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日蓮大聖人・池田大作

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春・ヨーロッパの旅 井上 靖  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

前後
2  今年はこうした日本の春の歩みの美しさを、特に心に滲みるように感じております。二月下旬から三月の初めにかけて、丁度梅の咲いている時季を、慌しくヨーロッパの旅で過してまいりましたので、日本のおだやかな自然の動きが堪まらなく美しく、有難いものに感じられます。
 ヨーロッパの冬は、こんどの旅で初めて知りました。たいへんな寒さであろうと、寒さのほどは覚悟して参りましたが、ロンドンでも、ストックホルムでも、ハンブルグでも、この冬初めてとか、何年にもないとかいう暖かさに見舞われ、東京に居るのと変りない冬の旅を続けることができました。
 ハンブルグでは一日だけ陽が照り、二月に太陽の光を見るのは何年にもないことであるということでしたが、やはりその翌日は、街は暗鬱な灰色の空に覆われてしまいました。雨も降らず、雪も降らないのに、冬の間ずっと陽光とは無縁な生活をしなければならぬとは、厄介なことだと思いました。
 ホテルのロビーの窓から見ると、着ぶくれた男女が、みな申し合せたように俯向いて、石畳の道を歩いておりました。何も考えないで歩いているのか知りませんが、私たちの眼には、誰もが自分ひとりの思いの中に入って、重い足を運んでいるように見えます。これはハンブルグだけのことではなく、ストックホルムでも同じような街の情景でありました。誰も彼もが、冬の間はじっと我慢して、明るい陽光の降る春の到来を、ひたすら待ちに待っているかのように見受けられました。
 ヨーロッパの北の国々に較べますと、冬でも、天気さえよければ、毎日のように太陽の光に恵まれる日本は、なんと有難い国であろうかと思います。そうした国に生れた若者だからでありましょうか、どこへ行っても、日本の若者たちの旅行の集団を見掛けました。何となく日本という国のエネルギーがはみ出して、渦巻いているような感じで、いいことにも、またその反対にも受け取れますが、やはり冬でも陽の照る日本という国の恵まれた自然が無関係ではないように思われました。本当はエネルギーといったようなものではなく、自然の恩恵に馴れた大胆さが、日本の若者たちを動かしているのかも知れません。
3  ロンドンを初め各地で、そこで働いている多勢の日本人の前で講演をしました。講談社と日本航空共催の講演会でしたが、聴衆はおどろくほど真面目で、話をしていて、何とも言えず気持のいいことでした。日本国内での講演会には多少のぎわつきは免れ得ませんが、こんどの講演会場では、そうしたものは一切感じられませんでした。
 講演のあと、控え室で何人かの人から質問を受けましたが、その質問もまた、非常に真面目なものでした。勤めの関係で何年も外国で暮している人たちは、例外なくものを考える人間になっているように思われました。人生について、人間について、信仰について、そして日本という国について、考えなければならぬことがいっぱいあるように見受けました。異国の人たちの間で、そして日本とは全く異った自然、風土の中で生活するということが、生きる上のたくさんの問題をそうした人たちに与えるのでありましょうか。
 それはともかくとしまして、冬のヨーロッパの旅から早春の日本に帰りまして、日本の自然を美しく思い、有難く思い、そしてその美しく有難い自然の国が、ロッキード事件というふしぎなことで、国を挙げて大揺れに揺れているのに驚きました。異国にあって日本の国のことを考えている人たちが、どのように戸惑い、悲しんでいるかと思うと、心痛むものがあります。
4  私のことばかり認めて参りましたが、お手紙で創価女子学園の卒業式の模様を詳しく承り、久しぶりで卒業式だけの持つ明るい思いの中に浸ることができました。第一回の卒業生をお出しになって、本当におめでとうございました。
 池田さんや、すばらしい校長先生たちによって送り出された第一回卒業生の娘さんたちにとっては、今年の春はどのように明るいものでありましょう。卒業した娘さんたちのある者は実社会に出、ある者は高等学校へと進んでゆくのでしょうが、いずれにせよ、今年の春は彼女たちの生涯の中での特別なものであるに違いありません。
 また私のことになり、恐縮でありますが、私自身、過去を振り返ってみると幾つかの特別の春を持っております。一つは旧制高校の四高へ入った年の春で、今でも金沢の町や兼六公園に散っていた春の陽光のすばらしさを忘れることはできません。
 唐の時代に進士試験に合格できた老受験生孟郊が、
5   春風意を得て馬蹄疾し
  一日見尽す長安の花
 と、彼の生涯に於ての特別な春について詠っております。長安の花というのは牡丹で、桜ではありませんが、春の陽光を浴びて騎乗の人となっている老人の姿が眼に浮かんでまいります。卒業の日も、入学の日も、試験に合格した発表のあった日も、生涯での特別な日であります。
 高等学校へ入った年の春も明るく心に刻まれておりますが、私の場合、なお二つ、特別の春があります。一つは昭和十二年に大陸で病を得て白衣のまま帰還し、一カ月大阪の陸軍病院で療養生活を送り、そして自由の身になって四月初めの明るい陽光の中に送り出された時であります。多勢の戦友はまだ大陸で野戦生活を送っているのに、自分だけが自由の身となって春の光の中に立つことができたのでありますから、無条件で春の明るさを楽しむというわけにはゆきません。しかし、それはそれとしまして、その時のただわけもなく明るい春の光は生涯忘れることのできないものであります。
6  もう一つの春は、終戦の翌年の二十一年の春であります。まだ敗戦の生々しい傷口は到るところに大きく口をあけております。駅々には大陸からの帰還兵がたむろし、闇市は気狂いじみた賑わいを呈し、金の価値は日々変動しております。依然として食糧は不足しています。そうした病んだ国土と、病んだ国民の上に、ひどく明るい春の陽光が降り注いでおります。誰もまだ使い方を知らぬ″自由″と、何となく脆弱さを感じさせる″ヒューマニズム″という言葉が、毎日の新聞のどこかに見掛けられる頃であります。しかし、この年の春は何と言っても明るかったと思います。私は大阪でこの明るい春を迎えました。空虚ではありましたが、やはり特別な春の明るさであったと思います。
 その後、特に明るいと言える春は経験しておりません。池田さんのお手紙によって、何のよごれもない、本当の意味での明るい春のお裾分けを頂いたような気持で、女子学園を卒業なさった娘さんたちの明るい春が、彼女たちのこれからの生き方に繋がるように心から祈らずにはいられない気持であります。
7  お手紙で、池田さんが教育を最終の事業と決めていらっしゃることを承ってたいへん心強いものを感じました。それから教育上の革命が、経済や政治の変革よりも、更に奥深いところで人間を変えてゆくというお考え、これまた、そうしたお考えに対して心強いものを覚えます。
 私は政治や経済には門外漢で、その人間をよくも、悪くもするぬえのような得体の知れぬ大きな力に対して、それを云々する自信もなければ、見当もつきませんが、教育という問題だけには大きな夢と期待を持ちたいと思います。現下の教育という問題においては、関係者がそれぞれ真剣に考えて立ちむかっているに違いありませんが、いろいろな望ましくない現象が現われております。
 私が一番困ると思うことは、試験、試験で若い時代を埋めてゆく現在の進学制度であります。確かに少数のエリートだけは選び出されますが、他の大部分の若者は自ら自分が非エリートであることを自覚せざるを得ません。一級大学に進めば、それで一生が決定するというような考え方も困りますが、実際に若い人たちはそのように考えているようです。エリートという言葉は、何とも言えず軽薄な嫌な響きを持っていると思います。
 それから試験、試験の慌しさが早くも小学校時代から始まっているというのも困ります。こうした塾に通ったり、家庭教師についたりする少年少女を見ていると不憫で堪まりませんが、どの親に訊いても、例外なくそうしないわけにはゆかないと言っております。
 それからもう一つは、教育というものの本質的問題で、池田さんがお考えになっておられ、とうに実行なさっておられることでありますが、教える者と教えられる者との心の触れ合い、これがなくては教育というものは意味をなさないと思います。知識というものを金で売ったり、買ったりしているような現在の大学の在り方は、何とかならないであろうかと思います。
8  御繁忙の日々、くれぐれもお体を大切になさいますように。
 一九七六年三月二十五日

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