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日蓮大聖人・池田大作

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焚き火を前にしての池田氏との対談  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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1     チンギス・アイトマートフ  
 家なき言葉は存在しない。人間はみな言葉の家であり、言葉の支配者である。人が神の声を聞こうとひそかに望んで神に向かい合うときですら、彼が耳にするのは己の言葉の中の己である。言葉は我々の中に生き、我々から離れては我々のところへ戻ってきて、言葉は、いうなれば、我々が生まれたときから、死ぬまで我々にひたすらに奉仕しつづける。言葉は魂の世界と壮大な宇宙とを担っている。その宇宙の壮大さを我々はさしあたっては言葉の魔術によってしか想像できない。そして同時に言葉はつねに我々の人格を、まるで写真で写したかのように、刻印している……。
 思想家であり作家である池田大作氏と私とは地理的には遠く隔てられている。彼は日本にいて、私はトルキスタン(中央アジア)にいる。しかし私たちは共通の財産をもっている。それは私たちの言葉である。
 言葉は、他人と分かち合わなければ、死ぬ。しかし、言葉をどのように使い、何をしたら言葉がお互いに関心をもつ対談者同士を引き寄せることができるのだろうか? そのようなことを言うのは、問題の提起を明確にしておきたいからである。この世のすべてのことが面白い話になるわけでは決してないし、書かれている文章がすべて、読めばひどく面白いというわけでも決してない。その意味で、対談は、読者にかなりの忍耐と思慮深さを要求するむずかしいジャンルである。それゆえに、最初に、この対談がどうして生まれたか、それは私にとってどんな意味をもつのかを、自分と読者のために説明しておきたい。
 私は長い間、心の中でこのような対談に憧れ、好機の訪れを待っていた。今まで経験した事柄の多くにふれる話し合いが、いつかはかならず行われねばならなかった。そこでは回想も、反省も、主義の主張も、すべての領域にわたって話し合われる。私はどうしてか、そのような会談は、遅かれ早かれかならず行われるという予感をもちつづけていた。今や私は、それは天命によるものだ、運命によって決められていたものだ、とあえて思う。私たちは、昔からお互いに出会うべく歩きつづけていたのだと思う。めいめいが自分の人生の重荷を担いながらである。もう一つ、このことで大きな役割を演じたのは、池田大作氏の人格である、と私は理解している。私にとって池田氏は大きな吸引力をもつ「磁石」であった。
 若いころ私はキルギスの村の老人たちを見て、よく驚いたものである。老人たちは話し相手がいない、胸の内を打ち明ける相手がいない、と言って嘆いていた。“周りに人がいっぱいいるのに、話し相手がいない、とはどういうことだろう?”と私には不思議だった。しかし今なら私にも老人たちの気持ちがわかる。それはなくてはならぬ話し相手に対する渇望である。遅かれ早かれ私はその人を探しださねばならなかった。私の心がしだいに思い焦がれ始めていたその人をである。自分をより明確に、より正確に理解し、知ることを助けてくれるようなその人をである。なぜならば、ショーペンハウエルの言葉を借りれば、「私は万人であり、万人は私」だからである。
 おそらく、彼、池田大作氏も同じことを必要としていたにちがいない。私はそう思う。
2  池田氏との出会いを何に譬えたらいいだろうか? 私は比喩を探している。宿命のもつとらえがたい法則を明らかにして、それをごくありふれた日常生活の観点と、同時に哲学的な観点とから私に説明しうるのは彼だけである。もしかしたら、私の想像の中に突然浮かんだ一つの光景が余計な説明抜きで私の内面的な希求を伝えてくれるかもしれない。その希求の対象は、我々人間が当面ぼんやりと思い望んでいるだけのものである。しかし突然、我々はまたとない目覚めの喜びを感ずる。人間の顔が見えたのである。そして独りでに会話が生まれる。心と心との会話、知性と知性との会話が。
 それは次のようなものであった。それぞれ長い旅をつづけていた二人の旅人が偶然に出会った場面を想像してほしい。二人ともすでに疲れはてていた。人生の旅は長く辛いものだからである。少なからざるイバラが身をも心をも傷だらけにしていた。のどの渇きが辛い。それ以上に飢えが耐えがたい。いや、生理的な飢えのことではない。それならばささいな物で満たすことができる。私が言っているのは、生の意味づけを求める精神的な飢えである。それは創作の苦しみに似ている。サン・テグジュペリが思い出される。彼は身をもって体験したことを、のちに次のような言葉で表現した。「自分が実際にどれだけの値打ちがあるかを知ろうと思うなら、砂漠で独りぼっちになってみることだ」。
 沈黙が耐えがたくなる時、日常性という砂漠が人間を飲み込んでしまうように思える時、我々より賢く、我々より慈悲深い生命そのものの働きが我々を絶望から救う。
 ……そしてある時、私たちは道で出会った。私は用事があって歩いていた。すでに日が暮れかかるころ、私は道端の焚き火を前にしてゆったりと座っている人に会った。それが池田大作氏だった。
 どのようにして話が始まったのかは覚えていない。より正しく言えば、話は始まったのではなくて、つづいたのである。なぜならば、私たちはもっと前から、お互いに知り合う前から、話をしていたからである。ただめいめいが独りでその話をしていた。そして私たちの思考が結合し、絡み合い、思いがけない火花を散らし合うことになった。そのことによって心は軽くなり、周囲の世界は動きだし、私たちの話が進むにつれて私たちのためにますます広く開けてきた……。
3  私たちの話し合いは夜が明けるまでつづいた。私はこの出会いを自分なりに、池田氏との炉端会談、と呼んでいる。私たちは池田氏の炉端で非常に複雑な歴史的時期に出会った。今や、二十世紀において未曾有の変化を受けたのは存在の形式だけではない。現代人の思考のタイプや構造そのものも進化した。寓話が衰え、ナンセンスが増大している……。良い兆しか悪い兆しかわからない。
 もう一つ言っておきたいことがある。対話はつねに正反対の立場に立つ人の論争でなければならない、と思っている人々がいる。しかし、私は、ほんの一言だけで、あるいはちょっと顔を見合わせただけでお互いに理解し合える、同じ考えをもつ人間同士の会談のほうがはるかに実り多いと思う。この世の日常生活のもろもろの事柄に対して同じような価値観をもつ人々のみが、同じ時代に生きる者たちの合唱に加わって、声を合わせて歌うことができる……。
 対話は、万人にとって共通であると同時にきわめて重要な真理へ近づく賢明な方法であって、現実によく見受けられるような、個人の野心を満たしたり利己的な目的を達成するための形式では決してない。ところが、残念ながら、我々は意ならずも、議会においてさえ、つい昨日まで、停滞の時代につつましく沈黙していたか、あるいは媚びへつらっていたような発言者が、今日、ペレストロイカの自由がかつてのようないかなる危険をももたらさないことをよいことにして、破れ鐘のような大声を張り上げ、聞いていて恥ずかしくなるような人身攻撃まで交わして暴言を吐いているさまの目撃者になることを余儀なくされている。しかも少なからざる同席者がそれらを歓声と拍手で迎え、そのことによって低級な本能を刺激している。それは社会悪の前ぶれである。初歩的な作法の無視と、自分とは異なる他人の意見を聞こうとしない態度の行きつくところはテロである。
 しかしこの悲劇的な問題も私たちの対談の話題になることと思う。この短いまえがきを締めくくるにあたって、対談の本質にかかわる一つの予想を述べておきたい。それは緊張ということである。緊張は相互作用と、真実への希求の結果である。真実の前では万人が平等であり、真実の中では万人が一体である。
 私たちの対談が深遠で、空しからざるものとなることを望む。池田氏の焚き火の火は明るくて、空しくはないものである。その火は遠くから見える。その火は、おそらく暗闇の中で疲れはて、人間の声を渇望している旅人にとって喜ばしい知らせであり、希望である。
 家なき言葉は……
 ハイデッガー(一八八九年―一九七六年。ドイツの哲学者。存在についての考察で知られる)は言葉は存在の家であり、人間の主であるとしている。
 ショーペンハウエル
 一七八八年―一八六〇年。ドイツの哲学者。“世界は自我による表象”とした。
 サン・テグジュペリ
 一九〇〇年―四四年。フランスの小説家、飛行家。作品に『星の王子さま』など。
 ペレストロイカ
 改革、再建の意。旧ソ連でゴルバチョフ大統領が社会、経済にわたって行った。

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