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日蓮大聖人・池田大作

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ロシア革命観をめぐって  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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2  アイトマートフ 問題は、ロシア革命が「計画された」最初の革命であったということよりはむしろ、一般に歴史は計画することのできるものかどうか、ということにあると思います。たとえ、乱暴に言って、全人類を幸福にする、というような、この上ない高邁な目的をもったとしてもです。
 今仮に、私自身が革命家になったとして、私はどんな思考回路をたどるでしょうか。おそらく私はこう考えるでしょう。
 ――夢をいだき、理想を求めるのは人間として素晴らしいことだ! それも全人類を幸福にするための理想なのだから! ただし、歴史の発展には決まった法則がないというのがやっかいなんだ。いや、法則がないはずはない。よく考えれば、かならず法則は見つかる。ふむ……よし、これが歴史の発展法則にちがいない。ついに発見した。いや、待て。この法則で正しいのだろうか? だいじょうぶ、心配しても始まらない。それにあれこれ吟味している時間などないのだ。革命の時は迫っているのだから――。
 私は皮肉を言っているのではありません。当時の革命家たちは、「古い」世界を根底から破壊することが自分たちの使命だと誠実に信じて行動したにちがいないのです。
 ただその破壊の後のことまで熟慮できたのか、という疑問が依然として残ってしまいます。
 とは言っても、起こってしまったことを、後から云々するのは容易なものです。今なら、いかようにも批判できるものです。
 次のような問いかけすらたやすくできます。「革命をする必要があったのだろうか?」「一九一七年の革命がなかったら、どうなっていただろうか?」等々。
 しかし歴史は仮定法では存在しません。「進歩」に関して言えば、私が支持するのは「飛躍」でもなく、歴史の階級の数段の跳び越えでもありません。
 私が支持するのは「大進化」です――これは長編小説『われら』の作者であるロシアの作家エヴゲーニイ・ザミャーチンが使った表現だったと思います。
 ところで、有名な「コロコル(鐘)」紙の発行人(ゲルツェン)は、フランス革命について考察した思想家であり、文学者でした。彼の次の言葉は、現在でも意義を失っていないのみか、場合によってはより大きな意味をもつようになっているかもしれません。
 「人間の神聖な権利を回復し、自由を獲得しようとのフランス人の試みは、完全な人間的無力さを露呈した……。我々は何を目撃したのだろうか? 粗野な無政府主義的本能が解放されつつ、すべての社会関係を破壊して、動物的自己満足を味わっている……。しかし無政府状態を鎮め、政権をその手に固く握る力強い人間が出現するであろう」
 一方、ナポレオン自身は言いました。
 「革命を行ったものは何か? 名誉欲だ。革命を終わらせたものは何か? やはり名誉欲だ。我々にとって『自由』は群衆をだますためのかっこうの口実だった!」
 これはイワン・ブーニンの『呪われし日々』からの引用です。ブーニンはオデッサでの革命の直接の目撃者でした。
 エヴゲーニイ・ザミャーチン
 一八八四年―一九三七年。『われら』で共産主義を批判。
 イワン・ブーニン
 一八七〇年―一九五三年。ロシアの小説家、詩人。ロシア人初のノーベル文学賞受賞。
 オデッサでの革命
 オデッサは黒海に面するウクライナの都市。ここで、一九〇五年、ロシア革命に先立って、戦艦ポチョムキン号の反乱が起こった。
3  池田 しかし、ロシア革命を行った人々に関しては、「勇気も人格も申し分のない騎士」と呼ばれているのではないですか?
 アイトマートフ ええ、そうです。彼らはある意味では「騎士」だったのかもしれません。ただし、彼ら「騎士」につづいて、革命を行った民衆を脅かすために、血まみれのテロ機構を始動させる人でなしがやって来たのも事実です。そしてそのテロ機構はすべての人を食い尽くします。初めは「騎士」を、ついで民衆を、最後には死刑執行人さえも餌食にします。残念ながらそれが歴史の法則でした。
 したがって悪しき体制をくつがえすことは立派な行為ですが、しかしそれが成功するという保証がないかぎり、人間を材料にして実験を行うことになってしまいます。
 池田 処刑された「騎士」の一人であるブハーリンの最終弁論は、その悲劇性をのぞかせて、思わず胸をつかれます。
 「三か月の間私は黙秘し続けて来て、それから陳述し始めました。何故でしょうか? それは、監獄にいた間、私は自らの全過去の再評価をしたからです。何故なら、あなたが自問するとします、『もし死なねばならぬものなら、お前は何のために死のうとしているのか?』と。――するとその時、突然全き暗黒の虚空が驚くべき鮮烈さをもって、あなたの前に立ち現れます。死ぬ理由など何もありはしないのだ、もし人が懺悔せずに死ぬことを欲するのであれば」(ソ連邦司法人民委員部・トロツキー編著『ブハーリン裁判』鈴木英夫訳、鹿砦社)と。
 もとより、ブハーリンの「自白」はデッチ上げであるわけですが、それを拒否して「暗黒の虚空」にのみこまれる恐ろしさよりは、虚偽の「自白」を行うことによって「ソ連邦に輝き渡っている一切の積極的なるもの」(同前)に浸ったほうがよい。「これが、結局私をして完全に武装を解かしめ、党及び国家の前に跪かしめました」(同前)と。
 「騎士」ブハーリンにとって「党及び国家」は、それなくして一切が無に帰してしまい、己の生き死ぬ意味さえなくなってしまう絶対的存在、まさに宗教的意味合いをもっていました。
 そうした状況の中で、いかに多くの優れた革命家たちが、虚偽の“自白”に追い込まれていったか、イギリスの作家アーサー・ケストラーが『真昼の暗黒』で、じつに不気味に描き出した“疑似宗教”としてのイデオロギーの怖さがそこにあります。ブハーリンにしても、おそらく、冷めた“もう一つの眼”は、党や国家の無謬性や絶対性が神話にすぎないことを、見破っていたであろうにもかかわらず……。
 ところで「老ボルシェビキたち」は、刑場へ連れられて行くとき、彼らがどのように悲劇的な歴史的過ちを犯したかを理解しなかった、とあなたは考えていらっしゃるわけですか?
 ブハーリン
 一八八八年―一九三八年。旧ソ連の政治家。スターリンに粛清された。
 アーサー・ケストラー
 一九〇五年―八三年。『真昼の暗黒』はスターリン時代のソ連の政治、裁判の暗黒を描く。
4  アイトマートフ それを最初に理解したのはレーニンだと私は思います。そのことが彼をひどく苦しめました。またそのことが彼の死を早めました。
 レーニンの悲劇は、それこそまさに心の奥底を揺り動かすものです。彼が最後の瞬間、息を引き取るときに何を考えていたかを思うと、身の毛が逆立ちます。もし生きていたら、「別の道」を進んだでしょうか? 疑問につづく疑問……それらには答えがあるでしょうか? また答えが可能でしょうか?
 最近私は驚くべき予言を内容としているニーチェの文章を読みました。彼は前世紀の末に、目的達成のための手段が宿命として登場する場合の、未来の社会主義の恐るべき本質を予見しています。そしてそれは私たちが歩んだ破滅の歴史によって裏付けられています。彼が言っている次のような事柄が頭から消えません。
 「手段に関する社会主義。社会主義はほとんど過去のものとなってしまった専制政治の奇怪な弟であり、それを受け継ごうとしている。だから社会主義が求めていることは深い意味で反動的である。なぜならば、社会主義は、最も極端な専制政治のみがもつ完全な国家権力を求めて強く望んでいるからである。しかも、社会主義は個人の整然とした破壊をめざしていることによって、すべての過去を凌いでいる。個人は社会主義にとっては不適当な自然のぜいたくであり、社会主義はそれを改革して、集団の適切な機関にしようとしている。社会主義は、つねに極度に発達した権力の近くにその血縁関係のために現れる。それは、古い典型的な社会主義者プラトンがシチリアの専制君主の宮廷にいたのと同様である。社会主義は独裁君主的な強力な国家を歓迎する――場合によってはそれに協力する――。なぜならば、すでに述べたように、その相続人たることを望んでいるからである。しかし、その遺産すら、社会主義の目的にとっては不十分かもしれない。社会主義は、絶対国家に対する全市民の、いまだかつてなかったような忠君愛国的服従を必要としている。しかし、もはや国家に対する古い宗教的な畏敬は期待できないために、それのみか必然的にその排除を促進せざるをえないために――なぜならば現存する全国家の一掃をめざしているために――社会主義には、最も極端なテロリズムの助けによる短期間の偶然的な生存しか期待できない。それゆえに、社会主義はひそかにテロ政権への準備を進め、教養のない大衆の頭に、釘のように『正義』という言葉を打ち込む。それは、大衆の理性を完全に奪い――その理性が無教養の重病のためにだめになった後で――大衆の心に彼らがやらなければならない邪悪なゲームのための良心を吹き込むためである。社会主義は、国家権力のあらゆる蓄積の危険性を、とくに乱暴に、印象深く納得させ、その意味で一般に国家への不信を起こさせるために役立つかもしれない。そのしゃがれ声が、『もっと多く国家を』という喊声に結合するとき、初めはその喊声はいまだかつてないほど騒々しくなるが、やがて、正反対の『より少なく国家を!』という喊声が一層強く響きわたることになろう」
5  池田 『人間的な、あまりに人間的な』の中の一節ですね。たしかに、社会主義的な国家や権力の悪に対する驚くべき洞察です。『国家と革命』におけるレーニンの予見とは裏腹に、社会主義社会における国家・権力は、「死滅」どころか「肥大化」する一方であったことは、ニーチェの洞察の先見性を見事に証明するものです。
 私は、なぜそのような洞察がもたらされたかについて、“神の死”を宣告した哲学者ならではの、ヨーロッパ近代の宿命であった無神論というものへの把握の深さがあったからだと思います。神なき時代にあって、社会主義イデオロギーなどが、メシア的色彩を帯びて立ち現れると、つねに「意味」に飢え、渇望している人間・個人にとって、どのような運命が待ち受けているかについての――。
 ちなみに、これはドストエフスキーにとって、社会主義とは第一義的に無神論の問題であったことと、同じ質の深さをもった問題です。その洞察の深さゆえに、ドストエフスキーは『悪霊』が典型的に示しているように、社会主義の未来について驚くほど的確に予見することが可能となったのです。そこに“ロシア革命の鏡としてのトルストイ”を超えて“ロシア革命の予言者としてのドストエフスキー”と言われるのも、ゆえなきことではありません。ニーチェが『悪霊』のキリーロフに、異常なまでの興味と親近感をもっていたことは、日本でもよく知られています。

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