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日蓮大聖人・池田大作

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第三章 人間にとって科学とは  

「生命の世紀への探求」ライナス・ポーリング(池田大作全集第14巻)

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13  道徳科学をめぐって
 池田 科学技術文明の現状には、ちょうど糸の切れた凧のように、人間の手から離れたというよりも、人間の手にあまるものになってしまうのではないかという危惧を、いつもぬぐいさることができません。
 博士が著書『一般化学』のなかで、世界が良くなるには技術的な進歩と道徳科学(Moral Science)の進歩が必要である、と述べておられるのはたいへん示唆的です。化学の専門書で「道徳科学」のことにふれられているのは異例のことだと思います。
 ポーリング 私の著書についてですが、『一般化学』は大学の教科書用に一九四七年に書いた本です。
 その冒頭に「科学は急速に進歩しており、この百年、さらには一千年の間に得られる科学的知識は膨大なものになるであろうから、少しでも長生きしたいものだ」という三百年前のベンジャミン・フランクリンの言葉をのせました。フランクリンはさらに、道徳科学の発達により人間はたがいに狼であることをやめ、人間性と呼ばれているものの真の意味を学ぶときがついにくるだろう、と述べています。
 この本を書いた当時、私は科学の分野における基礎倫理とでもいうべきものをまとめあげていました。
 科学者はどのように行動し、ふるまうべきであるかという道徳規範です。私のその化学の本の冒頭部分以外で道徳についてふれているところはないのですが、とにかくそのことについてふれておいたことは、いいことだったと思います。
 池田 大切な、そして先駆的な着眼点であると思います。ベンジャミン・フランクリンの言う「人間がたがいに狼である」状態が、三百年前にくらべて、さして是正されたように思えないのは、残念なことだからです。
 それに関連して、晩年の湯川秀樹博士が、医師の集会で、味わい深い講演をしていました。――物理学をやり、外的世界ばかり研究していても、年をとるにしたがい、自分とは何かに関心が深まってくる。外の世界を知ること自体が、自分を知ろうとすることと別ではなかった、と。
 そして、湯川博士は言います。
 「われわれが生きていくということは、自分一人が生きているんではなくて、ほかの人と一緒に生きている。しかもほかの人と自分とは別のものではなく、その間にはいろいろなつながりがあります」「やっぱり一番大事なつながりは愛情であろうと、ますます強く感じるようになってまいりました。(中略)せめて人に接していやな感じを与えない、人を楽しい気持にすることができたらと思います」(『外的世界と内的世界』岩波書店)
 平凡のようにみえて、まことに滋味と温情にあふれ、″いぶし銀″の年輪を伝えてあまりあります。
 こうした感情は、宗教で説く「愛」や「慈悲」にも深く通じており、このような共通感情がポーリング博士の提唱きれる「道徳科学」の土台にもなっていくのではないでしようか。

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