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日蓮大聖人・池田大作

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九識論と深層心理学  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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12  池田 つまり、芸術は不滅の保証であるとおっしゃりたいわけでしょう。私は、あなたのおっしゃる意図がよくわかりますし、それは正しいのです。
 そうでなければ、なぜ古来、宗教と芸術はあのように切っても切れない関係でありつづけたのでしょう。世界中の美術館や博物館に足を運んでみれば――そのうちのいくつかを私も見ております――そのことは明らかです。とくに時代をさかのぼればさかのぼるほど、その密着の度合いは強まり、ほとんど二重写しと言ってもよいほどです。すべての宗教は、必然的な補完物として芸術的様式を要請していると言っても過言ではないと思います。
 当然でしょう。時間的にいっても空間的にいっても、生命が無限に拡大し、飛翔しようとする時、その自己拡大のエネルギーは、かならず何らかの“かたち”を求めるからであります。絵画であれ、彫刻であれ、あるいは文学であれ、その“かたち”の最も純粋な、典型的な表れが芸術であります。文化であります。
 したがって、優れた芸術は、例外なく、歴史と国境を超えて魂と魂とを一つに結びゆく「全一なるもの」を志向し、秘めている――私は一九八九年六月、フランス学士院での講演「東西における芸術と精神性」においても、そのことを強く訴えました。その「全一なるもの」は「詩心」と置き換えてもよいかもしれません。
 アイトマートフ もちろんです。なぜならば、芸術はその内部に、言葉では表現できない、しかし言葉なしで理解できる、身近な、素晴らしい存在の謎を秘めているからです。そしてそれは言語によって表現される音楽、つまり真の詩の中でのみ存在しうるものです。
 ああ、心の記憶よ!
 おまえは知性の悲しき記憶より強い
 十九世紀の詩人コンスタンチン・バーチュシコフのこの詩も、そのことを語っているのだと思います。ついでに言えば、このバーチュシコフは、芸術を、一般に創作を、「未来についての思い出」と見なしていました。
 池田 「未来についての思い出」は「詩人」の特権だというわけですか?
 アイトマートフ 決してそうではありません。私は、すべての人間は、実在の前、詩の前では平等であるとする仏教哲学の正しさを信じています。
 しかし、そのこととは別に、「浮世の雑事」が人間のもつ詩的感受性を殺し、人間を陰気で冷淡な存在に変えてしまっています。
 しかし、そこからいかなる結論を引き出すべきでしょうか? それはただ一つ、認識は――そこにどれだけの種類があろうとも――人間が自分自身の内部へ向かう道である、ということです。
 人間の尊厳は、おそらく人間の潜在意識の中に秘められているにちがいない並外れた精神力を、自分の心の中に意識的に目覚めさせることを人間に義務づけています。「星女」の幻の話も、そのことを物語っているように思います。もしそれが実現すれば、人間が人間になることを妨げているすべての奇怪至極のものは、たちまち崩壊してしまうでしょう。
 コンスタンチン・バーチュシコフ
 一七八七年―一八五五年。ロシア。

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