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日蓮大聖人・池田大作

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“人生に負けてはいけない”  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
4  それから数年にわたって、先生のお宅や、朝早く会社で、個人教授が始まったのである。法律、政治、経済、物理化学、天文学、漢文といった科目を、外国語を除いて、あらゆることを懇切に教えて下さった。先生は、御自分のなかにある、すべての学問を、私に移そうとさえしたのである。
 恩師の学問の道は、自ら研鑚されたものであった。北海道の小学校を卒業すると、札幌で丁稚奉公をしながら、小学校準教員の資格をとり、夕張の炭山の小学校で教員となり、さらに正教員の資格をとられている。十九歳で上京し、生涯の師・牧口常三郎先生に巡り会い、夜間中学に編入し、旧制中学四年修了の検定試験に合格し、後に中央大学に学んだ。
 このようにほとんど独学といってよい。恩師にとって、学校は資格をとるために必要であった。特に数学には造詣深く、時習学館という学習塾を盛大に経営し、また受験参考書として一世を風靡した、戦前のあの戸田城外著『推理式指導算術』は、当時百万部のベストセラーであった。今の年輩者には、この書を懐かしむ人も多いことと思われる。
 さまざまの学問の外に、最も精魂こめて教えられたのは、仏法の生命哲理であった。仏典や日蓮大聖人の御書をつぶさに解説しながら、現代思想との対比において教えられたのであった。学会再建における御自身の活動、日常生活の一切が、先生の命がけの教授であったと、私は今つきぬ思いに駆られるのである。
 私もまた、先生の厳しき薫陶に、懸命になって堪えた。そして一切をわが身に受けたつもりである。逝去寸前まで叱られどおしの不肖の弟子ではあったが――。
 今日、凡々たる私が、戸田先生亡きあと、創価学会を継ぎ、その使命とする広宣流布という空前の事業の中に生きられるのは、一瞬といえども、戸田城聖先生が私の脳裡から離れることがないためである。私の人生における最大の幸福は、戸田城聖という生涯の師に巡り会い、師弟の道を貫くことができたことである。

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