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文学と政治のかかわり  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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2  アイトマートフ 驚くべきことに、作家と科学者には相通ずるものがあります。アインシュタインの『自叙伝』の一節を引用しましょう。
 「ショーペンハウエルと同じように、私は、まず第一に、芸術や科学へと導くもっとも強い動機の一つは、日常生活の耐えがたい残酷さやどうしようもない空虚さから逃れたいという願望であり、つねに変化してやまない自分自身の気まぐれの枷から逃れたいという願望であると思う。その原因が繊細な心の琴線をもつ人々を、個人の生活から、外の、客観的なイメージや理解の世界へと押しやるのである。この原因は、都会人を騒々しい濁った環境から、静かな山岳地帯の、目が不動の澄んだ空気を通して永遠のものと思えるおだやかな輪郭を楽しむことができる風景へと抗しがたく引きつけるノスタルジア(郷愁)になぞらえることができる。
 しかし、このネガティブ(消極的)な原因に積極的な原因が加わる。人間はなんらかの適切な方法で自分の中に世界の単純かつ明瞭なイメージを創ろうとするものである。そして、それはたんに、みずからが創り出したイメージによってこの世界を乗り越えようとするためばかりではない。それに従事しているのは芸術家、詩人、理論にふける哲学者、それに自然科学者である。それぞれがそれぞれにそれを行っている。人間はそのイメージとその仕上げに自分の精神生活の重心を移す。そのイメージの中で心の安らぎと確信を得るためである。それらはあまりに窮屈で目まぐるしく移り変わるみずからの生活の中では見いだすことができないものである」
 学者であるアインシュタインの無神論は有名で、ことに客観世界を重視する傾向はいなめません。この文章を読む上でそのことを考慮しないわけにはいかないにしても、内的本質において、両者の観点は一致すると思います。それのみか、お互いに補い合っています。
 ここでアインシュタインが芸術家を非芸術家、つまり「都会人」と比較し、両者ともに「日常以外の」世界への抑えがたいノスタルジアを感じていると見ている点に、私はとくに注目しています。なぜなら、もし私の理解が間違っていなければ、アインシュタインは、芸術家と非芸術家を共通項で結ぶことで、それとは知らずに仏教教学の本質に迫っていると思われるからです。つまり、前者と後者に優劣を認めないという意味でですが。
 池田 そのとおりです。あらゆる面における人間の本質的平等の主張は、「才能のある人」と「才能のない人」の上下関係を認めないということも含めて、私たちの哲学の基本点の一つです。ここから私たちにとっては「詩人」の使命はまったく別のものになります。詩人は、いってみれば、政治に雇われているものでもなければ、政治に奉仕するものでもありません。
3  アイトマートフ ところで、ブロークの次のような考えはどう思いますか?
 「私が思うに、この詩(『アッチス』のこと)のテーマは、普通言われているように、カトゥルスの個人的な情熱だけではない。むしろその反対のことを言わねばならない。カトゥルスの個人的運命は、すべての詩人の情熱がそうであるように、時代の精神によって満たされていた。その運命、リズム、韻律は、詩人の詩のリズムや韻律と同じように、時代によって吹き込まれたものである。なぜならば、現実の詩的把握には個人的なものと一般的なものとの間の断絶はない。詩人の感覚が鋭ければ鋭いほど、彼は『自分のもの』と『自分のものでないもの』とをますます不可分のものとして感じ取る。それゆえ、嵐と不安の時代には、詩人の魂のデリケートでごく私的な希求は、嵐と不安に満たされているのである」
 カトゥルスの発想は、本人は意識していないと思いますが、私にはとても仏教に近いように思われます。それは、天才的な『メタモルポーセス(変身譜)』の作者オウィディウスも同様です。
 そして皇帝により、オウィディウスは政治的理由によってスキタイ人のもとに追放されました。一つの原因となったのは『愛の技術』でした。それによって若い世代を堕落させたというのです。
 池田 芸術と政治の交差を証明する非常に説得力のある例です。
4  アイトマートフ そうですね。愛の賛美が政治に敵対するのですから。
 もっとも、冷酷な独裁と叙情詩とは原則的に相容れないものです。
 私個人に関して言えば、そもそも不本意になった政治家なのです。自分が何かの運動の「旗手」だなどと考えたこともありませんし、またそのような自分を思い浮かべることもできません。私は「ペレストロイカ」という言葉は仮につけられた名称にすぎないと思っているのです。
 それよりも私にとっては私たちの社会をより人間的にする絶好のチャンスが到来したという現実のほうが大切でしたから、行動しました。人間的な社会の実現のためには、私が政治も含めた文芸以外の場で先頭に立つことも天の定めだったと思います。
 また人々の期待の声を無視することは私にはできませんでした。ただしいうまでもなく、私が社会に覚醒を呼びかけようとする時、私はあくまで文学者なのです。「ペン」を「剣」とすることはあっても、「ペン」を捨てて「剣」を取ることはありえません。
 総じて、私は、「文学と政治とのかかわり」の問題について質問したり、それに答えたりすることなどだれの頭にも思い浮かばないような、そういう時代に憧れています。
5  池田 ここにいたってあなたの問題意識の所在がはっきりしてまいりました。
 あなたは、ひとことで言えば、芸術を必要としないような理想社会を心に描いているようです。それは、文学が、あらためて人生や、社会や世界の在り方といった普遍的な問題を論じなくともすむような社会――芸術家が芸術家の名前において社会にかかわっていく必要のないような一つのユートピアということになるのでしょう。
 そこで思い出されるのは、プラトンの『国家篇』における詩人追放論です。プラトンは、芸術を、理想の国から追放しました。その理由としては、ご承知のとおり、芸術が理想の影の模写(ミーメーシス)にすぎず、魂の低劣な部分の作用を引き起こして理知的な部分を阻害し、さらに感情をたかぶらせて感情に左右されやすくすることといったことが挙げられております。
 いうまでもなく、プラトンは、芸術そのものを否定してはおりませんし、むしろ、彼自身が偉大な詩人であったと言えます。そのプラトンが、なぜこのように厳しい詩人追放論を展開したのでしょう。それは彼が、まさにあなたの志向するような理想社会を追求したからなのです。
 文学は、哲学が出現するよりもずっと古くから、戦争の叙述や英雄譚などをとおして、理想的な生き方や人間像などの規範であり、さらに宇宙や神々、政治、軍事といった百般にわたる問題の手本でありました。しかし、プラトンは、そうした役割を、文学から哲学へと移そうとしたのです。そして、文学がそうした現実問題に手を染めなくてもいいような理想国家の建設を志向したのです。
 そのプラトンの理想とは、人間の内なる国制、つまり魂における「正義」を基として、国家における「正義」を描き出しました。こうした内なる魂と外なる国制とが一致するところに人間と社会の幸福や理想があるのだと説き、さらに追求すべき最高の価値として、善のイデアを説いております。
 このような理想的な国家と、指し示された最高価値の全体が、一つの巨大な詩篇をなしていると言えるのではないでしょうか。そのような、「理想」と「政治」とが一致しているような美しく高貴な社会では、政治における詩や文学の役割があらためて問われる必要も少ないことと想像されます。
 ところが、今日の世界を振り返ってみますと、まさに“どこにもない所”というユートピアの本来の語義どおり、このような詩の世界とはほど遠く、「理想」と「現実」が政治や生活においてはるかに隔たった、まことに散文的な相貌を呈していると言わざるをえません。このような時代では、文学者として、否、それ以上に人間として、どうしても現実の諸問題にかかわらざるをえなくなります。
 現段階では「詩の未来は広大である。なぜなら、詩において、その高い運命にふさわしいものの場合には、われらの種族は、時のたつにつれて、いよいよ確実になっていく拠りどころを見いだすはずであるからである」(『マシュー・アーノルド 詩の研究』〈『英米文芸論双書7』〉成田成寿訳注、研究社)というマシュー・アーノルドの主張が説得力をもつことでしょう。
 ブローク
 一八八〇年―一九二一年。ロシア、旧ソ連の詩人、創作家。
 カトゥルス
 前八四年ころ―前五四年ころ。ローマの詩人。
 オウィディウス
 前四三年―後一七年ころ。ローマの詩人。
 イデア
 プラトン哲学の中心概念で、感覚的世界の本質・形となるもの。理性によって認識されうる真の完全な存在。
 マシュー・アーノルド
 一八二二年―八八年。イギリスの詩人、評論家。

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