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日蓮大聖人・池田大作

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第七章 歴史は心から生まれる… 『私本太平記』の世界2

「吉川英治 人と世界」土井健司(池田大作全集第16巻)

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6  人間への“愛着心”
 ――ところで、吉川氏は作品ごとに、つねに何らかの新しい挑戦を自身に課していたように感じます。たとえば、あの『宮本武蔵』誕生のきっかけも、じつは友人である作家の直木三十五が、「武蔵非名人説」を振りかざして、吉川氏を挑発したことにあったようです。(笑い)
 氏が、『新・平家』で新しい清盛像に取り組んだことについては、以前に論じていただきましたが、『私本太平記』でも、従来の「正成像」「尊氏像」の転換に挑んでいたのではないでしょうか。
 土井 そうですね。片や正成は「忠臣」として神格化され、片や尊氏は「逆賊」扱い……。この両極端のレッテルを貼られた二人を、それぞれ戦後の日本人の共感を得るよう描き直していく。
 これは、それまでのイメージがあまりにも強烈だっただけに、難題だったろうと思います。
 池田 それは、本質的にいえば権力者たちの心をつき動かす、姿なきものの「正体」への追求でもあったわけですからね。
 一回一回のゲラ刷り(下刷り)ができてくるたびに、真っ黒になるほど直し、しまいには印刷工場のほうが悲鳴をあげてしまったといいます。(笑い)
 「ただ気がすむまでの精進をしているつもり」(全集43)との吉川氏の淡々とした言葉が印象深い。
 土井 吉川氏にはそもそも、その人物に自分がなりきってみようという姿勢がありますね。だから資料を考証しながら自分の納得がいかなければ、“これはおかしい、考えられない”と、否定しながら論じている個所が、いくつかあります。
 池田 時代の隔たりはあっても、同じ人間として考えられないことは吟味し、峻別していく。歴史とは、時の流れとからみ合いつつ、何より人間の「心」から生まれてくるという見方が、吉川氏のなかでは一貫していますね。
 そこが、吉川文学の味わいの一つでしょう。
 また吉川氏の眼は、葛藤し、相争う人間模様のなかでも、人間を“信ずる眼”、つまり人間への“愛着心”をもって見ていることがいたる場面で感じられます。
 よく氏は、「君の小説にはほとんど悪人がないね、憎むべき人間がいないなんていう社会があるかしら」(全集39)と聞かれたという。この言葉も、吉川氏の人間観をよく表していますね。
 ――さて、『私本太平記』の最終章では、「黒白問答」(全集43)と題する、琵琶法師たちの「座談の場」がもうけられています。
 「問答」の形式をとりながら、『私本太平記』、ひいては吉川文学全体を貫く“時代観”“人間観”が語られていくわけです。
 池田 ええ。読者と一体になって書きつづってきた長い歩みを終えるにあたって、吉川氏が、その大切に思う読者とともに、心おきない語らいの場をもとうとしたように、私には感じられます。そして、これが、氏の作家としての生涯のエピローグとなったわけです。
 土井 そこでは、権力欲に憑かれた尊氏らの末路を見つめながら、人間の心を狂わし、社会を乱していく「権力の魔性」をめぐって語り合われています。
 しかも吉川氏は、その問題を「権力のなかに住む人間ども」だけのことにとどめず、さらに一歩、民衆自身の側に引きつけてとらえようとしています。
 すなわち、対話の中心者である覚一は、庶民の“野次馬根性”や“射倖心”が、世の乱れを助長する側面を指摘しながら、次のように語ります。
 「他を言って自分を措いてはいけません。(中略)この座のうちにも潜んでいるものです。恐い。何がといって、権力の魅力ほど恐いものはない」(全集43)と。
 「他を言って自分を措く」――。ある意味で、戸田会長が指摘された「東京裁判」の限界性も、一つはそこにあったと言えるかもしれませんね。なんといっても、その底流にあったのは、「文明」が「野蛮」を裁くという一方的図式でしたから。
 池田 かつて、フランスの作家アンドレ・マルロー氏と対談した折、氏が烈々と語っていた言葉が忘れられない。
 「自分自身のことというのは、もっとも狭く、およそ普遍的でない問題のように思える。しかし、それこそがいちばん大切なことだと、われわれ現代の作家は考えている。
 要は、自分は一個の人間として何ができるか、何事に対して行動できるかではないか」と。
 いずれにしても、文学という精神の対話の場においては、本来、書く側も読む側も、ともに「汝自身への問いかけ」が決して手放せない。
 ここに文学の真摯さと誠実さがあり、また現代の人間復興への力があると私は思っています。

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