Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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一冊の本  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
3  このように詩人の眼には、新世界に躍動する森羅万象が、躍動するままに映った。
 彼は新世紀のいそがしい詩人であった。――山や河や海を歌い、原野や都会の一隅まで歌わねばならず、人間となると老若男女を問わず、農夫や鉱夫や労働者や、水夫や奴隷や娼婦まで歌いあげていった。さらに、暗殺された大統領や、挫折した革命家や、苦闘する開拓者や、戦争で傷ついたものや、夫を失った妻、わが子を失った母をも慰め、勇気づけていったのである。そして船や機械や摩天楼まで歌わなければ承知できなかった。
 一個の宇宙人は、曇りない愛の衝動を信じて、自由と平等とを、民衆に頒ち与えるために、十九世紀のアメリカで懸命に歌いつづけて、この世を終わったのである。
 敗戦後の占領下にあって――一人の貧しい青年であった当時の私は、この詩集とのめぐり合いを、今は懐かしく感謝している。私は、そのころの騒然たる灰色の風景のなかで、この書によって、未来を展望する術を知った時、感動は愛着に変わった。私は好きな詩をいくつも暗誦し、深夜家路をたどる時など、思わず小さな声で朗誦しさえした。ある時は、疲れた体を、神宮外苑の芝生の上に投げ出し、手にしたこの詩集に読み耽った秋の日もあった。――今も、この本の中に、黄ばんだ銀杏の葉が三枚はさまれている。
 『草の葉』は私の青春とともにあった。いや、この詩集に青春があったのであろう。勇気も、未来も、熱情も、青春が必要とするすべてのものが、詩人の祈りとともに、この一巻にあったといってよい。
 今、静かに思う時、ホイットマンの出現は、その当時、異端の詩人と思われたにちがいない。だが、彼の最初の唯一人の理解者があった。エマーソンは、彼の詩を「太陽光線」として讃嘆して、手紙を書いておくったという。原始の太陽から、厚い雲間を通して、強烈清澄な光線が、地上に達した思いがするのは、私一人ではないはずである。この詩によって、私はたしかに温められ、今日の使命に自信をもった。
 この詩集の出現から、はや百年が過ぎさっている。だが、ホイットマンみずから歌ったように――「仲間よ、これは書物ではない、これに触れる者は人間に触れるのだ」(同前)ということであろう。私にとって、生涯忘れがたい一冊の本である。

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