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日蓮大聖人・池田大作

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″永遠″に触れること 井上 靖  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

前後
3  ――揚子江の岸で、手を赤くして甕を洗っている女たちを見た。私もまたそのようなところで、そのようにして私の文字を書きたい。
4  これはその時の私の感懐であります。私は一人の文学の徒として、いつでも永遠に触れたところで仕事をしていたい気持でおります。そして永遠を信じ、人間を信じ、人間が造る社会を信じ、中国の女の人たちが手を赤くして甕を洗っていたように、私もまた手を赤くして自分の文章を綴りたい、そんな思いに時に揺られております。
 このお手紙の筆を執っている書斎の窓から庭の一部が見えております。さして広い庭ではありませんが、それでもつつじが咲き、牡丹が咲き、山吹が咲き、小手毬が白い花を着けています。そしてそうしたものを雑木の緑が上から押し包んでいます。風が強いので緑はざわめいています。むんむんした緑のエネルギーが揺れ動いている感じです。
 余談になりますが、私は五月という月が好きです。私は五月六日生れでもありますので、自分の生れ月である五月をいい月だと思っております。幼い時からそう思い込まされて育って来ましたので、いまでもそういう思いを消すことはできません。五月山、五月闇、五月雨、五月晴、――五月の山はむんむんしたエネルギーに溢れ、闇は深々とし、雨は雨でひたむきな降り方で降ります。五月晴はあくまで爽やかで、鯉のぼりが泳ぎます。
 私の子供や孫たちはそれぞれ異った生れ月を持っていますが、私は子供や孫たちに自分の生れ月に他のどの月も持たないいい点を見付け、それを誇りとして持つべきであると言っております。私の生れた五月が特によかろう筈はありません。いかなる月でもいい点を探せば、いくらでも探し出されて来ます。
 私が五月の自慢をしますと、大抵の人が笑いますが、しかし、こういうことは案外大切なことではないかと考えます。自分の生れた国に対する考え方も同じようなものであります。日本に生れた以上、日本という国のいい点を見付け、それを誇りとし、それを守るべきだと思います。最近、時に日本の文化や歴史を否定的に見る言説を新聞や雑誌で見かけます。今朝もそのような文章の一つが眼に触れましたので、ついこのようなことに筆が滑ってしまいました。
 甚だ意をつくさぬお手紙になりましたことをお詫びいたします。近くまたヨーロッパの方にお旅立ちと伺っています。くれぐれも御自愛専一のほど念じつつ、筆をくことに致します。
 一九七五年五月四日

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