Nichiren・Ikeda
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「子供の庭」のこと。人間化の季節 池田…
「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)
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7 私にとりまして桜花の四月は、忘れられない月であります。この四月二日に、恩師の戸田城聖先生が逝去されたことにもよります。恩師のことは、これまでもたびたび記させていただきましたが、この四月が感慨と決意を新たにする特別な月であり、このような緊張と発心の日をもったことを、今にして深く感謝しています。桜が咲き散るごとに、あらたな思いにつつまれ、次の前進を誓いつつ、今日までまいりました。
この四月二十日、私どもの「聖教新聞」が創刊されてから二十五周年を迎えました。この記念日に寄せた一文に私は「新聞は日々新しいものであるが、いたずらに新奇さを追うものではない。スクープ(特ダネ)からスコープ(広い視野)へ――といわれるのも時代の要請なのであろう」と書きました。この一年間、井上さんとの往復の書簡を交わしあうことが、私自身のスコープを拡大する機会でもありました。
ことのほか言葉のイメージを大切にされる井上さんが、書簡という形式の制約にもかかわらず、折にふれて、率直な心境を明かされていらっしゃったことに感謝いたします。抑制された清冽な文体とともに、この一年間の経験が、私自身の胸奥に深く刻みこまれていることを、今ありがたく思い知るのであります。どうか、尊貴な人間と警醒の文学のために、ますます御自愛あられんことを心から祈念しております。
一九七六年四月十九日