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日蓮大聖人・池田大作

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老人問題・龍のこと 井上 靖  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

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2  それにつけましても、老人問題が気になって参ります。孤独な老人が、誰も知らないうちに、一人住まいの家で亡くなっていたというような事件は、このところ屡々新聞に報じられております。人間にとって、老いというものがやって来ることは免れ得ぬ運命であります。誰もみながやがては老いを迎えなければなりません。肉体も老い、精神もまた老いてまいります。しかし、老いは免れ得ぬ人間の運命ではありますが、あらゆる老人が、死の瞬間まで、それなりに青春の姿勢を持ち続けることができたら、言い換えれば、生きる張りを失わずに老いの時期を過すことができたら、どんなにいいことでありましょう。
 パリでも、ニューヨークでも、公園のベンチで、一人でパンをかじっている孤独な老人の姿を見掛けます。一生働いて、生き、子供を育てた人間の晩年が、あのような孤独な姿であっていい筈はありません。日本はまだ家族制度の名残りが遺っていて、公園にぼつんと一人で居る老人の姿は見掛けませんが、多かれ少かれ、世界中の老人が、生きる張りを失った孤独な姿に置かれているのが実情のようであります。
 老人に対する社会保障制度が最も発達しているのはスエーデンであるとされています。実際にストックホルムの町など歩きますと、老人が出歩いているのを多く見掛けます。老人たちは喫茶店でお茶を飲み、レストランで食事をとっています。誰の厄介にもならないで食べて行けるので、そうした気持が彼等の表情から卑屈と老醜を奪り上げていると言っていいかと思います。しかし、老人が所在なさそうに、ふらふらと町を出歩いている姿は、やはり淋しいものです。夕方になると、市の中央にある王宮ローヤル・パレスの裏手の石畳の広場に、老人たちはどこからともなく集って来ます。夜というのに帽子を持ったり、ステッキを持ったり、なかには酒を飲んで赤い顔をしたりしているのも居ます。しかし、白夜の淡い光の中に浮かび上がっているこうした老人の姿は、やはり何とも言えず淋しそうであります。スエーデンは、国で老人たちに宿舎と、食べる金を与えています。ですから働かなくても食べることができ、子供たちの世話になる必要はありません。その替り、よくしたもので、子供たちも親たちの世話をしなくてもいいという気になります。
 社会保障制度が最も完備している国ではありますが、老人の自殺はこの国が一番多いと言われております。生きている限り、一様にみな食べることができ、特別な苦労もない替りに、特に楽しむこともないといった生活を与えられた場合、ただそれだけでは、人間というものは、生きて行く上に大切な何かを失うのでありましょうか。老人問題の解決に、社会保障制度が大きい力を持っていることは言うまでもありませんが、しかし、それだけで総てが終るものでないということは、スエーデンに老人の自殺者が一番多いという一事が、これを明らかに物語っているかと思います。
3  池田さんのおっしゃる″生涯青春″であらねばならぬという考え方は、老いも、若きも持たなければならぬと思います。老耄ろうぼうに冒された場合は別ですが、そうでない限りは、青春の姿勢を、死の瞬間まで崩すべきではないでありましょう。しかし、こうしたことは、一朝一夕にできることではなく、青壮年期をそうした姿勢で貫いて来て初めて、老いてもなお、それを望み得ることであるに違いないと思います。
 私もまた″生涯青春″を心掛けようと思いますし、実際にまた心掛けて来ております。二、三日前、ある親しい人から原稿用紙に短い文章を綴るように求められました。
 ――幼い者たちが凧を持って馬事公苑に出掛けて行って静かになると、思いは自分のところに戻って来る。今自分はもう凧を揚げるために、凍てついた広場にも、田圃にも出掛けて行くことはない。揚げるべき凧も持っていない。しかし、何かを揚げなければならない、そんな思いがやって来る。凧に似たものを、高く揚がるものを、烈風の中に舞い、奔り、狂うものを、高く揚げなければならぬと思う。
4  こういった文章を書きました。これは今年の正月元日の感懐であります。いつかこうした思いを持ってから、一年が過ぎ去ろうとしています。そして、この思いは今年の正月元日ばかりのものでなく、やがて来る新しい年の出発の日のものでもありましょう。
 今年は、凧に似たものを烈風の中に高く揚げようと思いましたのに、つい果しませんでした。しかし、高く揚げようという気持は持ち続けて来たと思います。来年もまた、同じことを繰り返すことでありましょう。生涯青春、生涯青春、――たいへんすばらしい言葉を頂戴した思いであります。
5  池田さんは、来年一月二日で、四十八回目のお誕生日をお迎えになるとのこと、辰年にお生れになり、こんどで五回目の辰年をお迎えになるわけで、一層の御健康を祈って、心からお祝いの言葉を差し上げたいと思います。いよいよこれから生涯で最も稔り多い時期に、力強く、大きく踏み込まれることを期待してやみません。池田さんのこれまでの歳月が、いかに多難であれ、それが充実していたように、これからの半生もより一層充実したものであることを信じて疑いません。そうした決意のほどがお手紙の文面から立ち昇っているのが感じられて、たいへん気持よいことでありました。
 池田さんのお生れ年である辰、――龍という想像上の動物は、私もまた一番好きなものです。その龍の姿では、火焔を吐いて天に昇る姿が好きです。
6  昨年九月に中国を訪ねました折、南京の紫金山天文台で、簡儀という名で呼ばれている天球儀を見ました。天球儀というのは星の位置を探る機械ですが、中国では二〇〇〇年前に初めて造られ、それを元時代に郭守敬かくしゅけいという天文学者が改良し、二人の人間が同時に同じ星を観測できるものにしました。それが簡儀であります。三個の銅製の車輪を組合せ、それにやたらに鎖の纏いついた、爬虫類の骨格のような奇妙な形をしたもので、骨格にはどれも飾りの銅製の龍が巻きついておりました。私は簡儀を見た瞬間、その頗る複雑異形な天体観測の機具に強い魅力を覚えました。天体の星の位置を探る精妙な機械に、想像上の動物である龍が巻きついていたからであります。
 私が天文台を訪れたのは、もちろん昼間でしたが、もし夜そこを訪れ、上に星が一面にちりばめられてある夜空が拡っていたとしたら、その時は龍は口から火焔を吐いているのではないかと思いました。もちろん、これは私の詩的な空想に過ぎません。しかし、天体の神秘を探るのに、中国の天文学者が龍の力を借りて、その応援を得て、それを為そうとしている、そういう簡儀設計上の構想は、なかなか棄て難い、心憎いものだと思いました。四十八回目の誕生日を迎えられる池田さんのお仕事もまた、その傍で火焔を吐いて天を窺っている龍に守られていることでありましょう。
 お手紙の中に山西省の″龍門″のことが出て参りますが、今年の五月の中国旅行の折、私もまた″龍門″の名を冠した洛陽郊外の龍門石窟を訪ねております。
 私が訪ねた龍門の方は、伊水の流れを挟んで、両岸の岩山にたくさんの石窟が営まれておりました。石窟は、いずれも北魏の洛陽遷都から唐の玄宗の時代まで、五世紀末から八世紀中葉まで、二百五、六十年間に開削かいさくされたもので、記録に依れば一三五二の洞窟、七五〇のがん、三九の石塔といった規模雄大なものであります。今はその何分の一かを見ることができるだけでありますが、これらの龕や窟が供養のために寄進されたものであることを思うと、今更のように信仰の力の大きさというものに思いを致さざるを得ませんでした。往古の人々は仏像の安置する大小の館を刻む場所を、龍が誕生する烈しく美しい流れの畔りに選んだのでありましょうか。
 向寒の硼り、御自愛専一の程祈り上げて、ペンをおきます。
 一九七五年十一月二十三日

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