でもない。現在に生きるだけの人でもない。まさに、未来に生きる人である。
 アメリカの詩人ロングフェローは歌った。
 「死んだ『過去』をしてその死者を葬らしめよ! 行動せよ、生ける『現在』に行動せよ!」(大和資雄訳、平凡社『世界名詩集大成11』所収)と。
 哲人ヒルティは「生活はかならず不断の進歩であつて、既存のものの単なる反復であつてはなりません。最終の日まで、その日その日がまさに一つの創作なのであります」(『眠られぬ夜のために』草間平作訳、岩波文庫)と。これらの詩人、哲人の至言にふれるとき、強い感動が大波のうねりに似て心に脈うち、青年らしく生き抜こうと努力したものである。
 青春には苦しいこともあるが、希望が輝いていることも事実だ。つねに未来に希望をもち、成長していく人こそ、真に青春を謳歌している人生といえまいか。
 シラーのいわく「太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く」と。
 私が、どう苦しんでいようと、病んでいようと、国が破れようと、太陽はつねに輝いていた。私の心の底には、踏まれても、押されても、希望の芽がすくすくと伸びていた。希望とは、一人の人間における太陽のようなものかもしれない。

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