Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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年輪  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
2  このような社会の一年、一年が、もし年輪というものに現れ、樹木の年輪のように鮮明に刻まれるとすると、今年の年輪は、どんな曲線を描いて残ることになるであろうか。おそらく、社会の年輪は美しいどころか、二目と見られないものとして残るにちがいない。深い苦悩を刻んで、支離滅裂な、いくつもの乱線が残ることは確かだ。
 そこへいくと、樹木の横断面に浮かぶ年輪は、どんな樹の年輪も、すべてそれなりに美しい。幾年もの風雪に耐えて、生きぬいた樹の生命の懸命な営みが、生成変化の歴史を、同心円状に年輪として残し、なんともいいようのないコクのある曲線を描いている。この年輪は、体細胞分裂の生成変化だ。細胞の粗密の差が、年ごとに一つの円状の曲線を加えていく。この曲線をつくるものは、環境の四季の変化だ。細胞分裂の旺盛な春や夏には、曲線をつくらない。秋から冬になって、細胞分裂は不活発になるが、緻密になり圧縮されて鮮やかな曲線をつくる。年輪は、樹の生活のすべてを語っているのだろう。円周の曲線が、こまかい波を打っているのは、日々の生活の痕跡だ。
 ところが、この四季の変化のないところでは、年輪はほとんどつくられないということになる。温帯から、熱帯に向かうにしたがって、年輪は徐々に不明瞭にボケてきて、熱帯にいたると、まったくなくなってしまうことが多いそうである。してみると、年輪は浮世の星霜の辛酸をつぶさに語っていることになる。
 気候の急変による不時の異変や、虫害のひどい影響をうけると、年輪は一年に二つの曲線さえつくるということだ。これを偽年輪といって、専門家の風土に関する研究対象となる。つまり、何年には、どういう異変が、自然界に起こったかをハジキだすことができるそうだ。つまり、年輪とは、まことに正直なもので、その正直さが一種の風格をおびて、美しくさえ見えるのであろう。
 人間にも、当然年輪があるべきはずだ。だが、それらしき明瞭なものは人体のどこにも現れない。二枚貝にも、年々曲線が描かれ、魚の鱗にも成長線が年ごとに加わるが、これも一種の年輪であろう。そんなものさえ、人体には残らない。強いていえば人相の変化だ。しかし、それとて樹木の年輪を思わせるような立派な、美しい人相には、滅多にお目にかかれないのはどうしたわけであろうか。
3  このことに気のついた人が、リンカーンである。彼は言った。
 ――四十歳を過ぎた人間は、自分の顔に責任をもたなければならない。
 この言葉は、今では言い古されて、手垢のついたものとなった。しかし、リンカーンの、あの鬚面をしみじみ見ると、この言葉の意味が分かってくる。彼の顔には、たしかに年輪のもつ風格と、その美しさが現れているようだ。長い年月の風雪に立派に耐えて、それを乗り越えたような美しさが見える。これは気のせいではない。たしかに年輪の顔である。
 また、トルストイの青年時代の写真と、晩年の写真を見くらべてみてもよい。青年トルストイの顔は、天才であったかもしれぬが、後年にくらべて、なんとも凡俗である。それが、老人になるにしたがって、気高い相貌をそなえてくる。自分の顔に責任をもった顔だ。たしかに、人生の年輪を語っている確かな顔である。円熟しようなどとヤニさがった顔では決してない。懸命に生きて、老醜をいささかものぞかせぬ顔である。
 人間の年が、人体に現れるところといえば、どこよりもまず顔であるらしい。それから脳味噌の皺であろうか。この皺は、年輪のように立派であるにちがいない。脳味噌は、ちょっと覗けないが――顔ならいつでも見ることができる。顔の皺などは、年輪の曲線にあたるかもしれない。しかし、多くの場合、皺は老醜を思わせる。皺の美しい顔が、年輪をそなえた稀な顔ということになるだろう。
 一九六八年の地球の年輪を考えているうち、いつか人生の年輪の話に落ちた。
 四十歳を超えた責任ある方には、新しい年を迎える前に、ご自分の顔の年輪を、しげしげと鏡に映してみるのも一興と思うが、いかがなものであろうか。――わが人生の真の年輪はいかに、と。
 人のことばかり言っていられない。昭和三年生まれの私も、はや四十歳を超えようとしている。

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