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日蓮大聖人・池田大作

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第五章 不滅のものへの祈り 『新・平家物語』の世界

「吉川英治 人と世界」土井健司(池田大作全集第16巻)

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9  義経の死に見る「平和への祈り」
 土井 少し次元は違うかもしれませんが、吉川氏の家庭では、家に訪れてきたお客さんに対しても、お子さんがきちんと挨拶するようしつけておられたようですね。
 ちょっとしたことですが、社会との接点を大切にしておられたのでしょう。
 ――今の「社会」への広がりに関連した話になりますが、さすがの吉川文学も、具体的な「民の和楽の設計図」までは示しえなかったというような指摘もありますが……。
 池田 それは、そんなに簡単にできることではないでしょう。(笑い)むしろ、吉川氏は、その「設計図」づくり、そして、実際の「建設」は、読者、とくに若い人々に託したのであろうと、私はとらえたい。
 ――ところで、『新・平家』で戦乱の皮切りをなすのは、「保元の乱」ですが、これは家庭の平和を社会に開くどころか、反対に、血族が敵同士に引き裂かれての戦いでした。
 土井 ええ。吉川氏もその様相を列挙しておりますね。
 「内裏方新院方
 後白河天皇…(御兄弟)…崇徳上皇
 関白忠道……(兄弟)…左大臣頼長
 同………(父子)…宇治入道忠実
 源義朝……(父子)…源為義
 同………(兄弟)…頼賢、為朝など六人
 安芸守清盛…(叔甥)…平馬助忠正」
 このなかでも、嫡子・義朝と戦わざるをえなくなった源為義は、戦いの前夜、みずからの形見を、わが子のもとへ届けさせています。
 その姿をとおし、吉川氏は次のように問いかけています。
 「“――明ケヌレバ、敵トナル子ノ許へ、遣ハシケル、親ノ心ゾ、哀レナル”と『保元物語』は書いている。人間、父子の情、理性の悩みも、これほどなのに、なお、戦わねばならなくなるとは、いったい、どういう地上の約束なのであろうか。はたまた、宇宙の一環に、べつに目に見えない魔の作用でもあるものだろうか」(全集32)と。
 池田 「悪」の本質は、一面から言えば、「分断」にあるといえる。小は家族間から大きくは国家間の対立憎悪まで、どうしようもない人間社会の惨劇をもたらしている。
 ですから仏法では、「人の身に入つて自界叛逆せしめ」(「法蓮抄」)云々と、人間を自界叛逆(内乱)へ、分断へと向かわしめゆく「悪」の生命作用を鋭く喝破しているわけです。
 土井 たしかに、歴史を見ると、なにか宿命的な悪循環さえ考えさせられますね。父の命を断たざるをえなかった義朝の忘れ形見、頼朝と義経の兄弟も、その後、また骨肉相食む争いを繰り返す運命にありました。
 池田 日蓮大聖人の御書(「小乗大乗分別抄」)には次のような一節があります。
 「たとえば野馬とんぼ蜘蛛くもの網にかかりかわける鹿の陽炎かげろうふよりもはかなし・例せば頼朝の右大将家は泰衡を討たんが為に泰衡をたぼらかして義経を討たせ、太政入道清盛は源氏をほろぼして世をとらんが為に我が伯父平馬介忠正へいまのすけただまさを切る義朝はたぼらかされて慈父為義ためよしを切るが如し、此等ははかなき人人のためしなりと。
 土井 それにしても、仏法は人間社会の構図を本質から鋭くとらえていますね。
 池田 こうした極端な例にかぎらず、人間の心はつねに微妙な移ろいを重ねていく。その移ろいに移ろいが重なり、流転に流転が続いていく時、やがて小さな確執の雪玉が大きな悲劇のなだれへと転がっていく。その小さく、そして重大な「心の変化」に対する高感度のアンテナを持っているのが詩人であり、文学者でしょう。文学を味わうことは、そのアンテナを磨くことにもなる。
 あらゆる社会の指導者が、また家庭においては両親が、自分なりに文学を愛することが、どれほど心豊かな世界をつくっていくことか。
 土井 『新・平家』では、骨肉の争いが戦争の悲劇の象徴なら、平和への願いもまた肉親の愛に託して語られています。
 池田 だからこそ、読者の心に切々と突き刺さってくるとも言える。氏は、義経の母をして、次のように語らせている。
 「武門に立っても、おん身は決して、驕る人とはならないでくださいね。人の非道を憎み、人の権力や栄花をたおしても、また己れが、前の権者に代って同じことを振る舞えば、さらに次の敵が起って、討ちたおそうとするでしょう。百年、千年、そんな修羅道を繰り返してゆく恐ろしさと愚かさを思うたがよい。馬上の将とはおなりになっても、どうぞ、世を守り人を愛して、よい君よと、慕われるようなお方になってください」
 まさに『新・平家』には、「平和への祈り」がこめられている。そして、平家を滅亡させた英雄・義経の死というクライマックスにおいて、その祈りの炎は未来を照らすことになる。
 すなわち氏は、この母の願いのままに、義経がこれ以上の戦禍を止めるため、みずから兄・頼朝の追手にかかり、いわば無抵抗に死んでいく姿を描いている。それは、“復讐から復讐へ、瞋恚から瞋恚へと、とどまることなき「業の輪廻」と「血の歯車」に、みずからの犠牲によって、終止符を打ちたいとの崇高な願いからであった。我一個の死によって、無数の生をあがなうために……”(全集39)。義経の最期をこのような「聖なる死」として描いたところに、人間苦の果てしなき連鎖を断ち切るために、氏が模索していた方向性が見えると思う。それはまさに菩薩的勇気と言えるかもしれない。
 ――麻鳥夫妻も桜を眺めながら、その義経の心をしのんでいますね。こうして『新・平家』の約半世紀にわたるドラマは、一二〇三年の時点をもってピリオドを打ちます。
 先ほども『平家』と日蓮大聖人の時代について話題になりましたが、ちなみに、大聖人の立教開宗(建長五年〈一二五三年〉四月二十八日)は、さらにちょうどその半世紀後のこととなりますね。
 池田 それは、人間の生命に存在する魔性を断ち切り、「平和」「安穏」へと国家、社会の宿命を転換していく大闘争の出発であられたわけです。
 すなわち三十二歳の御年から、ある時は寺を追い出され、住処を逐われ、両親を苦しめられ、夜討ちに遭い、悪口を数知れず言われ、打たれ、傷を負い、弟子を殺され、頸を斬られようとし、二度も流罪に処せられた。まさしく、「二十余年が間・一時片時も心安き事なし、頼朝の七年の合戦もひまやありけん、頼義が十二年の闘諍もいかでか是にはすぐべき」(「単衣抄」)と仰せのとおり、未来万年へ向けての大慈大悲のお姿であられた。
 ひるがえって歴史を見ると、いまだ権力闘争のための政治や力の論理を、人間は一つも乗り越えていない。いかに華やかな文明の色彩で飾っても、その本質はドス黒い修羅である。
 土井 ある意味では、封建社会の鎌倉時代に、大聖人が一個の人間の変革に光を当て、生命解放の戦いを開始されたのは、あまりにも早かった。たいへんな時代の先取りをされていたと言えるかもしれませんね。
 池田 ちょうど『新・平家』が連載されていたころ、私が拝読した御書(「御義口伝」)の一節があります。
 「大乗無価の宝珠を研き顕すを生値仏法と云うなり」――。わが胸中の尊極の宝珠を磨き、顕現させていくことこそ一切の要である。容器をいくらとりかえても、濁った水が入ったままでは意味がない。と同じように、「生命の尊厳」といい、「平和の実現」といっても、所詮「人間の社会」である。
 ゆえに「人間」の生き方と人生の諸相が変わる以外に社会の変革もない。これが道理です。
 仏法は一人一人が人生の幸福を勝ち取りながら、真実の平和へと生きぬく道を示しているわけです。吉川氏の描く「義経」の犠牲も、悲劇のなかにも、そのポイントを美しく映像化し結晶させています。

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