Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二章 わが人生の譜  

「生命の世紀への探求」ライナス・ポーリング(池田大作全集第14巻)

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9  人間の幸福の条件
 池田 人間の幸福というのは、一般的に、健康であること、経済的に恵まれていること、社会的地位が安定している等、人によってさまざまな解釈があります。
 そして現代にあっては「心」の問題が大きな比重を占めております。自分の生きがいをどう充足させるかが人間の強い関心事となり、人間の幸福の条件を考えるうえで、″モノから心へ″というのは時代の流れといえましょう。
 ポーリング 真の幸福は、生きていること自体に満足感をもつことにあると思います。真の幸福を得るために何が必要なのか。あらゆる人が、幸せになりうる世界を私たちはつくるべきなのです。幸福が意味するものは、その人にとっての十分な食物、衣類、住居、そして教育をもつことであり、また、これは最も重要なことですが、自分が好んですることができる仕事につくことなのです。
 そして、大切なことは、男女を問わず、生き方がその人にとって、満足すべきものでなければなりません。
 池田 たしかにそれはありますね。
 ポーリング 私はどちらかといえば、妻が家事をいとなむという考えが好きですし、家事は大事な労働だと思います。女性が幸せになるために、銀行の副頭取になったり、そのような仕事につく必要はないと思います。
 とくに、多くの婦人たちは家事をいとなみ、夫や子どもたちの世話をするほうが、机に座ってタイプライターで手紙を打ったり、報告書を作成したり、また他人所有のコンピューターに何かを打ち込んだりすることより、幸せであるように私には見えます。社会の型にはまった生活よりは、婦人にとって、世帯の中心として家庭のなかで役割を果たしていくほうが、より満足を感ずるものになるだろうと思います。この点において、私の考えは保守的です。だれもが幸せになりうる世界を見たいものです。
 もちろん、幸福は、世界の不思議を楽しんだり、旅行のための十分な余暇とお金をもったり、その他、自分が楽しく過ごせる機会をもつこともその一つです。若者にとってたいへん重要なことは、良きパートナーを見つけ、人生の早い時期に結婚し、人口過剰の問題があるので、子どもはそんなに多くなく、一人か二人もち、人生をともに楽しみ、生涯をともに暮らすことだ、と私は信じます。
 池田 「だれもが幸せになりうる世界を見たい」とのお言葉に、人類の平和と進歩を願い、行動されてきた博士の心情を知る思いがします。
 仏典には、この現実の世界を「人々が人生を楽しみながら自在に生きていくところである」と説き、人が生まれてきた目的は「楽しみにきたのであって苦しむためではない」と教えています。
 私の恩師は悲惨と不幸をこの社会からなくそうとして、仏法を庶民の真っただ中で弘め、庶民の幸福のために一生をささげた人でした。いわゆる過去の宗教の指導者とはまったくスケールの違う人でした。しかも、よく博士と同じ信条を語っていました。もし恩師と博士の邂逅かいこうがあったならば、人類ヘ偉大な光を与える「科学」と「宗教」の対話となったのでないかと私は思います。
 博士の言われる「真の幸福は、生きていること自体に満足感をもつことにある」とは、仏法の幸福観に通じていくものです。
 女性の幸福についても、盲点になりがちな点を指摘されていると思います。かつて日本のある哲学者が、倫理学の本に、なぜ「幸福」の問題があつかわれていないのか、との疑問を呈したことがありました。
 いくら恵まれた環境であっても真剣に人生を考え、自分を磨くことを忘れては、何を追いかけてもたしかな幸福感は得られない。そして真実の幸福を願うならば、みずからの幸福だけでなく、他の人の幸福のために働くことを忘れてはならないと思います。

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