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日蓮大聖人・池田大作

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ドストエフスキーの宗教観  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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2  アイトマートフ 尊敬する池田先生、初めに、あなたのご質問によって、あなたの問題提起の核心と性格によって、私はすっかり考え込んでしまったということを申し上げなければなりません。何について考え込んだかといえば、私はどういう資格であなたと純粋に宗教的なテーマについて話ができるだろうかということ、つまり、仏法者であるあなたと、その方面ではずぶの素人である私がどういう言語で――つまり、どういう用語で――対談を行うことができるか、ということについてです。
 とにかくあなたのおかげで、私は宗教一般についての私自身の態度について真剣に考えざるを得なくなりました。正直なところ、これはそう簡単な問題ではありません。しかし、それが重要で、かつ必要欠くべからざるものであることも承知しています。
 いいでしょう、やってみましょう。私は自分が無神論者では絶対にないと思っていますが、だとすれば、私は何者なのでしょう? いずれにしろ、私は自由な宗教的選択を支持する者です。しかも、私は、信仰がどのような宗教意識の形態をとろうと、その信仰の共通の根は、生命への尊敬、人間への尊敬にあると思っていますので、私はどの宗教にも大きな尊敬の念をもっています。
 宗教は、それぞれの民族の昔からの精神的、哲学的、道徳的経験を表現することによって、人々の生活を助け、日々の暮らしの中でみずからの場所を見いだすことの手助けをしています。もっと広く言えば、最高の倫理的信条にのっとってこの世に生きることを助けています。
 さらに言えば、私の考えでは、信仰は特別な世界観であり、特別な世界認識です。盲目的でなく、深い自覚をもつ信仰人は人間的です。それというのも、周りの世界にめくるめく神秘が存在していることを感じているからです。人間は、その神秘はそっとうかがい知ることしかできないし、もしそれがベールの中から現れるならば、そのことに対して敬虔な感謝を捧げるべきものであることを知っています。
 しかし、人は皆、信仰の道に入るか否かという点で自分を試すことになります。とはいえ、この点について二者択一にしばられない第三の人間がかならずいるものです。そういった人々は極端に走る者をほどよく調和させ、流血紛争の危険性を警告する緩衝帯になっています。それは、たとえば、過酷な宗教戦争を経験してきた西欧に例を見ることができます。
 そこで、私のほうからも一つ質問したいと思います。たとえば、イスラム教を信奉する国々に見られるような、狂信的な激しい宗教的対立はどう説明したらいいのでしょうか? イスラムはまだ若い宗教で、これからまだあらゆる病気を一通り経験しなければならないのだ、というようなことで説明し尽くされるものでしょうか?
3  池田 「宗教の狂信的な傾向」という点について指摘しておきたいことは、それがイスラム世界に限られた現象では決してなかったという事実です。
 歴史的に見ても、ヨーロッパには、たとえば約二百年にわたってつづいた「十字軍」の企てがありました。ヨーロッパ側からすれば、「聖地回復」を願う宗教的情熱の発露であったかもしれませんが、イスラム世界の人々にとってみれば、まさに狂信が生みだした災厄以外の何物でもなかったはずです。しかも当時、キリスト教的世界観の牢獄に封じ込められていた趣のあるヨーロッパに比べ、イスラム世界は、はるかに活力に満ちた文明を築いていたのですから……。
 さらに申し上げたいことは、現代に見る、いわゆるイスラム原理主義の伸長や、欧米との諸対立といった問題の底には、近代以降、西欧がイスラム世界に加えてきた武力侵略、経済支配などに対する、いかんともしがたい反発が横たわっているという点です。
 いかなる場合にも、「目には目を」的な報復の論理や、武力の行使自体が、許されるべきでないことはもちろんです。ただ、留意されるべきは、たとえば、宗教の名のもとに、人を殺すことを許容するイスラム世界と、近代化され、世俗化された世界の間には、意識や常識の上で抜きがたい断絶があるという事実です。そしてイスラム世界については、そうした状況を十分にふまえたうえで、より正確に認識し、より冷静に対処していく必要があるということです。
 事実、そうした観点から、イスラム世界像の構築をめざす試みも現れ始めました。いわゆる「文化相対主義」の思潮や、フランスのアナール学派などに見られるような、西洋偏重の歴史観組み替えへの挑戦なども、その一つと言えましょう。
 求められるべきは、過去への反省の上に立って、私たちとイスラム世界の双方が率直な対話の努力を積み重ねていくことです。平凡なようですが、それ以外に平和への「王道」はありません。イスラムの文化、社会、習慣、歴史について、私たちは、どこまで知っているというのでしょうか。にもかかわらず、互いに「話のできない相手」と、決めてかかっている面が多分にあるのではないでしょうか。
 新しき平和秩序への道を模索しつつある現代世界が求めているのは、「東と西の対話」だけではないはずです。私たちは今こそ、世界史の一方の主役でありつづけたイスラム世界の友との対話と交流にも力を尽くしていくべきでしょう。
 十字軍
 十一世紀末~十三世紀後半にかけて、ヨーロッパのキリスト教徒がイスラム教徒を敵として行った遠征。聖地エルサレム奪還をめざした。
 「目には目を」
 「目には目を、歯には歯を」。与えられた害に対しては同様の報復をすること。旧約聖書に説かれている。バビロン第一王朝の王ハムラビが制定したハムラビ法典にも同じように定められている。
 アナール学派
 一九二九年、リュシアン・フェーブル、マルク・ブロックが『社会経済史年報』を創刊。人間活動の全体をとらえることを強調し、日常的視点から民衆文化も視野に入れている。「年報」すなわち「アナール」からその名称がある。
4  アイトマートフ 以前は人々を鼓舞し、高尚にし、新しい現実認識にまで高めていた「生きた」精神的高揚や世界観が、やがて原理や、原則や、さまざまな公的儀礼や儀式の「死んだ」体系に変わってしまいます。そしてその数多い公的儀式の目的はと言えば、大衆と指導者を厳密に区別することであり、指導者は万事に「通暁」した導き手の役割を引き受け、一方、大衆は、自分がどこへ連れて行かれるかさえ定かでない群衆です。
 しかも、導き手である神官の実生活は、雲の上のものとして、一般信徒の目からは隠されています。
 信者はもはや自分自身ではなくなっていると言っていいでしょう。信者は完全に仲介者に、トルストイの言葉を借りれば、役人に頼らざるを得なくなっています。その役人はみずからのおかれている立場によって信者に神との謁見を斡旋するのです。
 こうして本当の神秘なる神との絆は消えて、その代わりに、こう言ってさしつかえなければ、「マドリード宮殿の謎」が発生します。
 その点に関して、宗教哲学者のレフ・シェストフが『ドストエフスキー思想の変貌』の中で面白いことを言っています。教会の、硬化し、生命を失った教義は、人間の心を麻痺させ、意志の自由を奪い、とどのつまりは人間を奴隷に変えてしまう、というのです。もちろん、真の自由を味わった人間は、それに甘んじることはできません。本質的にその人間は永遠に「初期キリスト教徒」たらざるをえません。
 キリストの信奉者たちが集った最初の教会は洞窟でした。
 キリスト教徒の功績はその禁欲主義にあります。そして、そこに、あえて言えば、当時のローマ帝国の支配的な国家宗教の貧困さを覆い隠す役目を果たしていた、目にあまる、ひどい贅沢さに対する挑戦がありました。
 しかし、その後はどうでしょう? あなたがおっしゃるように、代わって登場したキリスト教はそれ自体もしだいに金糸の衣装を身にまとい、信仰からイデオロギーに変化し、営利的な関心や目的をもった、今風に言えば、指令的・行政的体制に利用されうる政治的主義主張という絶対的な位置を獲得してしまいました。
5  その意味において「大審問官」の章で、その大審問官が、自分の教義がひどく歪曲されてしまったことに驚くキリストに対して、口出しするな、さもないと……と言うところは素晴らしいと思います。
 そこから出てくる結論は、人間の姿をした神は、もしも、自身の抗議を公然と表明しようものなら、ふたたび磔の刑に処せられるということです。しかし抗議を公然と表明することなどできないでしょう。その前に磔にされてしまいます。しかもこっそりと。したがって、キリストが再度到来したことなどだれも気づかないでしょう。これこそ最高に悲劇的な状況だと思います。
 そこで思うのですが、こういうことはすでに一度ならず起こっているのではないでしょうか? ただ私たちがそのことに気づいていないだけではないでしょうか?
 いずれにしろ、公式的なイデオロギーを受け入れない人、外面的きらびやかさの背後に精神的理想の欠落や冒涜を、内面的貧困さを鋭く感じ取る人々がつねにいます――そういう人々はどこから現れるのでしょう? あたかも大地から生えてくるかのようです――。
 初めはそれは直観がとらえます。そして魂が反乱を起こします。欺瞞の厚かましさを受け入れることができないのです。あなたが言及なさった『処刑台』の主人公アヴジイはそのような人間の一人です。
 彼は純粋な真理を探し求めています。なぜかと言えば、それは「聖堂」にはなく、その「聖堂」で精神的教師の場を占めているのは官僚的な似非神学者であり、彼らは硬直化した退屈な公理を他人に押しつけはするものの、自分自身はそれをまったく信じておらず、加えて、彼らは神聖さについてのキリスト教的理想と矛盾する生活を送っています。
 彼の抗議は無邪気すぎるでしょうか? ついでながら、一部の批評家は彼を「無邪気な未成年者」と見なしました。どうやら、今から考えますと、彼らは、デマゴギーに慣れきったアヴジイの教師たちが教会の現行秩序の維持に役立つような、一見はるかに説得力のある論拠で武装しているのに対して、アヴジイが「理論的に」あまりに無防備であることを念頭においていたのです。
 彼ら、すなわち、いわゆるコーディネーター(調整者)を前にしたアヴジイは、いったい何者なのでしょう? いけにえの子羊です。まさにそのとおりのものに思えます。
 マドリード宮殿の謎
 スペインのマドリード宮殿で陰謀が横行したことから、陰謀という意味の慣用句。
 レフ・シェストフ
 一八六六年―一九三八年。ロシア。合理主義を超えるべきことを主張、不安の哲学を説いた。
6  池田 民衆の幸福に奉仕するはずの聖職者が、神の名のもとに、貪欲に「いけにえの子羊」を求め始める転倒――残念なことですが、それが歴史の常です。そして私たちSGIが、今、展開しているのも、まさに、そうした「権力化した宗教」に対する戦いなのです。
 聖職者がひとたび、人間を奴隷化しようという欲望に取りつかれると、どれほど堕落するものなのか。どれほど権力の獣性をむきだしにしてくるものなのか。私たちは、その醜さを、つぶさに見てきました。
 そこで痛感することは、民衆が堕落した聖職者に対して沈黙し、手をこまねいているならば、「権力化した宗教」は、どこまでも民衆につけ入り、抑圧の魔手を伸ばしてくるということです。善意の人々が、その善意ゆえに、不幸のどん底に投げ入れられてしまうという悲劇です。
 この悲劇から逃れる道はただ一つ――「徹底して戦いぬく」ことしかない。民衆が、権威や慣習や伝統の威光に目をくらまされることなく、信仰の正義を守りぬくしかありません。
 民衆が戦うべき時に戦わなければ、どれほど陰惨な結果を招いてしまうか。その「戦うべき時」の大切さを教えてくれる文学作品に、ブルガリアを代表する現代作家、アントン・ドンチェフ氏の『別れの時』があります。
 舞台はオスマン・トルコ帝国支配下のブルガリア。トルコ人は、イスラム教への改宗を住民に強要します。拒否する者には、想像を絶する極刑が待っている。大勢に従い、次々と改宗していく人々――ドンチェフ氏は、支配者側の一人に、こう言わせています。「一頭の羊が歩きだす方向へほかの羊もついていく。おまえは羊を一頭、群れから引き離そうとしたことがあろう? たやすいことか? むずかしい。ほかの者たちから何と言われるか――これがやつらには辛いのだ」(松永緑彌訳、恒文社)と。
 周囲に雷同して自分を見失う。驕れる者に屈してしまう。悲劇は、そうした羊のような善良さゆえに増幅されていくのです。
 ゆえに人間は、「権力化した宗教」の前に断じて屈服してはならない。「小羊の群れ」であってはならないのです。創価学会の牧口常三郎初代会長は、よく「羊千匹より獅子一匹」と言われていました。大切なのは、獅子のごとき一人の勇者の存在です。権力に抗して戦う「民衆の導きの人」です。その一人のあとには、かならずや第二、第三の獅子がつづくでありましょう。一人の勇気ある行動の触発が、万人の自由の凱歌を生むのです。
 その意味で、私たちが進める「宗教革命」の闘争は、独り私たちが信奉する仏法の正義を守ることのみにとどまるものではありません。それは「宗教の権力化」という問題をめぐる、人類の流転の根本的な転換へ、まっすぐに道が通じている。私は、そう確信します。
 アントン・ドンチェフ
 一九三〇年―。
 オスマン・トルコ帝国
 オスマンが一二九九年に建てたイスラム教国家。一九二二年、革命によって滅亡。
7  アイトマートフ ここで、王様は裸だと言ったアンデルセンの童話の男の子を思い出す必要があります。そして問題は、ここでは大人が明白な事実を目にしても、それを口に出して言う勇気がなかったということにあるだけではありません。この童話のさらに深い意味は、大人たちの目には見えなかった、ということにあります。
 彼らの目には「裸」が「服を着たもの」に見えるほど歪んでいたのです。嘘をつくことのできない、私欲のためのごまかしを受け入れることのできない子どもの、偏見のない、損なわれていない目の出現が必要だったのです。それがアヴジイなのです。彼は永遠の幼児です。
 思うのですが、真の聡明さと幼年時代とは切り離すことができません。そしておそらくそこに彼の長所があります。彼は世界を最初にできた状態のままで、人間をまだ罪の影がふれる前の姿で見る能力をもっています。
 このことと関連して、新たに生まれ変わるためには、世界を、神が創造の最初の日に見たような姿で見る必要がある、と言ったアントニー府主教の言葉が思い出されます。神自身が驚いたのです。これは聖書の中の驚くべき個所です。どうしてか私はつい最近そのことに気づきました。
 このように、白状しますが、私は後になってから考えています。そのことを別に悪いとは思っていません。むしろ当たり前のことですが、しかし、作品がすでに書き上げられ、読者や批評家の判断にゆだねられてしまってから考えが浮かんでくるというのは悔しいかぎりです。もしもあれこれの判断がもっと早く、作品を書いている過程に生まれていたら、おそらく、主人公の「無邪気さ」はもっと少なくなっていたでしょう。
 しかしそのことによって彼の人生は楽になったでしょうか? 彼の運命は変わったでしょうか? ましてやドストエフスキーも「心の知性」を「頭脳の知性」よりもはるかに高く評価していたから、なおさらです。もちろん、これは『白痴』の中でアグラヤが言っている言葉です。しかしこれはドストエフスキー自身の心に秘めた、好きな言葉であると思います。
 まさに私はそのような、「心の知性」によって生きる主人公を探し求めていたのです。最高の真理を渇望し、そのためには自分の命をも犠牲にしかねないような人物がいるにちがいない、いや、実際にいるということを、初めはうすうす感じていたにすぎませんが、やがてしだいにはっきりと意識するようになりました。
 というのは、真の知識といっても、それが心の外にあるものなら、それは「死んだ記号」にすぎず、上流社会の検閲によって認められた訓戒を仰々しく口にしている偽善者の領分にすぎないからです。
 幻想と妄想の世界にこれ以上生きることは、みずからの存在に反することであり、不自然なことである。なぜならばそれは好むと好まざるとにかかわらず、人々から、人々の実生活から遠ざかることになるからだ、ということを明確に理解した主人公にとって、袋小路から脱け出ることのできるどのような救いの出口がありうるのでしょう? 「神殿」に住む伝道者はせいぜいのところ人々に一時的な忘却を、彼らが神の殿堂の外へ残してきた苦悩からの一時的な休息を与えることができるだけです。
 しかし人々への奉仕とは、そんな表面的なものではないはずです。それは、人々の心に、精神的エネルギーの無尽蔵の泉――生への愛と感謝――を喚び起こし、その助けによって人々が世界と自分自身への、その人なりの関係の創造者になることを望むように仕向けることにあります。そして、それができるのは、前もって人々への愛の道を選び、みずからをそれに捧げた人間だけです。
 その人の言葉は、借り物でもなければ、書物による知識でもない、みずから選んだ運命として苦しみぬいてつかんだ道徳的経験の「黄金の貯え」をもっています。借り物では、自身の歓喜も他人に与える喜びもたいしたものではありません。
 真の喜びは、人間が道を探求する過程で、硬化した教義や決まりの枷から解放される時の、何にも例えようがない、まばゆいばかりの奇跡を突然感ずる、認識の中にあります。その時は果てしない大空が目の前でその扉を開くような感じがするものです。……最高の喜びは解放の喜びです。
 アンデルセン
 一八〇五年―七五年。デンマークの童話作家、詩人。
8  池田 「借り物」ではなく、自分自身で選び取った心の中に生きる喜び、わが内なる精神の大地に深く根を張るがゆえに、いかなる風雨にも揺らぐことのない「真理の大樹」を仰ぐ幸福――人生の至福の一つです。
 そうした人生を求めて進む「求道者」のイメージは、かの『カラマーゾフの兄弟』の末弟アレクセイ・カラマーゾフの姿を思い起こさせます。
 彼、アリョーシャ(アレクセイの愛称)は、あたかもその両腕に大地を抱きしめんばかりの情熱で真理を求め、愛しゆく。真理に到達するためには、自身のすべてを投げ出してもかまわない――そんな若き求道者として描かれています。
 しかも狂信や陰鬱な苦行者といったイメージとは無縁の、彼の健全さ、明朗さ、誠実で真摯な振る舞い。ドストエフスキーが、登場人物をして、繰り返し「天使」とすら賛嘆させているように、その求道の魂には、「純なるもの」という意味での、「完き信」「全一なる信」という言葉こそふさわしい。
 その清澄な心は、たとえば「聖書にも『もし完からんと欲せば、すべての財宝をわかちてわれの後より来たれ』と言ってある。で、アリョーシャは心の中で考えた。『自分は“すべて”の代わりに、二ルーブリ出し、“我の後より来れ”の代わりに、祈祷式へだけ顔を出すようなことはできない』(=“ ”は原文中では「 」)」(前掲書)といった言葉に、見事に描かれております。
 その上、彼は、煩悩の深淵をさまよう父親と長兄、鋭利な無神論者の次兄などとの葛藤を繰り返しながら、自分の内面をさらに深く掘り下げていきます。
 現実の懊悩に直面し、それへの回答をみずからの胸奥に問いかけつづける中で、それまでの「愛すべきアリョーシャ」の相貌に、人生の別の彩りが加わっていく。アリョーシャは、経験の旅の重さゆえにはるかな飛躍をとげた人格、いわば新しいアリョーシャとして生まれ変わっていく。「求道の炎」ゆえの、この「内面への旅」「信仰の内面化の旅」――ここに、『カラマーゾフの兄弟』が提示する重要なテーマの一つがあると言ってよいでしょう。
 つまり、真理とは、夢のかなたにあるのでも山の奥深くにあるのでもない。苦楽と愛憎織りなす「現実」の中にある。人は、そのただ中へ飛び込んでこそ、自分自身を打ち鍛えていくことができる。真理を、一つ一つ確認し、再発見し、真に自分のものとしていくことができる。それがアリョーシャに具現されているのです。
 修養のため、アリョーシャは、いったん修道院をあとにします。その彼に長老ゾシマは、「人々を和解させ、結び合わせていく」人間としての成長を期待しました。
 現実との格闘の中に真理の発見はある。それはまた、他者と自己の内面を貫き結ぶ、「普遍」の発見の旅でもある。してみれば、ゾシマが示した「愛し能わざる苦悩」であるところの「地獄」を克服しゆく鍵も、アリョーシャのこの「内面への旅」「信仰の内面化への旅」というテーマにこそ、隠されているのではないでしょうか。
 周知のとおり、ドストエフスキーは、その後のアリョーシャを描く、『カラマーゾフの兄弟』の続編を構想していました。その中で彼が、この「内面への旅」というテーマを、どう展開していこうと考えていたのか、内なる魂の世界と、外なる「カラマーゾフ的」現世との間に、どのような架橋を構想していたのか、人間完成への果てない道程を凝視する文豪の眼光に、興味は尽きません。

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