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日蓮大聖人・池田大作

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宇宙と人生  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

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2  つまり、人の一生も、一つの生命が胎内で誕生し、出生して、青少年時代の「成劫」を経、次に成長を終えた人生の壮年時代の活動は「住劫」にあたる。そして、老年期から「壊劫」にはいり、死をもって終わる。死後の生命は、宇宙のなかに溶けこんで「空劫」という状態になる。さらにまた「成劫」へと流転する。――天体生命の四劫と、人間生命の四劫とは、持続時間に天文学的数字の差はあろうとも、原理とする四劫の法則は、なんら変わりのないものと思えてならない。
 このような生命観は、宇宙即我、我即宇宙という生命哲理の根本原理を確立するに至った。しかしながら、この大原理は数千年のあいだ科学的実証のない直観にすぎないものとして、放置されてきたのである。
 ところが、二十世紀となって、科学者たちの手によって、徐々に実証されつつあるものは、奇しくも仏法の宇宙観に、きわめて近づいてきているように思われるのである。二十世紀初頭から三十年あまりというものは、科学者、なかんずく物理学者にとって、まさに激動の時代であったといってよい。まず、アインシュタインの相対性理論は、空間と時間について、古典的なニュートン力学の概念を革命的に変更したといえよう。したがって宇宙観にも変革を与えた。次いで量子論に至って、原子や原子核の構造から、天体の運動や、生成過程にまでも、新しい目を開かせたのである。
 二十世紀の理論物理学の激変は、現代天文学に打撃的な影響を与えることになった。「恒星進化論」は、要するに、成住壊空の四劫を論証するものであるし、ガモフの「進化宇宙論」に至っては、原始物質が爆発して膨張し、重力の作用で星雲の誕生を促すことを論証している。宇宙が神の天地創造でないことは、はや疑問の余地なく、天地創造説の宇宙観は、まったく光を失ったといってよい。それにひきかえ、生命というものを基盤として直観した宇宙観は、二十世紀に至って、灰のなかから不死鳥のごとくに甦ったということができよう。科学は、徐々に仏法の生命哲理に、それとは知らずに近づきつつあるのである。おそらく二十一世紀文明の開花は、科学の偉大なる進展とともに、生命の世紀ということになるであろう。
 月の兎の話から、柄にもなくとんだ飛躍をしてしまった。だが、私としては宇宙観の変化は、現代の人間の人生観に、はなはだ大きな影響をもたらすということを言いたかったまでのことである。やがて宇宙旅行が珍しくない宇宙時代を迎えるようになったら、地球上の残虐な戦争などは、隣家との垣根で境界争いをしているみたいなバカバカしいことだと、きわめて自然に思えてくるだろう。また、いずれは壊劫の時代もくるというのに、今、原水爆を使って地球を破壊することは余計なことだと、正気になって考えることになるだろう。
 現代科学の宇宙観は、四劫の入口まできたようだが、この四劫が無始無終・永遠にわたって、繰り返されるという宇宙観までは、達していないようである。
 ――宇宙の運行というものは、これ、ことごとく慈悲である、と言った先哲があった。このような宇宙観即人生観というものも、やがては理解される時がくるにちがいない、と私は思っている。

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