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日蓮大聖人・池田大作

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まえがき  

「生命の世紀への探求」ライナス・ポーリング(池田大作全集第14巻)

前後
1  われわれは世界の歴史上、きわめて重要な時を迎えている。米ソという二つの核超大国が、年間、軍備に六千億ドルという巨額の費用を使っている。この費用の多くは浪費という以外にないものだ。
 米ソ間の核戦争は、文明の最期、すなわち人類の終末を確実に意味するであろう。そうした核戦争が起こる可能性を考えること自体、まったく理性に反するものである。
 第一次大戦と第二次大戦での破壊がきわめて甚大であったので、戦勝国でさえも利益にはならなかった。勝った国でさえ何百万という人命はおろか、膨大な富を破壊されるという大きな被害をうけた。まして、第三次大戦はすべての国と国民に考えられないような損害を与えるという点で、今までの戦争とまったく異なるものとなろう。
 今やこれらの事実が認識され、行動が開始されねばならないときだ。軍事に浪費されている費用を、世界中の人類の福祉のために使うようにしなければならない。
 ここ数十年間にわたり池田大作氏と私は、軍縮と世界の相互理解と世界平和の目標を実現するために働いてきた。一九八七年と一九九〇年に創価大学ロサンゼルス分校で、私たちは、これらの諸問題と人類の未来について語りあった。
 私たち二人が今、進めている努力は、本書の対話のなかに詳細に述べられている。私はあらゆる人々がこの対談集を読み、不戦と平和な世界の建設という目標を実現するために、みずから立ち上がる決意をするよう促したい。
 一九九〇年三月三十日
2  ポーリング博士のこと――まえがきに代えて 池田大作
 その日、雨あがりのカリフォルニアの空は、ぬけるように青く澄みわたっていた。ユーカリの並木を爽やかな風が吹きぬける。
 一九八七年二月。ライナス・ポーリング博士は私との対談のため、サンフランシスコのご自宅から空路、創価大学ロサンゼルス分校の開所まもないキャンパスまで出向いてくださった。
 こうして私たちの初めての対話が始まった。語らいは、初対面とはいえ、旧知のようなあたたかさにつつまれたものとなった。
 二十世紀科学界の巨人といわれる存在でありながら、ポーリング博士は、少しも飾ったところがなく、むしろ謙虚さと包容力にあふれていた。
 「世界平和のために、私にできることは、なんでも喜んで協力させていただきます」と慈父のごとき笑顔で語ってくださった一言は、今も私の脳裏から離れない。
 話題は科学、平和、そしてアインシュタイン博士との懐かしい思い出等々、多岐にわたり、たちまち予定の時間が過ぎ去ってしまった。
 とても一度の出会いで、すべてを語りつくせるものではない。そこで、後日、対談集として一冊の本にまとめることが合意されたのである。
 対談集完成のために、博士は並々ならぬ情熱をそそいでくださった。それは、今なお寸暇を惜しんで化学・医学上の研究にあたり、論文を書かれている多忙のなかでの作業であった。広大な太平洋を眼下に望むカリフォルニアのビッグ・サーにある別荘で、その作業を進められたとうかがっている。
 博士の評価は″現代化学の父″としてすでに不動である。さらに化学のみならず、生物学や医学の分野でも、画期的な業績をあげておられることは、本対談からもよくうかがえるところであろう。
 周知のように博士は三度ノーベル賞を受賞されている。単独で二度受賞したのは、ポーリング博士ただ一人である。ダーウィン、ガリレイ、ニュートン、キュリー夫人、アインシュタインなどと同列に並び、史上最高の科学者の一人として位置づけられている。
 博士は今年(一九九〇年)八十九歳。一九〇一年の生まれであるから、文字どおり二十世紀を生きぬいてこられた。三度の世界大戦に苦しみ、核の脅威にさらされた今世紀にあって、博士は、いかなる軍事力にも屈しない精神の力の勝利を一貫して訴え、行動されてきたのである。
 博士に対しては理不尽な批判もあった。しかし徹底したヒューマニストとして正義の信念をつらぬいておられるのは、見事というほかない。
 本対談が、そうした博士の真実の姿をより深く知っていただく機会になることを私は願っている。対談のなかで、博士は幼少からの成長の軌跡にくわえ、科学者、平和活動家としての信条を、豊富なエピソードを交え率直がつ平易に語ってくださった。
 二十一世紀へ羽ばたく青年たちが、この対談集から明日を生きるためのなんらかの示唆を得てくだされば、両著者にとって望外の喜びである。これがポーリング博士と私が対談を始めるさいの、そもそもの出発点であったからである。
 一九九〇年四月二日

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