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日蓮大聖人・池田大作

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ロシア文学の伝統と特徴  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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1  池田 あなたの作品を貫く一つの主題として、いわばある崇高な存在への、真摯な「求道」の姿勢があるように思えてなりません。つまり「人間いかに生くべきか」「善良な人々がなにゆえにこれほどまで苦悩の淵に沈まなくてはならないのか」「力が正義なのか、正義が力なのか」など、社会の不条理の中で自己の理想を貫いていくことへの、渇きにも似た希求があふれているように思われます。
 それは「真実なるもの」「善なるもの」へ向けられた、人間の精神力の激しいほとばしりと言ってもよいでしょう。
 これは、芸術の中にたんに筋書きの面白さや美的価値だけではなく、人々が生きていく上での糧や指針を求めていく、トルストイやドストエフスキーに代表される十九世紀のロシア文学に、さらに言えば、「わが文学の歴史は殉教者の歴史であり、あるいは苦役の記録である」(『ロシヤにおける革命思想の発達について』金子幸彦訳、岩波文庫)というゲルツェンの言葉が示しているように、つねに国民の苦悩と運命とを担うことを宿命づけられてきたロシア文学全般に通底しているのではないかと思うのです。
 ピーサレフや晩年のトルストイに見られるような激しい芸術否定論なども、こうした宿命が生んだ半ば必然的な帰結、いわば庶子と言えるのかもしれません。
 このようなロシア文学の伝統と特徴は、今なお尽きせぬ魂の力の輝きを放っております。私にはあなたの文学も、こうした伝統のきわめてオーソドックスな継承者であり、かの文豪たちの衣鉢を継いでおられるものと感じられてならないのですが、いかがでしょうか。
2  アイトマートフ あなたが今、簡潔に述べてくださったことに関連してぜひ申し上げたいことは、ロシア文学についてのあなたのご指摘は、私たちの多くの者にとってこの上ない名誉である、ということです。
 あなたのご意見についての私の考えは次のようなものです。ロシア文学の重要な特徴の一つが、真実や正義への渇望であり、そのことがロシア文学の性格を規定して、苦悩、探求、人間性の発見等を内容としている、ということはあなたのおっしゃるとおりです。
 さらには、ドストエフスキー言うところの「人間の中に人間をできるだけ多く発見する」という道徳的・哲学的傾向もそれに加えることができます。
 しかし、ドストエフスキーのその思想の源は、いうまでもなく、もっと古いものです。「私は自分の周囲を見回した。私の心は人々の苦悩に切り裂かれた」。これは十八世紀のラジーシチェフの言葉ですが、私はこの言葉をロシア文学全体のエピグラフ(題辞)にしたいと思います。
 人間の問題は文学の根幹中の根幹です。その文学は――現代の意識をもってしては、その決意が並外れた勇気を必要としたことなどまったく信じられないことですが――あえて「どんな人でも苦悩を知っている」ことを主張しました。私はカラムジンの『哀れなリーザ』のことを言っているのです。
 いったい、どこにそんな勇気が必要だったのか、と思われるかもしれませんが、文学が「言葉のわかる動物」――古代ギリシャ人は奴隷をそのように見なしていました――の中に初めて人間を見いだしたということにです。そのことによって十九世紀初頭のロシア帝国の奴隷制的社会の土台がぐらっと揺らいだのです。
3  世界的に見てみれば、たとえばイギリスでは早くも十三世紀以来、民主主義が発達しつつあったというのに、十九世紀になってもまだ、ロシアには「農奴制」が存在していました。
 そのようなわけで、十九世紀のロシア文学は「個」の確立のための、人間的尊厳――それは自由によって鼓舞された知性だと私は思いますが――の確立のための戦いの一形式として発生し、発達しました。
 『虐げられし人々』(ドストエフスキー著)のテーマはもっと後に発生したものですが、それは疑いもなくゲルツェンの「だれの罪か?」という問いに対する答えでした。それは「永遠の問題」です。それには永遠に答えつづけなければなりません。思いますのに、「黙ってはいられない」はトルストイ自身が体験した灼熱の真実であり、灼熱の良心です。
 トルストイは「読者をして人生の多面的な現れのすべてを愛させるようにする」ことを芸術の最高の課題と見なしていました。その真実や良心の灼熱が偉大な芸術家・思想家であるトルストイを全体主義国家の非人間性との、公認教会との妥協なき戦いへと導きました。
 「あらゆる仮面の容赦ない剥奪」――これもトルストイの言葉です。真に魂の巨人にして初めて「時代」の支配的な機構に戦いを挑むことができただけでなく、結局のところ、それに打ち勝つことができたのです。
 ピーサレフ
 一八四〇年―六八年。ロシアの評論家。
 ラジーシチェフ
 一七四九年―一八〇二年。ロシアの著作家、哲学者、詩人。革命思想によって専制政治に対抗した。
 カラムジン
 一七六六年―一八二六年。ロシアの作家、歴史家。言語を改良し、文学の大衆化に寄与。
 農奴制
 封建社会において、領主に隷属し、移転の自由がなく、領主から貸与された土地を耕作する農民を基とする制度。
4  池田 「ヴィクトル・ユゴー文学記念館」の開館式に駆けつけてくださった折、あなたは、トルストイの孫であるセルゲイ・トルストイ氏と親しく言葉を交わされておりましたね。その情景にふれて、私も胸に迫るものを感じました。
 クリミヤで静養中だった文豪トルストイを訪ねたチェーホフも「途方もなく大きな人。〈ジュピター〉、他の人間の上を天駆ける鷲」(タチャーナ・トルスタヤ『トルストイ―娘のみた文豪の生と死』木村浩・関谷苑子訳、ティビーエス・ブリタニカ)と書いています。
 まさに彼は、あらゆる意味で“途方もない人間”であったと思われてなりません。文学史上に残した作家としての業績のみならず、青年時代のあの覇気と情熱と享楽の途方もなさ、しかもそれをねじ伏せようとする精神的膂力の途方もなさ、原始的生命へ還らんとするエネルギーの途方もなさ。そして、あなたも指摘なさったように、この世の政治的権力・宗教的権威といった支配機構に対して徹底して戦いを挑んだ、その反抗心の途方もなさ。八十二歳の高齢にしてなお、家を出て、どこまでも「道」を求めようとした、その途方もない心の若さ……。
 トルストイという人間存在は、あらゆる意味で規格外であったと言ってもよいでしょう。この巨人の威容は、人間が矮小化しつつあるかに見える現代にあって、まさに一つの驚異であり、衝撃ではないでしょうか。大トルストイの途方もなき生の全体は、そのまま「人間復活」への永遠の揺籃たり得るのではないかと思います。
5  アイトマートフ たしかに、十九世紀ロシア文学におけるトルストイの出現は、特異な現象です。しかし、偶然だとは言えません。その出現が不可避であり、歴史的必然性によるものであったことは、それに先立つ社会思想発展の全行程によって説明されます。
 それは、現在の一部の人々が過去の歴史をいかに理想化しようとも、厳しい抑圧の時代であり、自由な意思表明が、たとえそのわずかなほのめかしであれ、弾圧されていた時代を背景にしていました。現在において、ロシア作家に運命づけられたそのような特異な使命を担うことになったのが、ソルジェニーツィンです。
 私はあなたが引用なさったゲルツェンの言葉に賛成です。ただ付け加えたいことは、「殉教者」として真っ先に名を挙げるべきだと思うのは、考える民衆の一部としての作家たち、民衆のためと自分のためとの二重の「懲役」の苦しさを味わっていた作家たちだということです。
 作家は個人の自由を主張し、民衆の痛みを自分の痛みとしつつ、自分を、つまり、言論に対する権利を主張しなければなりませんでした。この場合、危険について語るだけでは足りません。真実の言葉は、市民的勇気を要求する行為と同じ意味をもっていました。
 ここでふたたびソルジェニーツィンに戻ります。彼の名前は今、私にはソルジェニーツィン対全体主義、ソルジェニーツィン対スターリンという関係の中で思い浮かびます。これはともに対立する大人物であり、黙示録的世界の産物です。ソビエト帝国において全能の悪の巨大な現れが、二十世紀後半のロシア作家ソルジェニーツィンという、言葉において同じように巨大な、決して妥協しない論敵をもったのです。
 ロシア文学には彼の遠い先駆者がいる、と私は思います。それはだれでしょうか? アヴァクームです。情熱的な主席司祭で、潔癖を重んじ、狂信的に信仰と真実を守った人、アヴァクームは、官製的なものに対する非妥協のシンボルです。
 ついでに言えば、トルストイがなぜこのアヴァクームを尊敬していたかはよく理解できます。アヴァクームはロシア文学のむきだしの伝統であり、別の面から見れば、みずから感じ取り、苦しみぬいてつかんだ霊性を体現しています。
 彼はみずからの生き方によって、真実の言葉は命より尊いこと、真実のない人生は人生でなく、言葉の値は、そこでは命の値であることを証明しました。
 チェーホフ
 一八六〇年―一九〇四年。ロシアの小説家、劇作家。
 ジュピター
 ローマの天空神で、最高至尊の神。
 アヴァクーム
 一六二〇年―八二年。『自伝』は十七世紀ロシア文学の傑作。
6  池田 アヴァクームといえば、十七世紀、ロシア正教会に反抗したラスコーリニキ(分離派)の指導者ですね。ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公の名前(ラスコーリニコフ)が、その運動にちなむ名前であろうことについては、わが国でも種々議論の対象となりました。
 むきだしの権力の前に、民衆はつねに徒手空拳です。唯一の武器は「言葉」です。破門され、迫害され、追放されればされるほど、言葉は鍛えられ、磨かれる。先ほど話題に挙げたヴィクトル・ユゴーも、暴君によって圧迫されればされるほど、言葉は「花崗岩のような硬さ」をもつ、と語っています。
 たとえ火刑に処されようと、言葉は残る。ときに人が、命に代えてまで言葉を守ろうとするのも、それゆえにほかなりません。
 人間にとって、言葉は永遠の武器であり、最強の兵士です。と同時に、前にも強調しましたように人間は“言葉の海”の中で人間になる。仏法でも「声仏事をなす」と言いますが、語られる言葉とは人間の生の本質と密接にかかわっています。その意味で、人間は「ホモ・ロクエンス」(言葉をもつものとしての人間)であると言ってもよいのです。いみじくもゴルバチョフ氏が語ったように、言葉の力を信じられるか否か――そこにこそ、人間としての生の機軸があるのではないでしょうか。
 今日にいたる危機の本質は、そうした言葉のもつ力の衰弱、言葉に寄せる人間の信頼の衰えにある、と私は思います。
 言葉の危機は、そのまま人間の危機にほかなりません。言葉とは、たんなる記号でもなければ、符丁でもない。その背後には、その言葉では容易に把握することのできない広大なる意味論的宇宙が広がっている。いわゆる言葉のもつ“ふくらみ”です。そうした含意性が、ことのほか希薄になってしまったのが、科学至上主義の現代の特徴なのです。
 言葉の背後に広がる宇宙の深さに思いをいたさず、符丁のごとくに言葉を軽々に取り扱い、じつのところ言葉の力の偉大さと怖さにいっこうに気づこうとしない人には、命の値に匹敵するほどの言葉の値など、顧慮することさえ不可能なことでしょう。
 過去を振り返ってみるとき、つねに人間と言葉とのかかわりに、いわば“活”を入れてきたのが、優れた文学者でありました。そこに、人間の歴史における文学というものの究極の役割もあると思います。
 ところであなたは、キルギス語とロシア語の二つを母語としてお育ちになったと聞きますが、作品の創作にそのことはどのような作用をおよぼしているとお考えですか。
 アイトマートフ 私自身は、ロシア語を使う作家ですから、もちろんロシア文学に属します。
 しかし、この問題は特別で、文学的実践の中ではある種の新しさをもっています。つまり、私はロシア語で書く人間でありながら、自分の民族的な所属という事実を拠り所にしています。何を書くにしても、キルギス語と私の民族的な世界観は、私の自己表現にいつもついて回っています。キルギス語とロシア語は、ともに私の母語です。この二つの言語は、私を豊かに育ててくれた、いわば二人の母親のようなものと言えます。これは、運命的なものだと思います。

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