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日蓮大聖人・池田大作

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正義の「ありか」とは  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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2  アイトマートフ おっしゃるとおりです。もう少し深く掘り下げれば、まさに正義に対する憧れから、つまり、人間は出生の秘密やどの階層に所属するかにかかわりなく、自己実現の権利をもち、自分の人生を人間にふさわしく生きる権利をもっているはずだという考えから、たとえば、社会主義等の理念も生まれました。
 正義を標榜する用語が登場したのはかなり現代に近づいてからです。しかし、正義への憧れとなると、それは、疑いもなく、太古から存在していました。それは人間の遺伝コードの中に組み込まれているのかもしれません。
 古代の人々は――少なくともある種の歴史資料に名をとどめている人々は――「黄金時代」への憧れをもっていました。のちにそれを貧しき人々の宗教であるキリスト教が受け継ぎました。その信者たちを信仰のための恐ろしい苦しみに向かわせたものは何だったのでしょうか。憧れです。彼らは地上の苦しみや難儀を代償にして「天国」が用意されていることを確信していました。その天国へは、ラクダが針の穴をくぐれないように、金持ちは道を閉ざされていました。
 私たちはキリスト教の理想によって創造された素晴らしい文学や芸術をもっています。
 ドストエフスキーはあなたの好きな作家の一人であることを私は知っています。そのドストエフスキーは『貧しき人びと』から創作を始めました。一方、トルストイはすべての文学をキリスト教的なものと非キリスト教的なものとに分けました。つまり、人道的なものと非人道的なものとにです。
 素晴らしいことです。しかし、残念ながら――私たちの社会主義の経験は何を示しているのでしょうか――私たちは「金持ち」を滅ぼしましたが、「貧しい者」を裕福にはしませんでした。貧困はそのまま残っています。
3  私が言いたいのは次のことです。おそらく、正義は「金持ち」と「貧乏人」とを厳しく区分けすることによって達成できるのではないのです。私たちは、そのために、皆が平等にならねばならない、皆が豊かにならねばならない、との目標のもとに、盲目的本能のおもむくままに激しい闘いを展開していますが、私に言わせれば、「金持ち」であることは恥ずかしいが「貧乏人」であることも同じように恥ずかしい、というように問題を立てるべきです。パンのことを言っているのではありません。どんな名称をもつ社会であろうと、物乞いのいる社会は不名誉です。そういう社会は自分の正しさを主張する権利はありません。
 しかし、繰り返しますが、私が言いたいのはそのことだけではありません。私の考えはセネカの「貧しい者は少ししかもっていない者ではなくて、より多くをもちたいと欲している者である」という言葉が説明しています。
 どのようにしたら「より多くをもつ」ことができるのでしょうか? 考えるまでもなく、おのずと知れています。「より少なくもつ」人を犠牲にしてに決まっています。
 そこでまた、何を「より多く」か、何を「より少なく」か、という問題が生じます。
 残念ながら、現在の不安定な、分裂した、厳しい世界にあっては「日々の糧」のことしか問題になりません。その問題からは逃れられません。地球上には数百万の飢えた人、困窮者がいます。彼らの存在は、同じような状態の人間を生みかねないあらゆる社会機構に向けての非難であり、呪いです。許すべからざる不正の、鮮明きわまりない、悲しむべき表現です。
 どのような不正かを落ち着いて論じようとすれば、舌が口の中で凍ってしまいます。しかし、だからといって、黙っていることはできません。
 旧約聖書以前の時代の、天地創造のそもそもの初めまでさかのぼる悪、その悪の根源はどこにあるのでしょうか?
4  池田 あなたの引用されたセネカの言葉は、私に、シェークスピアの『オセロウ』の一節を想起させます。「嫉妬をする人はわけがあるから疑うんじゃないんです、疑い深いから疑うんです」(菅泰男訳、岩波文庫)と。
 セネカの場合もシェークスピアの場合も、大切なポイントは、目が“外面”ではなく“内面”に向いているということです。もとより“外面”的要因を無視するわけではありませんが、悪や矛盾を生むより本源的な要因は、人間の“内面”にあるというのが、優れた知見たるゆえんと言えましょう。
 もし“外面”的要因にばかり目を向けていると、貧困の場合と同様、嫉妬の場合も悲惨な結果を招いてしまう。つまり「疑い深い心」を満足させるためには、嫉妬する対象の人間の足を引っ張るか、場合によっては抹殺してしまうしかありません。「疑い深い心」をそのままにしておくかぎり、そうするしか解決のしようがないからです。
 その種のもめごとは、あえて『オセロウ』の舞台を借りなくても、人類の歴史とともに古く、現在もいたる所で繰り返されている業のようなものです。
 “外面”的要因にこだわることによって生ずる悲劇は、今世紀を血なまぐさく彩っている二つの巨悪――ナチズムとスターリニズムにも、象徴的に現れていますね。申すまでもなく、ナチズムにあっては「民族」、スターリニズムにあっては「階級」という“外面”的要因が諸悪の根源とされ、したがって、敵対(劣等)民族や敵対階級を滅ぼすことこそ、すべてに優先してなされるべきこととされました。
 アーリア民族の血の純潔とユダヤ民族のホロコースト、“人民の敵”という不気味なレッテル貼りによるおびただしい血の粛清――そうした狂乱の嵐が吹き荒れている中では、“内面”を見つめる内省の目をもつことは、おそらく至難であったにちがいないでしょう。
 ナチズム、スターリニズムにかぎりません。国家神道による神がかり的スローガンが猖獗をきわめた大戦中の日本も、同様でした。“鬼畜米英”などという言い方には、当時の偏狭な精神的雰囲気が、よく示されています。
 「悪の根源はどこにあるのか」というあなたの問いかけは、西洋文明の脈絡で言えば、たとえばギリシャ悲劇やアウグスティヌスの思索の中にくっきりと、ドラマティックな輪郭を描いているように、古来、多くの賢人たちを悩ましつづけてきた問題です。
 その難問(アポリア)に挑んでいくためには、まず、“外部”に目をとられがちな思考の惰性を排して、「内部」を凝視することが第一歩となっていくでしょう。
 黄金時代
 古代のギリシャ・ローマでは人類の歴史を順に金・銀・銅・鉄の四期に分け、黄金の時代は平和と幸福に満ちていたとされた。
 セネカ
 前四年ころ―後六五年。古代ローマ。禁欲主義を説いたストア派の哲人。
 シェークスピア
 一五六四年―一六一六年。イギリスの劇作家、詩人。
 ナチズム
 ナチスの掲げた主義、政策。ナチスはヒトラーを党首として第一次大戦後にドイツに出現した全体主義の政党。
 アーリア民族の……
 ホロコーストは大虐殺。ナチスは、アーリア人に属するゲルマン民族がセム系のユダヤ民族よりも優れるとして、ユダヤ人を迫害した。
 国家神道
 明治維新以降、国家権力の保護によって国教的性格をもった神道。第二次大戦の敗戦により国家の保護はなくなった。
 アウグスティヌス
 三五四年―四三〇年。初期キリスト教最大の思想家。
5  アイトマートフ 賛成です。考えてみますと、不正の本質は、一方の人間が他方の人間に対していだく軽蔑の中にあります。それは人間が最高の価値とは認められていないときです。または、一定の民族が生まれながらにして奴隷とみなされているようなときです。
 あるいは、自分は他人を幸福にする権利をもつと自負する「予言者たち」がやってきて、相手が「恩恵」を受け入れようとしないときは、その寛大な予言者は途端に怒り狂い、無慈悲な死刑執行人に変化するなどの場合です。
 私は以前の自分と論争しています。今、私の心は、人がさげすまれ、侮辱されているのを見ると、血が逆流します。ましてや、その人間が――これこそ最も恐ろしいことですが――自分がさげすまれ、自分の人間的尊厳が翻弄され、生まれながらに備わっている神聖な権利が、少なくも「人権宣言」に書かれているような権利が乱暴に踏みにじられていることを認識できていない場合はなおさらです。
 あなたが最初に引用なさった文章を書いていたとき、私を動かしていた感情は憐れみと同情でした。激しい怒りに襲われたのはもっと後で、私が、飢餓線上をさまよい死を運命づけられていた人たちから最後の羊を取り上げるという行為の背後にあったものは何か、彼らにそれをさせたものは何か、彼らが疑おうともせずに拠り所としていた「偉大な思想」とは何かを理解したときでした。
 その「偉大な思想」とは、国家の政策に祭り上げられた人間憎悪の思想です。それは、彼らの罪を正当化しないのみか、逆に、それを許しがたい重大犯罪にするものです。
 たしかに、作家である私は、犯罪者にも与してその心理を理解すべきなのかもしれません。その意味では、私は彼らを裁いてはならないのです。しかし、少なくとも人間としての私は、彼らの行為を許すことはできません。
 そうです、私は作家である以上、サタン的意思をもつ人々の哲学すら、理解して受け入れるべきなのかもしれません。たとえそのような人々のサタン的意思が他の多くの普通の人々を盲目の凶器に変身させ、あるいは根っからの人でなしたちを味方につけていくとしてもです。
6  では、そのような人々を裁く何らかの手段はあるのでしょうか? また、彼らを人間として罰すれば十分なのでしょうか? 否、獣として罰すべきなのでしょうか? いったい、彼らを何者として扱えばいいのでしょうか。心ならずも、神を当てにしたくなります。「しかし、いずれにしても神の裁きがある……」と。そう思っても、なぜか心が晴れません。心が求めているものは復讐ではなくて、正義なのです。
 あなたは、私が何に「正義のありか」を見いだしているか、何を「正邪を見極める判断基準」としているか、そしてそれは何を「源泉」としているのかと尋ねられました。私自身にもよくわかっていないようですが、人間に対する愛情だと思いたいのです。
 幸福に、自由に生きるようにとこの世に生を享けた人間に対しての……。どんなイデオロギーも、どんな国家機構も、それを前にしては、何の値打ちもありません。もしも値打ちがあるとすれば、それは正義を何よりも高く評価し、確認しているからにすぎません。
7  池田 かつて、義人ヨブは、次々に襲いかかる災厄に心身を嘖まれながら、「罪と悪がどれほどわたしにあるのでしょうか。わたしの罪咎を示してください」(『聖書』新共同訳、日本聖書協会)との痛切な叫びを発しました。目を東洋に転ずれば、大著『史記』の著者である司馬遷は、無実の罪を宮刑の屈辱に処せられて、「天道は是か、非か」との烈しい問いかけを、後世の我々に残し、託しております。いずれも、身を焼くような正義への希求でした。
 あなたの率直な、そして切なる心情の吐露に耳をかたむけながら、私は、いつしかヨブや司馬遷のことを思い出していました。そして、正義の源は「人間に対する愛情だと思いたいのです。幸福に、自由に生きるようにとこの世に生を享けた人間に対しての……」というあなたの言葉に、満腔の賛同とエールを送りたい。平易な言い回しの中に心情が凝結し、昇華され、物事の本質を鋭くえぐった言葉であって、私的にも公的にも、幾多の苦悩の試練をくぐりぬけてきた人によってのみ、こうした言葉が、相応の重みと深みをもちうるのです。
 その、まさに肺腑をえぐるような言葉を、私は感謝しつつ、まっすぐに受けとめたいと思います。それこそ正義の源であると同時に友情という魂の炎の電源であり、私たちがモスクワで、東京や軽井沢で、ルクセンブルクで、パリで、幾度か語り合ってきた「人間主義」ということの精髄にも通じているからです。
8  それにしても「私は以前の自分と論争しています」とのあなたの痛ましい告白は、あらためて、ソ連の社会に半世紀以上にもわたって君臨し、人々の魂を引き裂き、切り刻んできた「偉大な思想」――すなわち全体主義的イデオロギーのもたらす悲劇を、文字どおり悲劇というしかない体験の無残さを語ってあまりあります。
 ソ連の人々の多くが、程度の差こそあれ、あなたに似通った運命に見舞われているとすれば、そのうえ「偉大な思想」の権威が急速に失墜しゆくなか、それに代わる精神的バックボーンが見当たらないとすれば、たしかに「憎悪が国民の支配的心情」――何人かのソ連の知人から聞いた言葉です――となってしまったのも、無理からぬ一面であるかもしれません。
 かといって、あなたの正直な告白が語っているように、神による救済、正義の貫徹へと跳躍するには、唯物論教育七十年のもたらしたギャップはあまりに広く、深すぎるのでしょう。それに加えて、ソ連にかぎらず、近代化の抗しがたい流れは、紆余曲折を経ながらも、社会全体の世俗化をいやおうなしに加速させており、このトレンドが逆転しようとはとても思えません。
 私は今、近代化や世俗化の中で魂を活性化させていく宗教の所在、宗教的信念について語りたい衝動に強くかられますが、それはあとに残しておきたいと思います。当面は「人間」や「人間性」ということを機軸に、大いに語り合いましょう。
 かのアンドレ・ジッド――一九三〇年代、ボルシェビズムの栄光華やかなりしころのソ連を旅行し、早くも全体主義の危険性に警鐘を鳴らした結果、左翼主義的風潮の中で袋だたきに遭いながらも、「ユマニテ」(人類、人間性)の一語をもって敢然と流れに抗したジッドにならって、私たちも「ユマニテ」の内実を問いつづけ、語りつづけましょう。
 義人ヨブ
 旧約聖書の「ヨブ記」に登場。
 司馬遷
 前二世紀―前一世紀ころ。前漢の歴史家。
 宮刑
 去勢による刑。死刑に次ぐ重刑。
 アンドレ・ジッド
 一八六九年―一九五一年。フランスの作家、批評家。ノーベル文学賞受賞。
 ボルシェビズム
 レーニン主義ともいう。前衛党に率いられたプロレタリア革命の実現をめざし、多数派としてロシア革命を主導した思想。

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