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日蓮大聖人・池田大作

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第八章 時代と社会と読者がつ…  

「吉川英治 人と世界」土井健司(池田大作全集第16巻)

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5  “庶民性”と“開明性”
 ――さて今まで、長時間にわたり、吉川氏の人物、作品の魅力を種々語り合っていただきましたが、この大衆文学の巨匠も若き日の出発においては、相当な迷いがあったようです。
 というのも、大衆文学というと、なにかしら文学的に低いと見られる。文学青年的な憧れをいだいていた氏は、ふんぎりがつかなかったといいます。
 土井 たしか、“大衆”ということを深く思索され、何年か経ったあと、“大衆作家”として船出されていますね。
 池田 上京し、本格的に文芸の道を歩むようになったのは、川柳からではないですか。
 川柳は、五・七・五の十七文字で、生活や人情の機微をユーモラスによむ。いわば庶民の文化です。
 このへんも、吉川文学の出発点は“生活の実感”と言われる所以でしょう。
 土井 そのころ下宿していたのは、東京の下町の浅草でしたね。
 そこには、“旧東京の庶民の暮らしがそっくりそのまま、残っていた”(全集46)。
 その生活体験が氏のかけがえのない財産になったのですね。
 池田 それから、開明性と国際性に富んだ町、横浜で少年期を送ったことも大いに意味があった。
 “庶民性”と“開明性”――ここに、吉川文学を育んだ揺籃があったのではないでしょうか。
 ――大衆文学は、浪花節、講談などの、いわば“庶民への語り”の文化を受け継いでいると言われます。
 吉川氏の文学が、そうした伝統を受け継ぎつつ、『平家物語』『太平記』また『三国志』といった古典を、現代に再発見したという功績は大きいですね。
 池田 『新・平家物語』を執筆のころ、小説がなぜ生まれるかについて、吉川氏は、“それは作家だけが生むのではない。編集者が生むのでもない。世間大衆が生んだともいえる”(全集39)と、語っている。小説は時代と社会と読者がつくっていく――これが自分の文学観である、と。
 ところで先ほどの口承文学においては、すべての人が主体者になるという。
 つまり、その語りの場では、語り手は聞き手の民衆から厳しい注文や反応も受ける。それで、内容を高める努力をつねに積み重ねざるを得ない。
 昔からの伝承や伝説だけではなく、今の時代の人々の要求や、社会の動きと深く関わりつつ、庶民との生きた対話の広場をもっているがゆえに、長く受け継がれてきていると見ることもできる。
 アフリカ初のノーベル賞作家ショインカ氏は、聖教新聞のインタビューに答えて「口承文学は文字文学のように固定したものではなく、時代のなかでつねに再生産されていくものである」(「聖教新聞」一九八七年九月三十日付)と語っていますが、これが大切ですね。
 土井 吉川氏はみずからの文学の特長の一つを、“時感”いわば“時代感覚”と言っていました。当然、これは、善にも悪にもつながっていくという点があります。つまり“民衆の支持も得やすいが、体制に流されやすい”側面です。とくに、あの戦時中の苦い教訓は忘れてはならないと思います。
 ただそれはそれとして吉川氏は「大衆文学に現れる社会相は、一般的傾向より、常に一歩ずつ早いといい得る」(全集52)と自負しています。
 池田 庶民感覚ほど、世の矛盾を鋭く感じとるものはない。庶民は、もっとも真実を見抜いている。ゆえに社会の動向を先取りし、人々が何を求め、何を考えているかをつねに察知する眼をもたねば、どんどん時代からとり残されてしまいます。
 戸田先生が大衆小説に注目されていた理由も、民衆の心、また時代にすばやく反応するものの強さを評価しておられたからだと思います。
 吉川氏は、次のように語っています。
 “生活の最前線に立って、実社会に働いている人こそ、本当の文学を体験した本当の時代人である。
 そして、そこからつねに学び、表現の労をとるのが本当の文筆の人である”(全集52)と。
 民衆に根ざし、民衆から学ぼうとするその謙虚な言葉に、冷たきペンの傲りはない。民衆の声を汲みとる熱意とセンスはやはり抜群でしたね。
 民衆とともに生きるとは、もっとも素直に自分を見つめることにほかならない。
 ――自分のことしか考えず、功名心のみで心がくるくる動くのは、一時、時流にのっても最後は自分で自分を壊していくだけである……。
 土井 これは、文学に限らず万般にわたり、もっとも大事なことだと思います。
 池田 平凡に思える人生であっても、それは、その人だけのかけがえのない、ドラマであり、歌であり、詩である。偉大な一編の文学作品とも言える。
 人はだれ人も、そのすばらしき価値をつくりながら、一生を飾りたいものだ。そのたしかな証とは、庶民という大地に根をはりながら、自分らしい花を咲かせ、実を結ぶことにちがいない。私はいよいよ、吉川氏が願った、庶民と庶民の強き連帯がつくる新しい時代が到来していると思っています。
 また、それ以外に道はない――。
 かつて、ソ連の作家ショーロホフ氏とお会いしたさい、氏が、「信念のない人はなにもできない。われわれはみなが“幸福の鍛冶屋”ですよ」と強く語っていたことを思い出します。
 土井 鍛冶屋とはおもしろいことを言いますね。(笑い)
 幸福は自分でたたきぬいてつくっていく、ということなのでしょうね。(大笑い)
 池田 “幸福の鍛冶屋”として、幸せを生みだすドラマを存分に演じるためには、確固たる自分がなければならない。他者が与えてくれるのではない。一人一人が歴史の主人公になって、鍛えあげていくものである。
 またそうであってこそ、真に庶民の時代、庶民の舞台が開かれるのではないでしょうか。
 ――まだまだ、話題はつきないようですが、「吉川英治人と世界」は、これで終わらせていただきます。

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