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日蓮大聖人・池田大作

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穂高のこと・鉄斎のこと 井上 靖  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

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5  それから、もう一つ、胸を打たれたことがあります。それは八十七歳から八十八歳へかけての短い一時期の仙境画が、多少趣を異にしていることであります。巨大な岩山が仙境の舞台になり、楼閣は描かれてありますが、どこも人の姿は見出せません。無人の仙境であります。水の流れは岩の上を奔り、急湍きゅうたんになったり、滝になったりしています。月の夜などを想像してみると、さぞ凄いであろうと思われるような、そんな荒涼たる仙境であります。こうしたことから考えると、八十七歳から八十八歳にかけての短い時期の鉄斎は、何か心の内部に荒涼たるものを持っていたとしなければなりません。この二年ほど前に鉄斎は子息を失っておりますので、そうしたことが関係していたかも知れません。しかし、これは私の単なる推量に過ぎません。
 そして、この時期を過ぎて、最晩年のおだやかな、華やいだ明るい画境へと移って行くのでありますが、こうなると、一体、鉄斎が仙境という名で描いていたものは、果して理想郷であったろうか、こうした思いを持たざるを得なくなります。八十九年の長い生涯の、その時点、時点に於て、鉄斎は仙境というものに託して、偽らず自分の心を描いていたのかも知れません。その時々で、その志を、怒りを、悦びを、悲しみを、それぞれにふさわしい仙境という箱の中に盛っていたのかも知れません。私は鉄斎のおびただしい数の仙境画を、改めて見直さなければならぬ思いにさせられました。
 いずれにせよ、鉄斎の晩年の作品をある程度纏めて見たことは、私にとってはたいへんいいことであり、今年の事件である許りでなく、生涯の事件と言っていいものかと思います。
 つい筆のおもむくままに、鉄斎のことを、これまたながながと認めてしまいました。しかも読み返してみますと、甚だ意に満たないものになっております。先に記した″小論″なるものをお目にかけ、その上で足りないところを補って頂くほかないかと思います。御諒承下さいますように。
 一九七五年十月十八日

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