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日蓮大聖人・池田大作

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環境革命と人間革命  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

前後
1  池田 ゴルバチョフ大統領は、ペレストロイカは「革命」だと言われています。それは、レーニンによるロシア革命以来、七十年にして新たな革命を必要としている、ということでありましょう。
 ところで、かつてレーニンは、社会主義革命の「自然発生」性という考え方をしりぞけ「目的意識」性を強調しました。彼は、労働者の階級意識は「自然発生」的には成熟せず、「外部からしかもたらしえないものだった」(ソ連邦共産党中央委員会付嘱マルクス=レーニン主義研究所編『新版 レーニン選集①』レーニン全集刊行委員会訳、大月書店)とし、その持ち込む担い手は「有産階級の教養ある代表者であるインテリゲンツィア」(同前)である、と論じました。そして、みずからそのインテリゲンチアの代表として強力なリーダーシップを発揮し、ロシア革命を成し遂げました。
 マルクス主義にあっては、資本主義社会から社会主義社会への移行が歴史的必然とされるのは当然ですが、そのさい、革命推進の原動力である階級意識の醸成は、明確な目的意識をもって形成させていかねばならぬ、としたわけであります。革命というものが、人間的なあまりに人間的な出来事であるかぎり、その遂行にあたっても、目的意識という優れて“人間的ファクター(要因)”を不可欠としたところに、天性の革命家であり、リアリストであったレーニンの目が光っているように思えてなりません。
 ゴルバチョフ大統領の唱導しておられる「革命」は、いわゆる“コスイギン改革”などが経済面などの部分的改革をめざしたのに対し、政治、経済、教育、文化などの万般にわたる壮大な企図をもっていることは、初めは半信半疑であった西側の人々の目にも、ようやく明らかになってきました。
 私も、注意深くその推移を見守ってきましたが、やはり、ペレストロイカの成否を決定づけるのは人間的ファクターではないか、との確信を、最近、ますます深めております。この考え方は、自己の人間革命を第一義に、社会の変革を志向しゆく我々の信条から見れば、よく理解できるところです。
 十年ほど前、私はインドを訪れ、“インドの良心”とよばれているJ・P・ナラヤン氏と対談する機会がありました。そのさい、我々の革命観は、完全に一致しました。「人間革命を経ての社会革命(ソシアル・レボリューション・スルー・ヒューマン・レボリューション)」を唱えるナラヤン氏は、私の所論に深くうなずきながら「イエス イエス」と語っておられたのが、昨日のことのように思い出されます。
 それはさておくとして、ロシア革命七十年の歴史を振り返って「人間の意識」と「社会体制」の問題を、だれよりも考えておられる一人がゴルバチョフ大統領ではないでしょうか。そこで私は、ゴルバチョフ大統領の言われる「革命」は、社会総体の変革であることは当然ながら、その機軸をなすものは、人間自身の自己変革ということに帰着してくるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
2  アイトマートフ かつてゲルツェンは、「民衆の最大の解放は、民衆が内面に自由になることである」と鋭く指摘しました。ナラヤン氏の「人間革命を経ての社会革命」という考え方は、このゲルツェンの視点とも深く共鳴し合っていますね。
 池田 時代や民族は異なっても、偉大な人々の考えは呼応するものですね。驚くべきことです。
 アイトマートフ 同感です。
 私は、歴史家でも哲学者でもありませんが、あなたが今言われたことを確信をもって、そのとおりだと申し上げたいと思います。というのも、私は作家として、少なくとも民衆の生きざまに目を凝らし、耳をそばだて、全神経を集中させて人々の内実に迫っている人間だと自負しています。
 その私が目撃した事実として言えることは、ペレストロイカは決してだれかの気まぐれで始まったのでもなければ、為政者のお情けが下ったということでもないのです。民衆がかなりはっきりした自覚をもって、将来歩むべき道を選択したのです。
 当時のわが国の社会は、自称「樹立された社会主義社会」とか「発達した社会主義社会」等、さまざまに形容されていましたが、じつのところ経済的にも、社会的、精神的、道徳的にも行き詰まってしまっていたのです。
 国内のみじめな実情をすでに多くの人々が感じ取り、知っていましたし、党幹部の中でも心ある人々は、その現実を見過ごすことはできませんでしたが、沈黙することを潔しとせず、あえて発言したために、「健康上の理由」という口実をつけられて解任された人たちもいました。
 いずれにしろ、国内の現実を認識してしまった人々は、「共産主義の輝ける山頂をめざして進んでいる」ことに遅かれ早かれ疑問を感じ始め、七十年間営々として国をリードしてきた理念に懐疑的にならざるをえませんでした。
 私は、ここで共産主義思想そのものに罪があったと言っているわけではありません。むしろ、思想自体は気高いもので、そこには昔からの人類の理想が表現されています。問題は、どんな思想でも、汚され、けがされることがある、いわば、その本質に逆らって、本来の目的以外のものに利用されることがある、ということです。
3  池田 「自由よ、汝の名のもとに、いかに多くの犯罪が犯されたことか」――フランス革命の渦中、ジャコビニズムの犠牲となった美貌のロラン夫人のギロチンの下での有名な言葉に象徴されるように、善を欲しながら、悪魔に操られるように、結果的に悪を招き寄せてしまうといった悲劇は、いわば、人類史の業のようなものです。
 事がすんでからとやかく言うのは簡単ですが、十月革命が、炬火として諸民族の上に輝き、一国の「良心」として尊敬されていた優れた多くの知識人を惹きつけていた時代があったのです。
 ロマン・ロランなどは、その典型と言えるでしょう。彼は、当時のソ連で進行していたスターリンの粛清を知っていたにもかかわらず、また、ガンジーへの深い共感に見られるように、ボルシェビズムにつきまとう暴力やテロとは、およそ正反対の気質の持ち主であったにもかかわらず、終始、ロシア革命とソ連を擁護しつづけました。
 たしかに時代的要因としては、反ファシズム統一戦線の形成ということが、焦眉の急を告げていたという事情もあったでしょう。しかし、それ以上に私には、ジャコビニズムもボルシェビズムも骨がらみになっていった、善を欲しながら悪を招き寄せるという、人類史の業のようなものが感じられてなりません。
 周知のように、アンドレ・ジッドの『ソヴィエト旅行記』は、人間性の立場からする、スターリニズムの罪悪への最初の良心的告発と言えますが、それへのロランの批判に対するジッドの論駁は、痛烈かつ適切です。そうであるだけに、ロランの心境を思うと、ある種の痛ましささえ感じさせます。
 「『ソ連から帰って』の出版のためにわたしは数多くの侮辱を受けた。ロマン・ロランのそれはわたしを苦しめた。わたしは彼の書くものはあまり好きになったことはないが、少なくとも彼の道徳的人格は高く評価している。(中略)わたしは『戦いを越えて』(=第一次大戦中のロランの反戦書)の著者は老いたロランを厳しく批判しているだろうと信じている。この鷲は巣をつくり、そこに休らうがいいのだ」(山口三夫訳、『ロマン・ロラン全集18』の「解説」から。みすず書房)と。
4  アイトマートフ たしかに“はた目には”ソ連では、未来の人類の原型が創られつつあるように思われていました。優れた芸術家で真のヒューマニストであったヨーロッパの作家たちはいうにおよばず、ラテン・アメリカの偉大な画家のリヴェラやシケイロスたちですら、「世界革命」のためにみずからテロを準備し、実行しようとしていたのですからね。真剣に考えなければならない問題です。皮肉で片づけることはできません。
 しかし……つい最近、私は「革命は憧れに対するしっぺ返しである」という文句を読んで、ひどくびっくりしました。だれの言葉だと思いますか? 繊細な叙情作家で、自然の歌い手のプリシュヴィンのものです。この文句は長い間彼の日記の中にそっと隠されていました。もちろん、以前には発表など思いもよりませんでした。それが書かれた時代にはなおさらです。
 池田 プリシュヴィンはロシアの最後の賢人だと言われているそうですね。
 アイトマートフ 彼はたしかに賢人でした。しかし、「最後の」と形容するのはどうでしょうか? 私はそうは思いたくありません。民衆が生きているかぎり、その大地は賢人を生みつづけていくのではないでしょうか。
 ところで、民衆は賢明です。民衆をだますことはできません。ある種の熱狂が大多数の人々を席巻し、それが一部の人たちにとって都合の良いように、あたかもその熱狂が民衆の意志であるかのように利用されてしまう場合もありますが、しかしながら、それは本質論ではありません。なぜなら、民衆の真の英知は、かならずしも整理された哲学的表現形体をとるとはかぎらないからです。むしろ「このままではもう生きられない」という民衆のぎりぎりの感情は、平凡で素朴な言葉で語られているかもしれません。
 しかし、大事な点は、たとえそれがいかに稚拙に表現されようとも、民衆は、このままではいけないということを明敏に理解しているということです。
5  池田 私の記憶に間違いがなければ、あなたの『処刑台』の主人公の一人もまったく文字どおりに、「おれはもうこのままではこれ以上生きられない」(「このままじゃ俺は生きてゆけんよ」佐藤祥子訳、群像社)と言っていましたね。
 アイトマートフ ボストンです。彼は民衆の気分を伝えている人間の一人です。少なくも私はそうあってほしいと思っていました。民衆は袋小路に入り込んでしまったことを、生きることが無意味になってしまって、それがもはや堪えがたいものであることを、痛いほど感じていました。打開策が必要です。それはどんなものでしょうか? 自由か死か、それ以外に選択はありません。
 たとえば、ボストンについて言えば、彼は屈辱に甘んじて、しかたがない、長いものには巻かれるしかない、とあきらめることのできない人間です。彼の内部に強く発達している人間の尊厳は、あえて言えば、英雄的行為を要求しています。法律の観点から見れば、彼の行動形態はもちろん許されるものではありません。しかし、もっと高い、人間的観点に立てば、だれが彼に石を投げつけることができるでしょうか?
 自分の「主人公」の話ばかりして、すみません。民衆は本当に自分の民族的尊厳が侮辱され、自分が辱められているのを感じ、何としてでもみずからの尊厳性を守ろうとしている、ということの例として、彼のことにふれたまでです。
 池田 では、あなたの作品だけでなく、フェアを期するために(笑い)、ペレストロイカのもたらした話題作の一つ『アルバート街の子供たち』の一節を引いてみましょう。不当な罪をきせられて流罪になった気骨の青年サーシャの心境――苦悩の中で「偉大なる永遠性」にふれ、「我が身の不幸や苦しみの微々たることを感じた」流刑地での彼の心をよぎった言葉です。
 「それによって人を打ちのめすことができると思って人びとを流刑に追いやる者たちは、誤っている。人を殺すことはできても、打ちのめすことはできないのだ」(前掲、長島七穂訳)
 サーシャの「人を殺すことはできても、打ちのめすことはできない」との叫びは、ボストンの「おれはもうこのままではこれ以上生きられない」との叫びと同様、人間の尊厳を守りぬこうとする不屈の精神の表れであり、日本流に言えば“肺腑の言”です。
 ペレストロイカは、多くの曲折が予想される難事業ですが、こうした人間の尊厳性の叫びがこだまし、「人間」が軸に据えられているかぎり、ソ連の人々の未来に、大きな果実をもたらすでしょう。がんばってください。
 J・P・ナラヤン
 一九〇二年―七九年。インドの政治家、社会改革運動の指導者。
 ゲルツェン
 一八一二年―七〇年。ロシアの小説家、思想家。ロシア社会主義の実現に貢献。
 ジャコビニズム
 ブルジョワのもとに民衆や農民を結集する独裁的な中央集権制をとった、ジャコバン・クラブによる政治結社の主義。
 ロラン夫人
 一七五四年―九三年。ジロンド派で活躍したが、自派の敗北により処刑された。
 ロマン・ロラン
 一八六六年―一九四四年。フランスの作家。国際平和運動に尽力。ノーベル文学賞受賞。
 ソヴィエト旅行記
 ソビエト体制の腐敗をいち早くかぎ取り、それを文章にしたもので、当時の左翼主義的風潮にあって、ソ連当局はもとより、本国フランスを初めとする知識人から激しい反発を招いた。
 リヴェラ
 一八八六年―一九五七年。メキシコの画家。
 シケイロス
 一八九六年―一九七四年。メキシコの画家。
 プリシュヴィン
 一八七三年―一九五四年。

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