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日蓮大聖人・池田大作

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「悲劇的なるもの」の恵み  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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2  アイトマートフ 人それぞれの運命を前もって定めることができると仮定して、しかもその場合に、人間が悲しみや苦しみにあわなくてすむようにすべきかどうか、もしも私が尋ねられたとしたら、というのも、私たちの基本的な志向は、要するに、かげりのない幸福の追求ですし、また、人生には困難や不幸が永遠につきものであってみれば、それも当然のことなのですが、もし仮にそういうことになったとしたら、私は、キルギス人的な言い方をすれば、無駄な悲しみから、つまり、こういう表現が許されるならば、無理に味わわなくてすむような余計な苦しみから、つまり、交通事故だとか、傷害だとか、火事だとか、崖崩れといったような、外部からの、偶然的な、付随的な不幸からは守ってほしいと頼みます。しかし、人生の途上での魂の悲劇は人間から取り除いてしまうべきではないという立場は固執したいと思います。
 悲劇性は人間の内面世界の分母です。個人の特性は、人間が真理や公正さや正義を求めて進む中で、現実世界の否定的勢力の反作用と衝突して味わう悲劇的体験をとおして、明らかになります。
 悲劇は幸福の苦い道連れであることを忘れてはなりません。人間は悲劇的状況を克服する中で破滅したり、背筋をピンと伸ばしたりします。「出口のない」という観念は実生活と芸術ではかならずしも一致しません。ジュリエットの破滅は実生活の立場からすればどういうことになるでしょうか? それは絶望であり、出口のないことであり、心弱き者の自殺です。
 ジュリエットの死は芸術においてはどうでしょうか? 一見まったく同じことのように思えますが、シェークスピアの筆にかかれば、その「出口のないこと」は反対の作用をもつ強大な力を獲得します。
 その力は魂の力であり、不屈さと容赦なさであり、確信と非妥協性です。それは同時に愛と憎しみであり、挑戦と忠誠であり、最後に、自身の命を代償にしての人格の主張なのです。
 シェークスピアの悲劇は、その「出口のない」結末にもかかわらず、つまり主人公たちの死で終わるにもかかわらず、いうまでもなく、楽天的な作品です。それはその時代の悪を糾弾する高度な悲劇です。たしかに、「肯定的な」主人公たちは「否定的な」主人公たちと戦って敗北しますが、しかし、それと同時に、ロメオとジュリエットの物語は、自由な人間でありつづけることの権利の意味を評価し理解することを私たちに教えています。
 二人はその権利のために命を捧げました。そのことによって、ロメオとジュリエットは生きている者たちにとって美しいのであり、大いなる存在なのです。
3  池田 「悲劇は幸福の苦い道連れ」とは、言い得て妙であり、私の問題提起に対するこの上ない“正答”です。その言葉に敬意を表し、かつ相呼応して、私のいちばんのモットーを紹介させていただきましょう。
 それは「波浪は障害にあうごとに、その堅固の度を増す」というものです。障害や悲劇というものは、人間を鍛え、人生に深さと強さの彩りを加えていく――つまり「堅固」さを増していくために、不可欠のものと言えます。平穏無事で何一つ障害のない人生よりも、何があっても悠々と乗り越え、乗り越えるごとに輝きを増していく人生のほうが、どれほど尊いことか――。幸福とは、まぎれもなく戦う人の、究極は自分との戦いに帰着する容赦なき戦いを厭わぬ人の頭上にのみ輝く栄冠なのです。
 そして、優れた芸術は、その悲劇的な結末にもかかわらず、否、それゆえに、芸術固有の魂の浄化によって、人生を強く、深く生きるための糧を提供してきました。だからこそ、芸術史はギリシャ劇やシェークスピア劇に代表されるように、喜劇よりもむしろ悲劇をもって、その高い峰々となしてきたわけであります。
 人々が何百回、何千回と悲劇を読み、観劇してあくことを知らないのも、ちょうど適度の運動によって肉体がリフレッシュされるように、それによって魂の新陳代謝による浄化作用がなされてきたからにほかなりません。
 ところで、あなたの『白い汽船』は、少年の純な魂が、この世の悪と理不尽に対して、死をもって抗議し告発する悲劇を扱った佳作です。ちなみに、その悲劇性に対して、読者はどんな反応を示しましたか。
4  アイトマートフ 私のところへ来た手紙で判断するかぎり、先に述べたような「批評」によって教育された一部の読者を除いて、大部分の人々は『白い汽船』の悲劇的な結末を正しく理解してくれました。
 その結末が避けられなかったのは、顔ががさがさで足の不自由なお婆さんがそれを「予言」したからではなく、少年の姿をとった善が悪と両立できなかったからです。少年はあくまでも、悪に対して断固とした態度を崩しません。その非妥協性を貫いたまま、少年は「魚となって泳ぎ去って」しまうのです……。
 少年が読者の心に泳ぎ着いて、そこに避難所を見つけることができたとしたら、そこにこそ少年のもつ力を見ることができるのであって、「出口のなさ」を表しているのではないのです。率直にいって、私はこの少年を誇りに思っています。
 ところで、たいへん驚くべき出来事がありました。一九八九年のことですが、私は北京にいました。ゴルバチョフの訪中使節団の中の文化人の一人としてでした。私たちの宿舎はホテルではなく、周囲を厳重に警護された公園の中の政府の官邸におかれていました。
 長い飛行機の旅の後で疲れている上に、すべての人から、一緒に来た仲間からも隔離されてしまったような状態で、私は暗い、空虚な気分にとらわれたまま、しばらくその独立家屋の部屋部屋を目的もなく歩き回っていましたが、もう寝ようと思ったとき、突然、電話の一つが鳴り始めました。
 私は、ひどくびっくりしました。北京には私にとって知人は一人もいなかったからです。もっと驚いたことに、受話器を取ると、キルギス語の挨拶の言葉が私の耳に飛び込んできました。若い、明るい声で、相手は私に「《アタ》アクサカール(父上よ)」と呼びかけてきました。そこで私は尋ねました。
 「息子よ、おまえはだれかね?」「僕ですか?」と相手はしばらく返事をためらった後で、「僕がだれだかわからないのですか? 僕は『白い汽船』の中の、川を流れ去ったあの男の子ですよ」
 もちろん、相手がふざけていることはすぐにわかりました。私もその冗談に乗りました。「じゃ、その後、どうなったのかね? どうしてここにいるのかね?」「その後はですね。僕はつまり、一つの川から別の川に流れて、流れに流れて、中国に流れ着きました。そして大きくなって、北京大学へ入りました」「そうだったのか。それは良かった。つまり、君は元気で、もう大学生だというわけだね?」「そうです。僕はもう大学生です。そしていま北京にいるキルギスの学生を代表して電話を差し上げているというわけです。どうしてもお会いしたいと思います。仲間たちがラジオであなたが北京にいらっしゃると知って、あなたに頼み込む役を僕に押しつけたのです。僕が『白い汽船』を通じてのあなたの息子だからです」
 私は驚き、同時に感動して、すぐさま同意しました。
 「わかった。わかった。私の息子よ、かならず行く」
 私たちは会う場所と時間を打ち合わせました。そして、その翌日の朝、私は市の中心部の、約束した、とある大きなホテルの前で車を降りました。ホテルの前の雑踏を見て、私は少し心細くなりました。そんな人込みの中で、キルギスの田舎から来た私の同国人の学生たちを見つけだせるだろうかと思いました。すると学生たちのほうが私に近づいてきました。
 出会って、挨拶をして、紹介し合っている間、私は『白い汽船』の青年はだれだろうかと考えつづけました。そして、驚くなかれ、正確に言い当てました。学生たちは全部で三十人ばかりの男女でした。
 皆同じくらいの年齢で、生き生きしていて、愛想が良くて、眼を輝かせていました。写真機のシャッターが鳴り、撮影機が回っていました。そのうちの一人がとりわけ感動しているように見えました。そこで私はその青年に言いました。
 「イシククリから中国まで川を伝って来たのは君かね?」
 「そうです」。青年はそう答えて、明るく笑いだしました。「昨夜、お電話を差し上げたのは僕です。すみません」
 それから話ははずみました。そこで私は尋ねました。
 「それにしても、どうして君は『白い汽船』の中の人間だなどと私に言うことにしたのかね?」
 「あの子には死んでほしくなかったのです。死んではならないと思いました。そこで僕はあの少年の運命を自分で引き受けることにしたのです」と学生は答えました。
 「それはもっともなことかもしれない」と、私は同意しました。「しかし小説では、私は少年の悲劇を示そうとした。おそらく、少年は抗議の印に死なざるをえなかった。なぜかと言えば、悪に打ち勝つためには、少年にはそれ以外の方法はなかった。彼の心はあまりに清らかすぎたからだ」
 「それはわかります」と私のキルギスの学生は答えました。「僕にも、自分が彼に成り代わる以外にあの子を助ける手立てはありませんでした。あの子にはどうしても溺死してほしくなかったのです」
5  池田 本当に感動的なエピソードですね。「事実は小説より奇なり」と言いますが、そこでは、小説のフィクションと事実とが重なり溶け合い、巧まずして一つのストーリーを織り成しているようです。その学生が、小説中で少年に死んでほしくなかった、というのもわかるような気がします。
 しかし、そうした悲劇的な結末にもかかわらず、その学生は『白い汽船』を読むことをやめないでしょう。敷衍して言えば、悲劇を悲劇と知りつつ、人々はそれを読み、観劇することをやめないでしょう。そこに、悲劇というものが、かくも世界の人々から愛しつづけられてきたゆえんがあります。
 とはいえ、悲劇的なるものの受け取り方が、経験豊かな批評家とごく普通の読者とではそのように違うということは、原則的にどういうことだとお考えですか?
 アイトマートフ おそらく、前者は作家がどう現実を見、描いていくべきかまで「知っている」ほど「経験豊か」でいらっしゃる人たちで、後者は真実を、本当の真実を求めているにすぎない「普通」の人たちだということでしょう。
 悲劇は共同参加を要求します。そこにこそ悲劇の真骨頂があるのです。いうまでもなく、私たちの社会も我々自身も、今や悲劇というジャンルの中に生きています。それは個人だけではありません。人類全体が悲劇に遭遇しているのです。ここから逃げることはできません。お決まりのハッピーエンドの文字の中に隠れていることはできないのです。それを克服するということは、みずから危険を冒すということであり、必要ならば、誠実で、高潔で、心清らかな人々、つまり英雄たちが味わっていることを、みずから体験することです。
 よく知られているように、悲劇は芸術の最高の形式です。現代文学はその旗印のもとに発展するように思います。
6  池田 そう思います。しかし「善」と「悪」は社会的に具体的な概念です。どちらも時代の枠の外には存在しません。おそらく、現代の悪は、過去の時代の人々には信じられないでしょう。
 芸術家は現代の「悪」の本性と本質をどのような手段によって描いたら、二十世紀の人間の想像力を揺り動かすことができるのでしょうか? あなたがおっしゃるように、実際の現実は想像を絶しています。それはどんな空想小説よりも恐ろしいものです。というのは、それが現実だからです。
 アイトマートフ たしかに、今日、芸術の力で人間を揺り動かすのは容易ではありません。ファシズムとの恐ろしい戦争を体験し、広島と長崎の悲劇を経験し、地球の多くの地点で行われている日常的な残虐行為を知っている人類の痛閾は大きく変化しました。
 一例として、「黙示録」を考えてみてください。つい最近までそれは人々の想像力を揺さぶり、古代の預言者兼詩人が次のように想像した「世界の終わり」の光景によって、人々を恐怖のどん底におとしいれました。
 「いなごの姿は、出陣の用意を整えた馬に似て、頭には金の冠に似たものを着け、顔は人間の顔のようであった。また、髪は女の髪のようで、歯は獅子の歯のようであった。また、胸には鉄の胸当てのようなものを着け、その羽の音は、多くの馬に引かれて戦場に急ぐ戦車の響きのようであった。更に、さそりのように、尾と針があって、この尾には、五か月の間、人に害を加える力があった」(前掲『聖書』新共同訳)
 もちろん、芸術の目的は読者を「脅す」ことではなくて、人々が生きることに対する絶望や恐怖に打ち勝つのを助けることであり、人々の心に気高い感情を呼び起こして、「悪」がどのような形態をとり、どのような仮面をかぶろうと、その「悪」に抵抗することを可能にすることです。そのこととの関連で、現代の現実認識を最も完全に表現しうるジャンルとして、悲劇の問題が想起されているのだと思われます。
 池田 ところで、新しいシェークスピアが生まれてくると思いますか?
 アイトマートフ 以前、私は音楽家のドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチにそのような質問をしたことがあります。その時のショスタコーヴィチの考えに私は驚き、かつ感心しました。
 それはこういうものでした。現代の世界には新しいシェークスピアが生まれてくるための多くのチャンスがある。なぜならば、人類はいまだかつてないような精神の万能化に到達している。それゆえに、もしも偉大な芸術家――シェークスピアのような――が現れれば、彼は、音楽でのように、全世界を自分一人の中に表現することができるだろう……。
 この会話は歩きながらのものでした。私は後に、自分一人になったとき、その言葉の意味を理解しました。ショスタコーヴィチは文学に人生の包括的な、「音楽的」な普遍化を期待していたのでした。
 自分一人の中に全世界をとらえること……。
 たとえ到達不可能な課題であるにしても、芸術家にとってこれ以上大きな夢はありません。
 ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ
 一九〇六年―七五年。旧ソ連の作曲家。

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