Nichiren・Ikeda
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ある獄中体験に思う 池田大作
「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)
前後
8 さて、モスクワではレーニン逝去の地レーニンスキエ・ゴールキーを訪ねました。レーニンが晩年をそこで過ごし、療養した館は、市の中心から離れて、ロシア的な静寂さをもった緑に包まれていました。革命の激動期、長い期間にわたって、一日十四時間は働き続けたレーニンは、病床に臥してからも、新国家の未来を構想し続けたと言われています。
レーニンスキエ・ゴールキーは、今はレーニンの最期の思い出をとどめる博物館として、大切に保存されています。新緑の間をいくと、本洩れ日が差し込み、白樺の梢が光の海でざわめいているようでした。一九二三年秋、逝去の前年に、ここに見舞いに訪ねてきた工場労働者が、レーニンの部屋から見える場所に植えた十八本の桜の苗本は、今はサクランボをつけるほどの大きな木となっていますが、これらの木々は、今日にいたるまでその工場の人たちが交替で、注意深く育ててきたとのことです。
レーニンの病状を案じた子供たちの手紙が陳列されていました。当時、病状は逐一報ぜられ、口シア中がそれに一喜一憂したのですが、子供たちはクルプスカヤ夫人にこう書いています。
「クルプスカヤのおばさん。レーニンのおじさんを大切にしてください。元気になったとの知らせで、全世界の人を喜ばせてください」
私は民衆の中に生き続けたレーニン像を確認した思いでした。それは親から子へ、そして孫へと、人々の生活実感のなかで語り伝えられています。歴史と歳月の篩を越えた人々の思慕は、レーニンの人間愛、民衆愛に向けられているのでしょう。
最も心打たれたのはレーニンのデスマスクをとったという彫刻家の、ある作品です。その大きな彫像は屋外の小さな広場にありました。兵士や農民がレーニンの遺体を深い悲しみのなかで、首をうなだれ、やや前傾みの姿勢をとりつつ運ぶ姿を彫刻したものです。市民の手向けた花に埋まるその像を前に、私は兵士や農民の表情に注目していました。そしてそれらの群像の足どりが、言いようのない力感をもって描かれていることに気づきました。
それは悲しみの向こうに未来を見つめ、レーニンの志を継ごうという逝去の時の、ごく普通の市民の心を、象徴しているように思えてなりませんでした。
「レーニンは生きた、レーニンは今も生き、将来も永久に生きるであろう」というスローガンも、政治的な臭味を離れて、民衆の素朴な、しかし真率な実感のなかにおかれた時、最も生き生きとした一個の人間としてのレーニンを感得させるのではないかと、私には思われるのです。
今回も散漫な旅の印象を書きつらねることになってしまいました。この辺で擱筆させていただきます。
一九七五年六月十四日