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日蓮大聖人・池田大作

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リーダーへの戒め  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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4  池田 『君主論』へのスターリンの書き込みには、こんな言葉があるのかもしれませんよ。「誠実、正直、愛情などというものは、政治的な範疇の言葉ではない。政治には、政治的な打算があるのみだ」と(前掲、長島七穂訳)。
 ご存じのように、これは、ルイバコフの『アルバート街の子供たち』に実名で登場するスターリンの言葉です。ルイバコフの描き出しているスターリン像は、作家が綿密な考証による裏付けをとっている上、想像力を駆使して作り上げているので、なかなかの説得力をもっています。たしかに、スターリンは、言葉の最も悪しき意味でのマキアヴェリズム(権謀術数主義)の化身でした。
 それにしても「偉大な指導者」への信頼、尊敬、献身といった国民的な心情が、あのスターリンのような怪物を生み育ててしまうロシア史のパラドックスには、本当に胸が痛みます。
 そうした「人治」――良い意味でも悪い意味でも――の伝統の根強いところへ「法治」の習慣を根づかせようとするのですから、ペレストロイカが、いかに壮大な、ある意味では途方もない試みであり、難事中の難事であったかがわかります。いや「……あった」などと過去形で語るべきではないでしょう。民主化(デモクラチザーチヤ)、情報公開(グラスノスチ)など、ペレストロイカの解き放った改革の数々は、暗中模索しながら、いま進行中なのですから。
 前途に楽観は許されないものの、その足を引っぱる“ロシア的伝統”なるものに、あまりこだわりすぎるのも生産的ではないでしょう。つまり、アナーキー(無政府)志向と強権支配志向との間を揺れ動き、法にもとづく秩序感覚=市民社会的伝統が欠落しているのは、たしかにそのとおりでしょうが、広大なロシアのこと、すべてを同一の物差しで推し測ることはできないでしょう。
 その点に関して、いつでしたか、モスクワ市長のポポフ氏が、ゴルバチョフ元大統領の出身地は、何百年もの間、役人や警官のいない自治の伝統の強い地域で、ゴルバチョフ氏が濃密に体現していたデモクラシー、リベラリズムは、その伝統ぬきに考えられない、と語っていたのを印象深く記憶しております。
 私も、党官僚の典型的なエリートコースを駆け上りながら、あのように思いきった、ペレストロイカという“火中の栗”を拾うような人物が出現したことに、ゴルバチョフ氏の個人的資質だけでは割り切れないものを感じていただけに、ポポフ氏の言ったことがたいへん興味深く感じられたものです。

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