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日蓮大聖人・池田大作

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敬愛する友、アイトマートフ大兄  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

前後
2  さて、あなたの最も重要なお尋ねは、国際社会における非暴力というものの実効性でした。これは、じつに大きな、いってみれば人類史的とも言うべき課題であります。じつは私は、このテーマに関して、ソ連の非暴力研究所の求めに応じて、所感をまとめたものがありますので、それを付記させていただきます。同論文は、どちらかといえば、非暴力の原理・原則面へのアプローチを機軸にしたものです。現実面での対応については、原理・原則をふまえながら、当面、国連を基盤にしたルール作りを急ぐ必要があるでしょう。軍事力を必要としない社会が、近未来的には考えられない以上、ルール作りこそ急務です。もとより、現行の国連をそのまま是認するのではなく、公平を旨として、とくに第三世界を軽視した欧米主導型にならぬよう、十分に留意されなければなりません。そうでないと、国連の名のもとに、かえって地域紛争が泥沼化してしまうケースが出てくることは目に見えています。
 インドの平和研究者、S・ダスグプタに代表される第三世界における平和研究の多くはこうした点を鋭くついていますし、私もよく知る平和研究の泰斗であるノルウェーのJ・ガルトゥング博士の「構造的暴力論」は、あなたの提起された質問と問題意識を共有したものと思われます。
 ご存じのようにガルトゥング博士の「構造的暴力論」は、現在の世界状況の中で、すでに平和ならざる状態におかれた地域、すなわち国際社会の周辺部における貧困、差別、人権喪失、飢餓といった、“制度としての戦争でない状態のもとで戦争状態と等しい状況”の存続している問題を取り上げたものです。
3  国際環境に内在した拘束条件を「構造的暴力」として位置づけ、その程度を分類し、構造的暴力の存在するところ平和はありえないとするガルトゥング博士の見解は、従来の戦争のない状態を平和と定義する平和観と対比して「積極的平和観」として広く知られています。今日、自由主義社会では、「平和」の対語として「戦争」ではなく「暴力」が配される流れになっているのも、そうした背景によります。
 構造的暴力は、その存在自体が紛争を生む要因となり、また、いわば、その正当性をも裏付けています。あなたが「現在の世界秩序の維持をたとえいささかなりとも主張するものではありません。その秩序の不公平さ、不合理さは明々白々です」と言われるように、高度の構造的暴力の存在が、国際システムの中で戦争の確率を高めているわけです。
 こうした構造的暴力を除くための平和的な変化、構造変動をいかにして創出するかという課題、世界全体の構造をいかにして変えるかという問題について、一つの手がかりを与えるものに、国連大学の「人間社会開発計画」に属する「開発の目標、過程、指標(Goals,Processes and Indicators of Development)」があります。
 これは、一九七七年、ガルトゥング博士によって組織されたもので、その基本的な考え方は、これまでの開発の目標がすべて主権国家中心で経済成長を機軸とするものであった点を根本的に反省し、地球的規模で人間中心の目標を作り直し、しかも共同体レベルの地域の自立をもめざしたものです。国益よりも人類益を志向した総合的なビジョンの例示であり、私たちの共通の関心を引く内容となっています。
 国連の強化について付け加えれば、私はかねてより新たな世界秩序への統合化のシステム作りのために、国連を中心とし、その権限を強化すべきことを主張してきました。ポスト冷戦の国際的な多極化の流れの中で、新しい政治的、経済的秩序を作り上げるために、国連を中心にしていくことは、最も現実に即した行き方であると考えるからです。
4  湾岸戦争を契機に国連に対しては、とくに五つの常任理事国が影響力を独占しがちな安全保障理事会の在り方をめぐって、第三世界の国々から批判が強まっていることを私はよく承知しております。しかし、本来の国連の出発点は、大国主導型の世界秩序の形成にあったわけではありません。大国、小国の別なく、各国が協力し合って世界平和のために前進し合うことに、国連の初心ともいうべきものがありました。
 平和愛好国の主権平等の原則にもとづく世界的国際機構の設立――国連創設にいたる経緯を振り返ってみると、当時の米国国務長官コーデル・ハルのグローバリズム(世界主義)に裏打ちされた「普遍主義」が決定的な役割を担ったことが確認されます。残念ながら、発足以来の四十数年にわたる国連の歴史は、その国連の可能性を十分活用できなかったことを示しているのであって、国連そのものの欠陥ではないと考えます。
 実際、すでに国境を超えた人類共同体としての意思をまとめ、地球が生き残るための方策を考えることが国連の重要な役割となっています。もちろん、これまで平和の問題にしろ開発の問題にしろ、国連を構成している主権国家の問題解決能力の限界――各国の国益が角逐し、さらに大国のエゴイズムがまかり通る場となっていた――の克服が課題であることはいうまでもありません。
 国連憲章前文に「われら連合国の人民は」と人民が主語となっている事実に鑑み、国連が真実“人類の議会”として活性化するために、“国家の顔”よりも“人間の顔”を立てるように努めてこそ、国際社会における非暴力の機関としての国連は強化されうるでありましょう。その意味で、SGI(創価学会インタナショナル)もその一員である国連NGO(非政府組織)の果たす役割は今後、ますます増大すると思います。
5  次に、「全体主義的意識に対置できるものは何か」との質問に対し、私は「個の内発的自覚」と、お答えしたいと思います。
 絶大な権勢を誇ったフランスのルイ十四世は“朕は国家なり”と言いましたが、かつてのソ連の共産党書記長の権力がそれ以上であることを擬して“朕は社会なり”と評せられたことがあります。「太陽王」ルイ十四世といえども、その力は“国家”という上層部に限られていたのに対し、たとえば、「人民の父」スターリン書記長は、社会のすみずみまで、民衆の内面までをも支配しようとしました。
 ゴルバチョフ元大統領の補佐官シャフナザーロフ氏が、「モラルについて言えば、イデオロギーはモラルをのみこんだばかりか、社会生活を規制するリストからも抹消してしまった」と述べているように、ソ連における全体主義的イデオロギーの支配は、史上、例を見ないほど徹底したもので、狂暴を極めていました。そして、その支配の在り方は、個性の存在など介在する余地のない、徹頭徹尾“画一的”で“外発的”なものでした。
 そうした七十余年間の傷痕を癒すのは容易なことではないでしょうが、やはり、てっとり早い妙案はなく、一人一人に内在する精神性の輝きを、丹念に“内発的”に掘り起こしていくことだと思います。日本には「急がば回れ」という諺がありますが、たとえ回り道のように見えても、社会の本当の意味での進歩や変革をもたらす“王道”は、そこにしかないのです。病には、対症療法だけでは、根治しないばかりでなく、かえって悪化してしまう種類のものがありますが、全体主義的意識の変革にあっても、「個の内発的自覚」という根本療法的アプローチが不可欠であると思います。
6  最後に「主権国家という従来の概念が急速に意味を失い、国境の壁が過去のものとなりつつある時代においては、まさに芸術文化こそが民族の独自性を担う主体者」とのあなたの言葉は、芸術文化への過大評価どころか、優れた文学者にふさわしい、誇り高い表白です。そこにおいてこそ、民族のエネルギーは、血で血を洗うヴァンダリズム(破壊行為)と決別し、独自の精神性の昇華した、かけがえのない“形”をとっているからです。
 ここで私たちはあらためて“文化相対主義の功績”について光を当てるべきではないでしょうか。
 いうまでもなく、「文化相対主義」とは、近代ヨーロッパ的な価値観にもとづく文化を絶対的で普遍的なものであるとする進歩史観を斥け、相対化し、欧米以外の世界の文化にも同等の価値があるとするもので、とくに第一次世界大戦以降、欧米中心の一元的世界観が崩れ、加えて、文化人類学などの先駆的業績が明らかにしてきた今世紀の大きな流れであります。
 二十世紀は「子ども」「無意識」と並んで「野蛮」を発見したとされるのも、従来「文明」に対して「野蛮」と貶下されてきた文化がじつは、独自の価値をもつことを見いだしてきた、いうなれば、歴史に対する正視眼ともいうべきものが、そこに働いているからであります。
 近代の行き詰まりや植民地主義への反省から、今世紀になって生まれてきた、欧米以外の文化にも対等の価値を見いだそうという「文化相対主義」は、ヨーロッパの知性の自浄能力、内省の力を示す、良識の帰結であったとも言えましょう。
 今は、ヴァンダリズムの嵐が吹き荒れているようなソ連の各共和国にあっても、わずかでもロシアの大地に息づく文化にふれたことのある一人として、その民族独自の高貴な精神性が秘められていることを、私は信じてやみません。大兄も、そうした民族の美質については、よくご存じのはずです。
 コント
 一七九八年―一八五七年。フランスの哲学者。社会学の祖。人間の知識には神学的―形而上学的―実証的の三段階の進歩があるとした。
 ヘーゲル
 一七七〇年―一八三一年。ドイツの哲学者。宇宙的理性が弁証法的に発展するという世界観を説いた。
 S・ダスグプタ
 一八八五年―一九五二年。インドの哲学者、インド学者。
 J・ガルトゥング
 一九三〇年―。ノルウェーの社会学者、平和学者。オスロ国際平和研究所を創設。平和学の世界的権威。創価大学名誉博士。
 コーデル・ハル
 一八七一年―一九五五年。
 ルイ十四世
 一六三八年―一七一五年。絶対王政の絶頂を極め、ベルサイユ宮殿を造営。

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