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日蓮大聖人・池田大作

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忘れられた「死」  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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2  アイトマートフ 池田先生、お宅の炉を囲んでの私たちの対談の中では、人間の暮らしについてのさまざまな話のほかに、この底無しの、壮大なテーマも、避けて通ることはできないものと思っていました。「生」と「死」と言ってしまえば簡単ですが、まだだれもこのテーマの広がりの全体を見とおした人間はいません。おそらく、そのためには宇宙空間全体を見渡すことのできるような、無限に広い視野が必要になるでしょう。
 生き物として見るならば、一個、つまり人間が一人いて、独りで死んでゆく、ということにすぎません。わずかな時を生きる一つの魂、一つの生命にすぎないのに、どれほど多くのものがその生命の中にひそんでおり、人間にとって死という現象を理解することがどれほど深い意味をもっていることでしょう。
 人間はしばらくすれば死ぬことをよく心得ていながら、どうして自分の生存の一日一日を引き伸ばそうと努力するのでしょう? これも大きな謎です。
 それゆえに、生と死というこのテーマは、通りすがりのかたちで、部分的に、深い解釈を決して要求しないようなかたちでのみふれることができます。私にとってはこのテーマは荷が重すぎます。死についての議論と死についての描写とがあって、芸術家はどちらかと言えば描写するほうですが、その二つは別の事柄です。
 さて、手短にいきましょう。この問題に関して私は何を言うことができるのでしょうか? 科学の合理的な政策の観点から言えば、死は、生物学的発達の締めくくりとして完全に合法則的なものであり、不可避なものであり、目的にかなったものであります。
 しかし、心の内でそのことが納得できるでしょうか? 否です。死を迎えつつある時でもそうだと思います。というのは、もう一つの観点があって、精神の見地からすれば、死は、癒すことのできない、解決不可能な哲学的問題だからです。一見単純そうに見えて、ひどくとらえどころのない問題です。死についての人間の思いは、それゆえに、死の瞬間まで果てしなくつづきます。
 かくして、あらゆる場合において、死は新しい悲劇であり、いまだ経験したことのない新しい衝撃であり、あらゆる場合において、最後の境界線であり、どうして人間は死ななければならないのか、といういくら問えども答えが返ってこない状況の中で突然襲ってくる、思考の終焉です。普通私たちは絶望して死を呪います……。
 一般的に言えば、この問題について皆がそれぞれ自分の考えをもっています。人間の数だけ、考えがあります。
 私に関して言えば、私はこの場合、死を前にしての人間の責任のテーマとして、自分自身に対する責任と、より多く、他人に対する責任にふれてみたいと思います。
 あなたはこの点に関して、『一世紀より長い一日』の主人公のエジゲイの憤慨を挙げられました。たしかに、私はエジゲイを通じて、その点に関しての民衆の意識に固有の生活の知恵のようなものを、実際の経験と哲学とをあわせもつ民衆の生活原理を語ろうとしました。そこから死に対する恐怖と尊敬、賛美と絶望、種の存続に対する期待とが入り混じるのです。
3  ある社会が死に対してどういう考え方をしているかということは、多くのことを物語っています。歴史だとか、人生哲学だとか、宗教的崇拝の在り方とか、道徳やモラル、伝統や風習などです。
 全体主義の時代には、私は二十世紀を念頭においているのですが、人間の死に対する反応は、さらに、イデオロギーや、政治や、国家的服従関係などの性格をも物語っています。たとえば、職務上の地位を考慮に入れて国家権力が定めた序列にもとづく葬儀などです。
 エジゲイはそのようなものが存在するとはつゆ知らずに、彼の親しい人間の葬儀で、まさに死に対するそのような軽蔑的で恥知らずな態度にぶつかり、そのことがこの小説の物語の展開のきっかけとなっているわけです。
 たしかに、さまざまな考え方がありえます。ある場合には、ある時代には、人々は出会いの挨拶に「 死死を忘れないように」と言い、そのことによって道徳の本質を忘れないようにしていましたし、また別の場合には、たとえばソビエト時代には、生命の値段は、まず第一に、階級的、イデオロギー的、国家的利害の中での必要度に応じて決められていました。なぜならば、個人というものは、そのものとしては何の意味ももっていなかったからです。
 死はいまいましい偶然として受け取られ、それ以上のものではありませんでした。そこから人間の命に対するニヒリズム、軽視が生まれ、生命の価値と意義に対する歪められた理解が発生しました。
 思いますのに、イデオロギーにもとづく自己犠牲的行為の英雄視や理想化は、人間に対する抑圧や強制の一つの手段です。この点に関して、私はあなたに、第二次世界大戦中の日本の“カミカゼ”のような現象をどう考えていらっしゃるかをお尋ねしたいと思います。
 そのことは考えるたびに、身が震えます。もしかしたら、私は認識不足なのでしょうか? 敵の死は幸福であり、成果であり、敗者を殲滅することは有益な、立派な行為であるという、一般に通用している紋切り型の考えにどのように対処したらいいのでしょう? そのことを背景にして考えれば、カミカゼの死は病的現象に見えないでしょうか。
 「死を忘れないように」
 「メメント・モリ」。ヨーロッパ中世に一般的だった訓戒。
 カミカゼ
 爆弾を積んだ飛行機もろとも敵艦に体当たりする神風特別攻撃隊。
4  池田 死というテーマに真正面から取り組むことは「荷が重すぎます」というあなたの言葉に、私は、人生を真摯に生きぬいておられる人に特有の誠実さを感じます。“死と太陽は直視できない”と言われるように、たしかに、死を見据えるには、ある種の宗教的達観に立たねばならず、それゆえ、原始宗教であれ高等宗教であれ、あらゆる宗教は、死に対する独自の解釈を、教義の枢軸に据えてきたのです。
 とはいえ、そうした教義が、それを信ずる人々に死の問題をめぐる一様の解決の在り方を保証していたわけではありません。教義をどう実践し解釈していくかは、換言すれば宗教的達観のそれぞれの在り方というものは、十人十色で、さまざまに異なっているからです。
 その差異を無視して、千編一律の解釈や取り組みを強要すると、そこから狂信、盲信、迷信、軽信、邪信といった、あらゆる種類の宗教のもつ“負”の側面が噴出してきます。そのことは古今東西の宗教の歴史が、何よりも雄弁に物語っているところです。
 私は、死に対するあなたの誠実で謙虚な言葉に耳をかたむけながら、『論語』の孔子の言葉――「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」(まだ、生きている人間の道さえ知らない者が、どうして人間の死のことがわかろうか)――を思い出しました。
 この言葉は、「子は、怪力乱神を語らず」(先生は、奇怪な事柄、暴力的な事柄、無秩序、神秘については語らなかった)という、有名な弟子の言葉などとあわせて、死後の世界、非合理――神など――世界への孔子の無関心を示す、儒教の合理主義と現実主義を表すものとされてきました。
 それは、そのとおりなのですが、そのことを裏返してみれば、孔子の無関心は、決して字義どおりの無関心ではなく、死の問題への安易で、画一的な解釈のしかたに対しての孔子の警告もしくは自戒ともとれましょう。孔子ほどの人物が、人生における死の意味、死をもって完結するしかない、つまり生の中で死を生きるしか生きようがない人生にとっての死の意味を、考えなかったはずはないからです。私はそこに、あなたと共通する誠実さ、謙虚さを見たいのです。
5  もとより私は、仏法の透徹した生死観を確信しています。その点に関しては、他のところ(=第六章「内面へのはるかな旅」)でふれることになるでしょう。と同時に、宗教的確信が真に確信たりうるためには、あなたのような死への誠実な問いかけを、これまた誠実に受けとめ、対話を交わしていくことが不可欠なのです。それを怠ると、確信は、容易にドグマへと堕してしまうからです。
 ところで、あなたは“カミカゼ”についてお尋ねでした。たしかに、死への片道切符を手に多くの若者を戦場へ送りだした“特攻思想”は、近代日本が生んだ、史上あまり類例を見ない集団的狂気と言えるかもしれません。戦争そのものが、多かれ少なかれ人権に制限を課するものですが、何といっても“特攻思想”を貫く生命感覚の歪み――人命軽視、人権無視は、否定しようのないものです。
 その点、特定のイデオロギーにもとづき、階級的利益のために個人が徹底して軽んじられた、かつてのソ連と軌を一にしていると言ってよいでしょう。
 しかし、私はここで、日本の若者の名誉のために断っておきたいのですが、そうした集団的狂気の中にあって、すべての若者が我を失い、何物かに憑かれたように散っていったのではないのです。
 むしろ、そうしたケースは少数派であり、大多数の若者、とくに学徒出陣者の多くは、いやおうなくやってくる死というものと向き合い、悩み、対決し、早すぎる死をどう意義づけるか、必死に煩悶しつづけたのです。これを見つめ、己を超え、大いなるものと合一することによって、自分の死を納得しようと、若い魂は、狂おしいばかりの模索をつづけていたのです。
 その結果、彼らの多くは、やや強引にではあっても、みずからに死の意味を納得させ、生への未練や戦争への呪詛というよりも、ある種の宗教的平常心のような心境で、死出の旅路に旅立っていったようです。そうした証言集は数多く残されており、まことに痛ましく、胸突かれるようで、涙なくしては読めません。
 だからこそ、若者をそのように死を美化せざるをえないような状況に追い込む事態だけは、絶対に招き寄せてはならない、と念じております。
 「戦争を準備するのはいつでも悪徳で、戦うのはいつでも美徳だ」という言葉がありますが、“特攻思想”を実あらしめていたものの支えには、若者の勇気や自己犠牲、努力などの「美徳」があったことに疑いを入れることはできません。むしろ責めらるべきは、若者の犠牲の上に立って、背後でみずからの権力欲に明け暮れていた指導者の「悪徳」です。
 創価学会の牧口常三郎初代会長は、戦場に向かう青年に「死んで帰ってくるな。生きて帰ってこい」と言われました。青年を死へ誘うような美学を、牧口会長は絶対認めませんでした。
 力強い生命尊厳の思想に立脚していたからです。そしてみずからは、軍国主義と戦い、七十三歳で獄死しました。この信念の行動こそ、私どもの平和運動の原点であります。
 戦争を……
 岩波書店編集部編『日本の生き方と平和問題』岩波書店を参照。

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