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日蓮大聖人・池田大作

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ニヒリズムと宗教の復権  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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9  池田 私たちは、お互いに歴史の主体者であって、傍観者ではありません。かならず起こるだろう、いやかならず起こしてみせるという、その「確信」が大事なのです。決めたほうが勝つ。これはトルストイの『戦争と平和』の洞察です。その一念が定まらないところに、じつは敗北の影も宿る。決めれば勝つという意味において、私は楽観主義者です。
 たとえば、ガンジーの「非暴力」を思い起こしてください。彼は言っています、「非暴力には敗北などというものはない。これに対して、暴力の果てはかならず敗北である」(前掲『わたしの非暴力Ⅰ』)と。真理に生きる者は、たとえ囚われの身であろうと、つねに勝利者である。それはまさに、本質において勝っているからです。
 ガンジーはこうも語っています。「私はどこまでも楽観主義者である。正義が栄えるという証拠を示し得るというのではなく、究極において正義が栄えるに違いないという断固たる信念を抱いているからである」(前掲『《ガンジー語録》抵抗するな・屈服するな』)
 信念の強者は、また楽観の強者です。時代と世界を動かす根源的要因の萌芽も、このような強き一人の「胸中」にこそひそんでいる。決して下部構造のいかんや、制度・機構といったハードな側面にあるのではない。時代の変革も、何よりも一人における“内面の革命”、つまりソフトな側面が機軸になると私は確信しています。
 「制度」から「人間」へ、「ハード」から「ソフト」へ――。時代の潮流は、確実に動いています。私たちの戦いも、またそれを志向したものにほかなりません。一人の「人間」の内なる「確信の世界」を鍛え広げる戦いです。

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