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日蓮大聖人・池田大作

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大地への愛、平和への希求  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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2  アイトマートフ ロシア人についての好意あるお言葉、ありがとうございます。ほかの民族についても同じことが言えるのではないかと思います。とは言っても、戦争は民衆の参加なしには起こりもしませんし、行われもしません。ところが、大小あわせて、どれほどの数の戦争があったのか、とても数えきれません……。
 残念ながら、民衆は戦争に引き入れられ、戦争に参加しますが、戦争を始めるのは、権力をもつ者たち――王、独裁者、政府、民族主義的政党です。戦争の擁護者はつねに戦争を合理化する説得力ある理屈を見つけだしますが、戦場で戦うのは庶民であり、民衆です。
 このテーマは本当にいくら語っても語り尽くされることはなく、それに、本当に悲劇的です。人類の歴史に戦争は起こるべくして起こるものであり、不可避である、ということを証明するさまざまな理論があります。それらの理論は、地政学的な数量や問題を論拠としていて、そこでは、人間はたった一度だけこの世に生を享け、しかも非常に短期間しか生きられない、かけがえのない「個」の存在としてではなく、せいぜい両替用の小銭ぐらいにしか扱われません。人間の死や苦しみは、たかだか、抽象的な同情の対象でしかありません。いつの時代もそうでした。現代の二十世紀も例外ではありません。
 戦争は普通、理性の論拠をわきへ押しのけてしまいます。理性は戦争の論理に対しては無力です。
 つねにそうでした。そこに人間の魂の普遍的な悲劇があります。
 しかし、人道主義の理念をしだいに時代の潮流としつつある今世紀、二十世紀は、後世の人類に新しい歴史と時代の到来を可能にするかもしれないと、私は期待しているのです。その新しい時代とは、いたる所で行われている平和擁護の戦いが人間の思考様式になり生活手段となる時代であり、さらに言えば、まだ自覚されてはいないものの、おそらく、魂の、新しい、普遍的な宗教になる時代だと思いますが、どうでしょうか。
3  池田 まさに、そのとおりです。そうしたグローバルな意識変革を志向する宗教を、私はつねづね「人間のための宗教」と呼んでいます。
 「人間のための宗教」ということを、もっと具体的に言えば、宗教は、「平和」を初めとする人間社会の「善」の価値に奉仕し、それらを磨き上げ、鍛え上げていく働きをしなければならないということです。すなわち、「友情」や「正義」「希望」「自制」「努力」「勇気」「信頼」「愛」……いずれも「善」の価値ですが、いうなれば、それらの“培養基”となってこそ「人間の宗教」であり、戦争か平和かということが、人類の歴史に決定的な役割を果たすようになった今日、宗教に未来があるとすれば、そこに徹する以外にないというのが、私の信念です。
 逆に、「人間のための宗教」と対極に位置しているのが「宗教のための人間」という、一種のパラダイム(範型)です。そこでは「宗教」が「人間」よりも上位に位置しており、宗教的権威――それは「偶像」であったり「聖職者」そのものであったり「教条(ドグマ)」であったりします――のために、人間が手段となり犠牲に供されてしまいます。
 いうまでもなく、人類史を彩ってきた宗教の多くは、このようなパラダイムに入ります。大小の宗教戦争一つ取り上げてみても、太古より現代にいたるまで、いっこうに後を絶たないということがその証左です。それでは、宗教は「平和」ではなく「戦争」に奉仕してしまう反人間的な存在に堕してしまうでしょう。「善」の価値どころか「反目」や「不信」「不正」「憎悪」「臆病」「卑怯」など「悪」の価値をはびこらせ、増長させる“培養基”となり、「悪」への加担を、宗教的な装いで美化し、正当化してしまう始末です。
 私は、世界の多くの優れた識者と対談を重ねてきましたが、A・ペッチェイ博士にしても、L・ポーリング博士にしても、宗教の過去に果たしてきたそのような側面については、非常に鋭く、厳しく、また批判的に見ておられました。「神々」の声に血なまぐささ、そこに巻き込まれた人間の悲惨さを見れば、当然のことでしょう。だからこそ、私は「宗教のための人間」から「人間のための宗教」への、ある種の宗教革命を、時代の転換へのキーポイントとして叫びつづけているのです。
4  アイトマートフ 全面的に賛同します。あなたがリーダーシップをとっておられるSGI(創価学会インタナショナル)運動への私の切なる期待もそこにあります。
 と同時に、これは一つの客観論として申し上げるのですが、戦争の魔術を絶対的なタブーとして人間の頭の中から除去することは不可能だと思います。その理由は無数にあります。
 以前、ある国際的な作家会議で発言したときのことですが、私は、私たちが戦争について云々するとき見落としてしまっているのではないかと思われる点について、言及してみました。それは、戦争を企てる側の人間の心理状態についてです。戦争をフロイト的視点で映しだすときに浮かび上がってくる危険性に目を向ける必要があると訴えました。
 そのとき私は次のように言いました。いま皆さんは平和について議論し、平和のために戦い、人々に働きかけてその戦いに参加させ、人々を平和のための戦いの同志にしようとしていますが、皆さんは、現在軍務についているどこかの若い将軍が、まだ手柄も立てず名を上げることもできないでいるその若い将軍が、現在のこの瞬間に、戦史に自分の名を残したいと夢見ているかもしれないということを、たとえ一瞬であれ考えたことがあるでしょうか? おそらく、人間の犠牲がどんなに多かろうと、現代のアレキサンダー大王やナポレオンの役を演じてみたいと思っている人間がいるにちがいありません。
 実際のところ、アレキサンダー大王が世界を征服しようとしていた時代には、どれだけの人間がその犠牲になったのでしょうか? 現在その犠牲について知っている人はほとんどいません。ところがアレキサンダー大王は当時の最も有名な人物の一人としてとどまっています。ナポレオンにしてもしかりです。このほうがもっと現代に近いわけですが、彼の時代にどれだけの人間が戦争の犠牲になったのでしょうか?
 今となっては、それらの戦争がなぜ起こり、何がそれらの戦争の原因になったかを詮索しても始まりません。ナポレオンという人物がしばしば英雄視されるのに対して、死んだ人たちは無に等しく、彼らは私たちによって知られることなく、忘れ去られているということ、そのことを考えると、私は絶望におちいります。
5  池田 いやいや、「絶望」という言葉は、あなたに似つかわしくありません(笑い)。人類の未来に希望を託するからこそ、こうして語りつづけているのですから、「絶望」の二字は、今後タブーとしましょう。(笑い)
 それはそれとして、トルストイの『戦争と平和』は、そうした英雄としてのナポレオン像を打ち砕き、英雄像にまといついているさまざまな世俗的価値の矮小さを暴きだし、もって宗教的価値との勝劣の大転換をうながそうとしたものでした。名作に描かれるナポレオン像と、無名の一農民プラトン・カラターエフ像との鮮やかすぎるコントラストは、トルストイの志向したところをよく物語っております。
 ところで、現代に戻って、現在の人心の状態を考えてみたらどうでしょう。現代の人間の心情として、平和の思想は、どこかの陣営の、あるいはつい最近まで宣伝されていたように、「侵略主義」陣営に対する「平和愛好」国家陣営の純粋に政治的なドクトリンではなくなっているのではないでしょうか? 少なくとも、トルストイの志向したような平和の理念が、受け入れられる余地が生まれつつあるのでは……。
 アイトマートフ そのとおりです。あなたのおっしゃるとおり「絶望」という言葉を使ったのはうかつでした。撤回します(笑い)。平和の思想は人類共通の最大の価値であるということが、あらゆる人々に認識され始めていると思いますし、またそう信じたいところです。
 池田 そのような認識と世界観の基礎となっているものは、いったい何でしょうか。私は、それは、新しい生命観ではないかと思います。一個の生命の、ひいてはあらゆる生命の尊さを認めるところから発しているものです。
 アイトマートフ そうですね。人類は幾世代もの間、多くの苦しみと悲しみを経験して、精神的成長を遂げてきました。そして今、ついに、戦争は回避しえるかもしれない、不戦は可能なのだという認識までたどりついたのです。いまだかつてなかったことです。
 その人類が、自殺行為ともなりかねない戦争にふたたび走ることなど、絶対に許してはなりません。それでは、人間がおよそ人間になって以来このかた、幾多の犠牲を払って獲得してきた崇高な理想、理念がすべて無に帰してしまうからです。
 池田 そうさせないためにも、民衆が大事です。人類の進歩を加速させていくためには、ある種の楽観主義が不可欠です。
 民衆の自由の意識の進歩への信頼なくして、何事もなしえません。その信念に立って私は、「国家外交」よりも「民間外交」を唱え、平和のために走りつづけてきました。
 アイトマートフ 民間外交という行動は本当に新しい、素晴らしい現象です。平和のための強力な運動は見せかけのポーズであってはなりません。それは生きる手段であり、また何物をもってしてもとどめることのできない奔流にしていかなくてはなりません。
 その意味で私は、池田先生の平和行脚に、最大の敬意を払っています。
 池田 恐縮です。平和世界擁護の戦いは、つまるところ、グローバルな意識のための戦いだ、ということですね。このテーマについてはあらためて話し合いましょう。
 ナポレオン
 一七六九年―一八二一年。フランス第一帝政の皇帝。ヨーロッパを制圧したが、モスクワ遠征に失敗、連合軍との戦いに敗れるなどして、セントヘレナ島で没。
 pヒトラー
 一八八九年―一九四五年。ドイツの政治家。ナチス党首から首相、総統となって独裁権を得、第二次世界大戦を引き起こした。
 A・ペッチェイ
 一九〇八年―八四年。イタリアの実業家、ローマクラブの創始者。
 L・ポーリング
 一九〇一年―九四年。アメリカの物理化学者。ノーベル化学賞、同平和賞受賞。
 フロイト
 一八五六年―一九三九年。オーストリアの精神科医、心理学者。無意識と抑圧された性的衝動の働きから精神分析を創始、確立。
 アレキサンダー大王
 前三五六年―前三二三年。マケドニアの王。ペルシャ軍を破り、インドにまで進出し、大帝国を建設。

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