Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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一枚の絵  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
3  生命の永遠の輝きというものは、このような青春の、純粋な持続にほかならぬと思うからである。歳はとるであろう。これは誰人も、どうしようもないことだ、今、青春を乱舞している、すべての人も。しかし、精神は老いたくない。円熟などと、ごまかす人生を、私は送りたくない。生命の真実の姿は、滅、不滅を現じつつも、永遠に不変であるはずである。
 私の事務をとる会館に、一枚の絵が懸かっている。私の好きな、東山魁夷の作品である。それは、デンマークの「鹿の園」の橅(ぶな)の森の中の『青い沼』という絵だ。
 自然の風景が、みずから訴える抒情を、見事にとらえた、稀有な名手を、東山魁夷のほかに、私は知らない。この絵の、風景が内包する確固たる生命の美しさというべきものが、静かに、深く、私に語りかけてきて、いつまでも飽きないのだ。
 いかなる一本の木も、氏の手にかかると、一つの性格さえ帯びて、そのすがすがしい瑞々しさを発散する。
 『青い沼』の橅の太い幹は、静まりかえって、青く澄んだ水面に、じっと黒い影を落としたまま、樹の生命を、鮮明に語っているようだ。そして、この一枚の風景画のなかにも、風景と、画家との万物肯定の対話が息づいている。温かく、静かで、感動にみちた画家の心までが、脈打って生きているのだ。
 一つの風景の個性を、その内包する生命でとらえるとき、それは宇宙に通ずる雄弁となることの実証とさえ、私には思える。仏法でいうところの「海印三昧」という、思議すべからざる境地は、おそらく、このような境地であるかもしれない。
 一枚の絵について語ろうとして、つい二枚の絵を語ってしまった。その罪は私にあるのではない。東山魁夷の一枚の絵が、強引に発言を求めて、きかなかったからである。

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