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日蓮大聖人・池田大作

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カントの言葉・若い人たちのこと 井上 …  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

前後
2  お手紙の中に、大学の近くに萩の庭を開園なさったこと、そして萩の小さい赤い花、白い花がお好きだと書かれてありましたが、私も萩の花を、あの咲きこばれた時の可憐さ、清楚さを格別なものに思っております。軽井沢の仕事場の周囲にも、自然に生えた萩の株が何本かあり、夏の終りになると、いつ花を着けたともなく、庭の片隅で、ひそやかに自分の小さい生命をかざしております。軽井沢に人が少くなり、夏の騒がしさが収まった頃を見計って咲くこの花の咲き方には、心にくいものを感じます。
 白楽天の詩「琵琶行」に、「楓葉荻花ふうようてきか秋索々あきさくさく(或いは瑟々しつしつ)」という一句がありますが、荻花は、日本の萩花であるようであります。長安(現在の西安)附近では多少萩の咲く時期が遅く、秋の気が索々と更けて行く頃になるのでありましょうか。
 日本でも、万葉時代の人は萩の花などを挿頭かざしにする習慣があったと、お手紙にありましたが、私も先年日本の古歌の中から萩の花を取り扱ったものを拾い上げてみようと思ったことがあります。しかし、未だにそれを果しておりません。京都御所の清涼殿の西側に萩壺があります。一度、萩の咲く頃拝観したいと思いながら、これもまだ果しておりません。四方を建物で囲まれた小さい長方形の壺庭に白砂を敷き、そこに萩の株だけを置こうとした美的構想は、何と言っても日本独自のものであり、そこに日本の古い心を感じないわけにはゆかないと思います。変な言い方になりますが、萩がお好きだということを承って、わが意を得たような思いになりました。
3  お手紙によって、宇宙開発の人工衛星や、月面車、液体ロケットエンジンといつたものが、ソ連御訪問の友好の記念として、ソ連から贈られ、それが滝山祭の催しに展示されたことを知りました。そしてそうした現代の科学技術の最先端の成果というべきものに対して、いろいろな感慨をお洩らしになっておられましたが、私もまたそうしたものに対して、それからまたお手紙をお認めになったあとに行われたソユーズ宇宙船とアポロ宇宙船のドッキング計画の成功といったことに対して、池田さんと同じように、いろいろな複雑な思いを持たずにはおられません。
 どのような形のどのような器機か、写真で見ただけではよくは判りませんが、どうか人類の大きな幸福のために役立つ神の席だけが設けられてあることを、祈るような気持で願わずにはおられません。
 私は高等学校の学生の頃、カントの『実践理性批判』の中の言葉を、友達の一人から教えられました。
 ――ああ、いかに感歎しても感歎しきれぬものは、天上の星の輝きと、わが心の内なる道徳律。
 友達がこれと全く同じ言葉を日から出したかどうか、その友達が故人となっている今、それを確かめる術はありませんが、私がその時から今日まで、時折その友達の顔といっしょに憶い出す言葉は、このようなものであります。
 昨年、長く私の心の中で生き続けていたこの言葉を、岩波文庫の『実践理性批判』(波多野精一、宮本和吉、篠田英雄訳)によって、正しく補わせて貫いました。
 ――それを考えること屡々にしてかつ長ければ長いほど益々新たにしてかつ増大してくる感歎と崇敬とをもって心に充たすものが二つある。それはわが上なる星の輝く空とわが内なる道徳的法則とである。
 二つを較べてみると、四十余年前の友達の言葉は、原文の重々しく長い文章を、短く、簡単に縮めてありますが、それほど大幅に訂正する必要はなさそうであります。あるいは大切なところで、カントの言葉は、私の友達によって歪められ、間違ってしまっているかも知れませんが、受け取る側の私にしてみると、二つの言葉から与えられるものは、大体同じようなものであります。ああ、いかにして感歎しても感歎しきれぬものは、天上の星の輝きと、わが心の内なる道徳律。――私の場合は、これで充分であります。
 この友達によって示されたカントの短い言葉は、当時、カントが何か、哲学が何か、知識と言えるような知識は持ち合わせていなかった理科の学生であった私の心を捉えました。捉えて放さないといった、そんな捉え方でありました。
 もちろん、当時の私はこれによって、カントの哲学書を読んでみようという気持も起しませんでしたし、一層深くこの言葉の持つ意味を知ろうという思いも持ちませんでした。謂ってみれば、これだけで充分だったのであります。
 夜毎、空には神秘な星が輝き、地上には正しく生きることを考え、悩みながら人間が生きている。甚だ自己流の文学的解釈であり、受け取り方でありますが、私が若い時知ったたくさんの言葉の中でこれが一番荘重で、そしてその後も長く私を支配し続けたものではなかったかと思います。この言葉によって私は夜空の神秘を美しいものとして感じ、人間が生きるということが充分価値あるものであるということを、自分を納得させるような納得のさせ方で心に刻んだのであります。少くとも、この言葉は、私という一人の青年にとっては、生きることに勇気を感じさせるような魅力があったのであります。
4  しかし、今日、私は自分の周辺の若い者たちに、この言葉を披露し、この言葉の持つ魅力を受け取らせようとする時、いつもたいへん難しい作業であることを覚えます。
 確かに天上の星の輝きも、星をちりばめている夜空も、今の若い人たちにはさほど神秘なものではなくなっているかも知れません。科学文明の驚くべき進歩は、天空の神秘を征服し、月に人を運び、またそこから帰還させております。おっしゃるように、もう月で兎が餅をいているという童心のロマンは影薄いものになり、これから更に一層影薄いものになって行くであろうと思います。池田さんは、それに替って新しいロマンが生れつつあるとお考えになっておられます。そして遠い将来、月の神秘を最初に引き裂いた月面車が、そのような過去のロマンチックな遺物としての受け取り方を後世の人たちによって為されるであろうと、お考えになっておられます。あるいはそういう時代が来ることを信じようとなさっておられます。
 私も本当に、われわれの時代に生きた月の世界の兎の童話に替って、新しい月の童話が生れる日が来ることを信じたいと思います。その童話は、もし生れるなら、私などの想像できないほど明るく、人間が生きることに悦びを感じずにはいられないような童話であるに違いありません。先きに人工衛星に神の座席が設けられていなければならないと記しましたが、そうである限り、月は地球上の人類の、どこの国のものでもない、明るい共通の植民地となりましょう。そうならなくてはなりません。神秘な月の世界に手を触れた以上、それは今世紀の人間が、そして今世紀の人間が生んだ科学が、どんなことがあっても、果さなければならぬ責任であると言えましょう。
5  いかに感歎しても感歎しきれぬものは、天上の星の輝きと、わが心の内なる道徳律、――この言葉をもう一度ひかせて頂きます。今の若い人たちにとって、天上の星の輝きは、私が受け取ったものとは違ったものになりましたが、違ったのは天上の星の輝きばかりではないと思います。わが心の内なる道徳律という、われとわが人間の肯定的受け取り方も、大きく変っていると思います。これは、全世界共通のことでありますが、哲学的絶対とか、宗教的神とかいったものは、影薄く、力ないものになりました。と言って、それに替るものは生れておりません。戦後一時期、人類愛という言葉が、それに変るかに見えましたが、忽ちにして魅力ない姿を露呈してしまいました。
 戦後、若い人たちが第一義的問いかけから出発したことは当然であると思います。既成価値が取り払われてしまった荒野に於て、若い人たちはそういう出発をしなければならなかったのであります。人間とは何か、人生とは何か、親とは何か、子とは何か、生きるとは何か。若い人たちはやり直しを始めたと言えましょう。こうした若い人たちに対して、ずいぶん大人たちの無力な時代は長く続いております。そしてそうしたことから起る混乱は、今も続いております。
 が、この混乱を解くことは、なかなか難しいと思います。私自身、自分の若い頃を振り返ってみて、現代の若い人たちと非常に違っていたとは思いません。無償の行為に惹かれていたことも、たまたま自分に与えられた生命を、価値あることに捧げて、燃焼しつくしてしまいたいという情熱に駆られていたことも、おそらく今の若い人たちと同じであったろうと思います。ただ違うところは、それが野放しに置かれていなかっただけであります。
 私たちは、それぞれに神というものを持っていたと思います。学問を信じ、学者を信じ、正しいということがあることを信じていました。それがすっかり取り払われてしまったのが、おそらく今日の姿であって、若い人たちが初めからやり直さなければならなかったように、今や哲学も、宗教も、道徳も、何もかもが初めからやり直さなければならぬように思われます。池田さんがこれまで長い間情熱を以て為されているお仕事の中心がそこにあることは言うまでもありません。
 私はカントの短い言葉で、自分なりに生きる姿勢を持ちましたが、そういう点で、意識的に若い人たちと接しておられる池田さんの現在のお立場は、私などの想像できないほど大きいものであろうと思います。
 こんどのお手紙で、私にとって最も大切な部分は、静かな文章で、しかし烈しく語られてある、亡き戸田城聖氏との運命的出会いの部分であります。師に対する尊敬と、傾倒と、愛情が、行間から立ち上っているのを感じます。そして一人の人との出会いが、今日の池田さんを決めておられる事実と、その経緯を、感動深く読ませて頂きました。
 これまでにも、お二人の関係は、お書きになったものや、対談などで、その概略を承知しているつもりでありましたが、こんどのお手紙で、改めて心に滲み入るような受け取り方をさせて頂きました。それについては、この次、私の方からお手紙をさし上げたいと思います。
6  梅雨あけの烈しい雷鳴を聞きながら、このお便りを認めました。二、三日中にハワイにお発ちになると承ります。私も数年前の夏二カ月を、ハワイで過したことがあります。青い空と青い海のハワイで、どのようにお忙しくても、爽やかな休養の時間をお心掛けなさいますように。
 一九七五年七月二十一日

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