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日蓮大聖人・池田大作

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第五章 世界不戦を目指して  

「生命の世紀への探求」ライナス・ポーリング(池田大作全集第14巻)

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7  米ソ関係の新展開
 池田 私はここ二十年来、さまざまな国を訪れ、政治指導者や文化人等の方々と、世界平和について意見を交換してまいりました。そのなかで一貫して首脳会談の必要性、なかんずく米ソ最高首脳の会談の必要性を訴えつづけてきました。
 一九八一年五月には、ソ連でチーホノフ首相と会見の折、「モスクフを離れて、スイスなどよき地を選んで、首脳同士、徹底して話しあってほしい」と要望しました。
 この私の願いは、八五年十一月、スイスのジュネーブでの米ソ首脳会談の実現によって、かなえられました。こうした米ノ首脳会談で中距離核戦力(INF)の全廃条約が調印されたことを私はうれしく思っております。
 ともかく人類の命運を握っているともいえる最高首脳同士が、一人の人間として、今後も腹を割って話しあい、世界の平和のために勇気をもって決断してほしいというのが、私の変わらぬ願いです。
 ポーリング 世界の恒久平和達成のうえで、米ソの最高首脳が直接、ひざ詰めで話しあうことが重要であるということには、私も同感です。
 池田 博士はソ連を何度も訪問されているそうですし、レーニン平和賞も受賞されておりますね。
 ゴルバチョフ大統領の進めているペレストロイカ(改革)が世界的な注目を集めておりますが、ソ連の最近の動向をどうご覧になっていますか。
 ポーリング おっしゃるとおり、七〇年にレーニン平和賞、七八年にロモノーソフ金賞を受賞しました。
 また、それよりずっとさかのばりますが、一九五八年にはソ連科学アカデミーの正会員にしていただきました。でも、ソ連の科学者については、私よりもあなたのほうがずっとくわしいのではありませんか。(笑い)
 池田 いえ、それはご謙遜です(笑い)。ソ連にはこの七月(一九九〇年)、三年ぶりに行きました。五回目の訪問でしたが、私も大きな変化を実感しています。今回の訪問では、ゴルバチョフ大統領と会見し、また、多くの古い友人の方々とも語りあうことができました。
 私が創立した創価大学とモスクフ大学のあいだでは、交流を始めてから十六年がたちました。若い世代の教員、学生の交流が年々盛んになり、相互研修が実り多いものになっております。
 アナトーリ・ログノフ総長との対談をまとめた『第三の虹の橋――人間と平和の探究』も出版されました。これには国境や体制を超え、世界の平和を願う両国の民衆の心と心を結ぶ、二十一世紀への懸け橋になれば、との希望をこめております。
 それだけにゴルバチョフ大統領の「新しい思考」という大胆な発想の転換をベースにした平和と改革を志向する路線に、私はひとかたならぬ関心を寄せております。その成否は、世界平和の動向に、きわめて大きな影響を与えるでしょう。
 ポーリング 現在、ソ連国内でゴルバチョフ大統領がおこなっている改革は、大きな前進であると思います。
 ソ連の情勢が良い方向へ変わりつつあるのは、きわめて明らかです。これまで、ソ連は、いわゆる「自由」な意見をもつ人々を圧迫してきました。しかし、これまでと違って圧迫しないほうが国際的にソ連のイメージアップになるのではないか、という考え方が根をおろしたように思われます。
 前回訪ソしたのは一九八四年のことです。そのときソ連政府の招待で、十二月二十二、二十三日におこなわれたソ連建国六十周年の記念祝賀式に参加しました。参加者総数は三千人でした。それは、祝典のおこなわれたクレムリンの大広間の座席数が三千だったからです。
 そして、その場でパーティーがおこなわれ、ソ連の一流の芸術家たち――舞踊家や歌手や音楽家――の演技や演奏がありました。参加者はもちろん全十七ソビエト社会主義共和国から集まった政治家その他の人々で、みんな大物でした。ソ連科学アカデミーのメンバーも、たぶん全員、来ていたと思います。私が招待されたのは、おそらくレーニン平和賞の受賞者だったからでしょう。私のほかにもレーニン平和賞を受けた外国人が参加していました。
 私はその席で、ソ連科学アカデミーの会長に一生懸命、話をし、ゴーリキー市に流罪みたいになっていたソ連の科学者アンドレ・サハロフ氏に会いたい、という希望を述べました。しかし、許可は得られませんでした。科学アカデミー会長はこう言いました。
 「サハロフは重要な秘密情報などいっさいもっていません。それは私も知っていますし、あなたもご存じです。しかしクレムリンでは彼がそうした情報をもっていると思っています。彼らがそういうふうに考えているかぎり、サハロフをそこから出すことはないでしょう」
 最終的にはサハロフ氏はカムバックが許され、旅行もできるようになりました。これはソ連の政策がかなり前進したことを示すものです。ソ連はこのほかにも、多くの面で正しい方向に進んでいると思います。たとえば、以前よりも多くのソ連市民にイスラエル行きを許可していることなどがそうです。ソ連自体、さまざまな問題をかかえていますが、それはそれとして、ゴルバチョフ大統領は申し分のない仕事をしていると思います。
 池田 サハロフ博士といえば、ソ連の″水爆の父″といわれております。何かの本で読んだのですが、ポーリング博士はかつてエドワード・テラー博士とのテレビ討論で、テラー博士が言う水爆の″きれいさ″を科学的に批判し、その誤りを指摘されたことがありますね。これがサハロフ博士にも大きな影響を与えたと聞いております。
 ポーリング あのとき以来、私はテラー博士とふたたび討論することを拒否してきました。なぜなら、あのとき彼はけしからぬ手を使ったからです。彼は私にはこう言いました。
 「ほかにも述べたい点が多々ありますけれども、残念ながらそれはできません。機密情報だから、そのことについて話せないのです。しかしその情報をみると、私が正しく、ポーリング博士が間違っていることがはっきりしております」
 彼は他の人々との討論でも同じ手を使っています。
 彼と、スタンフオード大学の卓越した物理学者であるシドニー・ドレル博士との討論がスタンフォード大学でおこなわれたことがあります。そのとき、テラー博士は私に使ったと同じ手を使ったのです。
 彼はドレル博士にも同様に、次のように言いました。
 「私がもっている機密情報によれば、私が正しく、ドレル博士が間違っていることがはっきりしております」
 ドレル博士が、あとでこう述懐しておりました。
 「テラー博士が知っていてポーリング博士がご存じないことなど一つもありはしません。あんな論法を使うなんて彼は間違っています」
 テラー博士と私との討論について、くわしく述べる必要はないでしょう。討論のあったのが一九五八年二月二十二日。その詳細はすべて、米国文化・科学アカデミー発行の「ジャーナルムアグラス」に掲載されています。
 討論は厳格なかたちでおこなわれ、ストップウオッチを持った審判員がついていました。私が三分間話して、テラー博士が五分間話す。その後は五分間、三分間、三分間、というように進行しました。その模様はテレビで何回も放映されました。
8  不信と相互理解
 池田 今でこそ米ソ関係が劇的に変化して、事情が変わりつつあるとはいえ、アメリカには相当根強いソ連への不信感がありますね。博士自身は基本的にソ連という国について、どんな印象をおもちですか。私自身は何度かの訪ソ体験のなかで、第二次大戦で最も多数の死者を出して苦しんだソ連民衆は、心から平和を望んでいると感じておりますが、この点についてはいかがでしょうか。
 ポーリング 池田会長は、ソ連国民全体が第二次大戦でたいへんな苦しみを経験したとおっしゃいましたが、まったくそのとおりです。彼らは第一次大戦とナポレオン戦争でも、同様の苦しみをなめております。
 アメリカが最も苦しい思いをしたのは、南北戦争のときです。これは、本当にすさまじい戦争でした。しかし、第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争ではそんなに被害を受けませんでした。それぞれ五万人の戦死者を出しましたが。
 ですから、第二次大戦で多くの人命を失ったソ連国民が、世界平和を望んでいるのは疑いの余地がありません。私の初期の訪ソのころは、おおやけの行事における議題といえば世界平和にかぎられていました。
 池田 私との対談でログノフ総長が語っておりましたが、ソ連の人々は何度も何度も過去の戦争のテーマを取り上げ、訴えつづけているそうです。ソ連の作家の本や映画、テレビは、戦争の時代に大きなスペースをさいています。戦争が人々に、どんな苦しみをもたらすかをつねに想起させるためだと聞きました。
 ポーリング アメリカにはソ連への不信感があると言われましたが、それは主に資本主義者(権力のある人々)について言えることです。彼らは、社会主義を恐れています。彼らは、共産主義者は社会主義を唱道していると考えています。アメリカは社会主義政権と共産主義政権との区別がなかなかできない。
 たとえば、ニカラグア政府のことをいつも共産主義政権と称していますが、私としては社会主義政権と呼ぶのが正しいと思います。アメリカは、ニカラグアの社会主義政権の存在そのものに反対しているわけではありません。アメリカが主として恐れているのは、他のラテン・アメリカというか、南米の諸国に同様の政権が増えていくことなのです。
 池田 私が親しくしているオキシデンタル石油会長のアーマンド・ハマー博士は、米ソ首脳会談の実現のために尽力してきた人物として知られていますが、一つのエピソードを話してくださいました。
 一九八五年、ハマー博士が当時のゴルバチョフ書記長を訪ねたさい、書記長は「私はレーガン大統領に会いたくありません。彼は戦争を望んでおり‥‥私たちを『悪の帝国』と呼んでいます」と言って、レーガン大統領に対する強い不信感を示したそうです。レーガン大統領に直接会って判断するようすすめるハマー博士の助言もあって、最終的にその年、ジュネーブの米ソ首脳会談が実現します。
 結局、不信感を取り除くには、心を開いた交流で相互理解をどう進めるかがカギだと思います。米ソ間で冷戦終結が確認されて以来、多くの分野で交流が盛んになりつつあるのは大事なことです。相互理解が進めば、軍縮の進展にも好影響を与えることは間違いありません。
 ポーリング 冷戦時代には「ソ連に条約を守ることを期待するのは無理な話だ」という発言がよくなされました。しかし、事実は違います。この問題を研究した歴史家たちが一様に述べていることは、ソ連政府はアメリカやその他の諸国と同じくらい、締結された条約を条文どおり厳密に守ってきているということです。
 池田 固定観念というものの恐ろしさですね。それは、悪酔いをひきおこすかのように、人々の頭のなかを不信と憎悪の酩酊状態へと誘いこんでいきました。日本でも一時″ソ連脅威論″なるものが、盛んに喧伝されました。
 こうした固定観念を取り除くには、さまざまなレベルでねばり強く交流と対話を繰り返していく以外にないようです。モスクフを訪問したレーガン大統領が、″ソ連・悪の帝国論″を放棄せざるをえなかったように‥‥。
 ポーリング ソ連とくらべて、その点、アメリカはどうでしょうか。アメリカ政府が、アメリカインデイアンと結んだ条約にかぎって言えば、その成果はかんばしくありません。アメリカ政府は、アメリカインデイアンと締結した条約の多くを破棄してきました。その他の条約について言えば、アメリカはソ連とほぼ同程度の良い成果をあげております。オハイオ州立大学の、ある歴史学者がそうした分析をおこない、その結果、ソ連はよく条約を堅持すると報告しています。

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