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日蓮大聖人・池田大作

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プラハの秋  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
1  一九六四年十月――秋の一日、私はチェコスロバキア社会主義共和国の首都プラハにいた。ちょうど、東京でオリンピックの幕が切って落とされた時である。それは、私の初めての東欧旅行の途上でもあった。
 まずパリからプラハに向かったのであったが、飛行機が「チェコ航空」であったので、飛行機のなかは、すでに東欧の一角であったわけである。飛行機は、出航時刻を過ぎても、どうしてか一向に出発しない。四十分も遅れたころ、チェコ政府の高官らしい人物が三人乗りこんできた。そして、その三人が多くの乗客を睥睨しながら悠然と席についたとたん、飛行機は直ちに滑走路を滑り出した。ノボトニー政権下の高級官僚の権力は、国際航空線の出航を四十分遅らせたのである。
 プラハの町は暗かった。古都の面影が暗い印象を与えたのかもしれぬ。しかし、パリからみると、道行く人々の表情が妙に暗い感じがしてならない。なにか目に見えぬ力に押さえられておびえてでもいるように、笑いを忘れた一種の仮面の表情をおびている人もいた。戦後の新生社会主義国の表情としては、意外なこととして、私の眼には映ってきた。
 ヤルタ・ホテルに落ち着いて、喫茶室に行ってみると、一台のテレビをかこんで黒山の人だかりである。――ブラウン管は、東京オリンピックの開会式の模様を中継放映中である。黒山の人たちを見ると、半分以上はどうみても宿泊人ではない。明らかに一般市民であった。一般家庭でのテレビの普及は、はなはだ貧しいにちがいない。東欧第一の工業国も、市民生活の低さをおのずから物語っていた。
 私がプラハにきた目的は、富士大石寺の正本堂建築の資材買い付けが主であったから、早速、散歩かたがた品物を見るだけでもと、街に出た。まず、チェコの誇る伝統のガラス製品、なかでも素晴らしいシャンデリアで、正本堂の天井をなんとしても飾りたかったからである。ところが、夏の観光客が買い漁った後のためか、どの店に行っても、気にいったものがなく、所期の目的は果たせなかった。
 私は残念だった。翌朝早く、朝食前であったが、私はひとりホテルを出ていった。肌寒い朝のプラハの街を行くと、ある家の石の壁に「東京オリンピック」の、例の宣伝ポスターがはられていた。私は、思いがけない懐かしさで、ポスターの前にたたずみ、はるかに旅情を味わっていた。ふと気がつくと、背後に一人の長身の青年がいる。白面のなかに淋しげな瞳をした二十五、六歳の青年であった。私はオリンピック記念の百円銀貨を持っていたことに思いつくと、一枚を青年に与えた。彼は五輪のマークを見つけると、オーッと、小さな叫び声をあげながら、朝の光のなかで、明るい笑顔をみせた。
 青年はポケットをまさぐりながら、「いくらか?」とセカセカきいてきた。「君にプレゼントするのだ」と言うと、青年は信じられぬ表情をした。私の一片の好意がやっと通じた時、青年の顔は、みるみる変わって、小児のような無垢な笑顔を現出した。この瞬間の、はげしい変貌に、私は驚いたのである。――この青年は、自由な挨拶にすら飢えているのであろうか。なんと孤独な市民であろう。してみると、チェコの市民生活は、裏面に暗くとざされた、油断のならぬ権力の支配があるのかもしれぬと、ふと私は考えた。
 忙しい日程で、私たちは一泊しただけでプラハを後にしてハンガリーに向かった。だが、プラハの秋の、この一日は、鮮烈な思い出として、今も私の脳裏に焼きついている。
2  先日、チェコ全土へのソ連の武力侵入という、突発ニュースを耳にした時、私の頭に真っ先に浮かんだのは、プラハの朝の、あの善良な青年の顔であった。数日すると、新聞にソ連の戦車の上に飛びあがってチェコの旗を振っている青年の写真を見た。あの無垢な笑顔をかくした哀しそうな青年は、どうしたことだろう。怒りに燃えた表情で、戦車の前に座りこんでいったかもしれない――チェコの人々の哀しみだけは、異様な強さで私の胸に訴えてきたのである。
 私は先年の東欧旅行を終えてから、チェコや、ハンガリーに無関心ではいられなかった。一昨年の秋、チェコの作家ムニャチコの『遅れたレポート』の訳書が出た機会に、それを通読して考えていた。
 この、一九六三年に発刊された優れた実話小説の短編集が、わずか千三百万人のチェコ国民のなかで、たちまち三十万部のベストセラーとなったことを知って、チェコの言論の自由の闘いの根強さに感銘を深くするとともに、この短編集の国民への影響が、どんな形で現れていくか、私は、その動向をじっと見守っていた。果たして、ノボトニー政権は倒され、ドプチェクという無名の指導者が現れ、チェコ自由化の路線は、今年初頭からにわかに加速度を増した。路線の先駆者は、いつも作家同盟であり、先頭にはためく旗は、つねに「言論の自由」である。
 まず、事実を事実として公言できる言論の自由の基礎の上に、政治、経済などの一切の改革を推進しようとしたところに、こんどのチェコ自由化の特質があった、と私はみている。ソ連はこの「言論の自由」の威力が、社会主義国においては、原子爆弾より恐ろしいことを知って、恥も外聞もなく、武力介入に出ざるをえなかったのであろう。
 人が、事実を知りながら、事実を事実として語る自由をまったく奪われ、嘘ばかり語って暮らさなければならない一生を送るとしたら、人間の精神は恐るべき変調をきたすことは当然である。人は、このような言論の抑圧にどこまで堪えられるか、過去の歴史は、数々の権力者の愚行を語っているにすぎぬ。そして、愚行の集積のゆえに権力者は滅び去るのである。
 現代の多くの資本主義国は、なるほど事実を事実として語る自由をもっている。しかし、権力者たちは、言論の自由を操って、嘘をまことしやかに語る自由さえ満喫しているようである。社会主義国は事実を事実として語る自由をもたない。が、そのうえに、権力者たちは公然と嘘を語る自由を、言論の自由としているようである。だれが考えても、どこかがたいへん間違っているのだ。この間違いが、今の地球上の数十億の民衆に、不幸をもたらしている根源だ、と気づくならば、人間は言論の自由を死守することが、どんなに人間生活の幸福に必須条件であるかを悟るだろう。
 『遅れたレポート』は、社会主義国建設という夢みる理想の下にあって、どんなに多くの正直者が馬鹿をみ、嘘つきどもが権力の座に安住したかを、事実を事実として語っているにすぎぬ。チェコの賢い民衆は、言論の自由のありがたさを大切にして、数々の矛盾の解決に、初めて歓喜をもって努力しはじめたところである。現代の世界をおおう嘘と真実との接点の発火が、こんどのチェコ事件ということになるだろう。
 火はくすぶったようにみえる。賢明なチェコの民衆は、賢い闘いをするために、涙と汗とを流しているにちがいない。プラハは今、秋たけなわのはずである。

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