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日蓮大聖人・池田大作

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1 環境破壊に対して―略奪さ…  

「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)

前後
1  池田 この世界は、現在生きている私たちだけのものではなく、未来のいく世代にもわたる人類のためのものでもあります。ところが、現代の人類は、自分たちの欲望追求のため、また、愚かな衝動にかられて、未来の人類が生存できない世界にしてしまおうとしています。
 人類がこの地球上に出現してからの何十万年は、個体数も比較的少なく、自然に対して働きかける技術の力もさほど大きくなかったので、自然のもつ力とそれが奏でるリズムは、それほど大規模な破壊を受けませんでした。人類は、その何十万年来、いな、何億年来の、自然の偉大な力とその恩恵に楽観的になるあまり、とくに近代になって強大化した技術力をもって自然を部分的に破壊しても、自然の恩恵は変わるまいと考えてきたのです。
2  ところが、自然はたしかに雄大ですが、同時にきわめて繊細でもあります。そして、自然界の複雑な働きは、たがいに緊密に連結しあい、ささえあっています。小さな一地域の自然の破壊・変容が、つぎつぎと隣接地域に変化をおよぼし、地球全体に、その影響は拡大します。それは、ちょうど、静かな池に投げいれた石が、波をおこし、池全体に動揺をもたらすようなものです。
 しかも、人間の生命活動は、きわめて微妙な自然界の調和によってたもたれているため、わずかな自然界の変化も、人間の生存を不可能にしてしまう恐れがあります。あたかも、静かな池の水ぎわにおかれていた砂の塊が、池の中央に投げこまれた石によっておきたさざ波のために、たちまち溶解してしまうようなものといえましょう。
 いまのところ、人類は、何十億年来の、この地球の生態系が生みだし築いてきた、種々の恩恵の蓄えによって生命を維持しています。たとえば、大気中の酸素が、その一つです。しかし、薪、石炭、石油とすすんできた熱エネルギー資源の大量消費によって、酸素の蓄えも減っており、しかも、酸素の補給源である植物プランクトンを海水汚染によって激減させ、地上の緑も森林伐採によって年々減少させています。
 本章では、こうした人類の未来を脅かすさまざまな環境破壊を中心に論じていきたいと思いますが、教授が、こうした問題についてどのような基本的なお考えをもっておられるかを、まずお聞きしておきたいと存じます。
3  デルボラフ 私たちの対話は、人類の未来を展望せずしては、その使命を全うしたことになりません。未来といっても、たんに人類だけの問題ではなく、生命全体、また、生命をわれわれの住む惑星だけにかぎるとすれば、地球全体の未来にかかわります。
 あなたは最初に、森林の破壊と環境汚染の問題をあげておられます。これは一連の災害にかかわる報告の端緒となっているわけですが、その背景から解明していく必要があると思います。
4  池田 問題点は多岐にわたっていますが、それが生じている根源は一つです。すなわち、人類文明の“進歩”が、それらの発生している根源であるといえます。
 この個々の問題群の背後にあるものをまず把握すべきであるというお考えは、正しいと思います。
5  デルボラフ 自然科学的視点が、相互に結合して成立した新しい科学のなかでも、宇宙生物学が、六十年ほどまえから、他の惑星・恒星系に生命や知性が存在するかどうか、を研究しています。ここに、二つの見解が対立しています。
 一つは、人類が地球上に存在することを唯一無比とみなすのは、人間の傲慢である。そして、生命(さらに知性をもつ高等生物)の発生に必要な宇宙物理学的条件は、銀河系のほとんど無限の広大さと豊満さを考慮すれば、どこにでも存在してしかるべきだ、という意見です。もう一つの意見は、人類発生の必要条件は極度に複雑で不可能なほどであるとみなされ、地球上における人類の誕生はまったく例外的であり、歴史的に無類のものであるというのです。
 この二つの見解はたがいにまったくあい容れず、どちらが正しいという決定も、今日の段階ではまだできません。しかし、一つの共通点として、ともに、人類の文明の特殊性を、哲学をはじめとする精神科学や芸術や宗教等の文化的創造にではなく、技術的成果に見ようとしています。
6  事実、環境を、人間の生活に有利になるよう――しかしまた、今日、われわれが体験しているように、自分自身を死に追いやる危機に向けて――変えてきたのは、文字で記述される文学でもなければ、哲学という思考形態や、そこから生まれる、世界における自己の理性的な方向づけへの動機でも、また、建築や造形美術の芸術品でもありません。人間は自然の生産的な豊饒さを発見し、技術を使用することによって自然をつくり変えてきたのです。
 ここに興味深いのは、他の惑星や恒星系に、そうした技術文明の存在する可能性を問い、探求する宇宙生物学の陰には、資本主義的な利潤追求を目的とする工業生産力と、勢力拡大のための軍備政策という、二つの技術的成果が本質的な原動力となっているのに、それが忘れられているか、あるいは隠蔽されていることです。
 ところが、まさにこの工業技術文明こそ、人間を自然の支配者とし、食物、家屋、そして、われわれが望むような生活水準の向上をわれわれに提供しているものであり、キリスト教徒にとっては、大地を隷属させるべく神から委託された使命を全うするための手段となっているのです。
7  池田 さまざまな民族の神話においても、人間が手にした技術の力を神からの贈り物であるとして正当化する話が、織りこまれているようですね。
 中国では、狩猟・漁撈を人々に教えた伏羲、農耕や医薬を教えた神農、冶金を教えた黄帝などの話を伝えています。
 ギリシャ神話では火をあつかうことを教えたのはプロメテウスであるとされていますね。もっとも、このためプロメテウスは、ゼウスによって罰せられますが――。
 ユダヤ・キリスト教の場合は、人間は他のすべてを支配する使命を託されたことになっていますから、技術を罪悪視することはないようですね。
8  デルボラフ 前工業時代では、まだ原始的手工業技術が素朴なかたちで自然に働きかけ、自然のもつ可能性をどうにか自分のものとしていた程度で、自然の利用も比較的かぎられていました。これに対し、工業技術は、容赦なく自然を加工し、無制限に自然を搾取するようになりました。
 この“搾取”という問題について、マルクスは近視眼的に労働者からの搾取についてのみ語りました。その結果、彼らは頑固に抵抗するにいたっていますが、マルクスによって看過された自然は、こうした搾取に抵抗することができませんし、何千倍も優勢な人間のなすがままになっているのです。
9  池田 マルクスも、自然は人間によって搾取され、支配されるためにある、というユダヤ・キリスト教的考え方の枠から出ることはなかったということですね。
10  デルボラフ この一連の問題を、地球という惑星全体の次元で観察してみると、技術革新の経済的および戦略的動因がいっそう明らかになるだけでなく、そこから、自然環境の枠内における人間の破壊工作の全貌が理解されます。
 先に述べた、あらゆる破局の症候の直接原因でないにしても、それをもたらした遠因は、世界的規模での工業技術の影響であり、さらにその原因は、世界人口の急速な増大です。後述するように、これは工業技術の発展と無関係でなく、また、今日、重大な危機の要因となっています。
 紀元前後の人口は約二億五千万人と推定され、十六世紀には五億人でした。ところが、それから二百年後には、倍増して十億人になり、一九三〇年に二十億となり、それからたった五十年間で、二倍以上の五十億を越える人口に達しています。さらに西暦二〇〇〇年までには、六十億人に達する計算です。
11  池田 これをグラフにえがいてみると、最近百年そこそこの人口の増え方はまさに驚異的であり、もはや“増加”というよりも“爆発”と呼んだほうがふさわしいでしょう。
12  デルボラフ これはとくにインド、東南アジア、アフリカ諸国、南アメリカの開発途上国の出生率が高いためです。
 一九八四年にメキシコ市で開催された世界人口会議の報告によりますと、今日、地球上で毎分二百三十四人が出生していることになります。その内訳は、アジアで百三十六人、アフリカが四十一人、中南米で二十三人、そして先進工業諸国で三十四人ということです。世界人口は、毎年、八千万人増加していることになります。
 それとならんで都市化の進展があり、必然的に環境破壊が増大することになります。大規模工業をかかえた大都市は、ますます巨大化します。
 一例をあげると、ワシントンとボストンのあいだの地域に四千万人が住んでおり、これは、スペインとポルトガル両国の人口に匹敵する数です。十九世紀初頭、人口二万以上の都市に住む人々(都市人口)の割合は、世界人口の二・四%にすぎなかったのが、一九五〇年までに十倍となり、二一%となりました。すでにおおかたの国々の首都は、飽和状態になっているにもかかわらず、今後も都市集中化は進行し、西暦二〇〇〇年ごろには、現在の世界人口以上の住民が、都市に住むことになります。
 人口がこのように急激にふえつづけるのは、その生物学的生命力のあらわれということができます。こうした生命力の発露が、過去何世紀ものあいだ、抑えられていたのは、かつてマルサスが示した自己統制の法則によるものにほかなりません。飢餓、高い小児死亡率、成人の早死に、流行病や疫病等が、比較的均衡をたもつよう、人口秩序を調整していたのです。
 ところが、こうした自己統制力が、医学の進歩――たとえば、ペニシリンとか、天然痘を絶滅した種痘――や、発展途上国の住民への医療対策がもたらした成人、子ども、乳児の死亡率低下によって、大幅に弱くなってしまいました。そして、豊かな地下資源や、その他の生産力が発見されるにつれて、この発展途上地域は、ヨーロッパの膨張する工業経済の渦に巻き込まれ、工業国にパンと労働力を提供する、新たな農業生産地帯になったのです。
13  池田 いうまでもなく、今後の人口増加の見とおしは、あくまで、現在の増加率がつづくとこうなる、という予測です。今日でもアジア・アフリカ地域の多くの人々は飢餓線上にあり、出生率は上昇しても、それだけの人口をやしなえる食糧はないでしょう。とすれば、これまで人口増加をさまたげてきたのが病原菌等であったのに対し、これからの妨害要因は飢えであるということになります。これは、核戦争などがおこらなかったとしても、まず必然的に人類が直面する壁であるといえます。
14  デルボラフ 世界人口は、とくに第三世界で毎年三~四%の割合で増加しています。食料生産が一・三%程度の増加率ですから、恐るべき事態が予測されます。つまり、発展途上国には、想像もできない大きな飢饉が、待ち受けているわけです。そして、それに並行して、大量の失業者が生まれることになります。
 こうした事態のすべてを正確な数であらわすことはできないとしても――というのは、研究者がこうした未来予測の基礎にしている実情と傾向性というのは、かならずしも、どこでも同じというわけではないからですが――そうした例証のいくつかを取り出してみると、われわれが黙示録的な時代に直面していることはたしかです。
15  池田 博士のおっしゃることに、まったく同感です。
 もう一つの例として、森林破壊の問題をあげてみても、シベリアやカナダに広がっていた針葉樹林、東南アジア各地の熱帯樹林は、急速に“開発”の名のもとに姿を消しており、ベトナムのマングローブの密生林は、アメリカ軍による枯葉剤の散布によって枯れつきて、もはや再生不可能といわれています。また、南米のアマゾン河流域では、大規模な開拓がおこなわれて、「緑の大陸」と呼ばれてきた威容を失いつつある、と伝えられています。
 もちろん、この背後には、木材を輸出しなければ財政が維持できないとか、あるいは森林を切りひらいて農地化しなければ食糧が得られない等々の、やむにやまれぬ理由もありましょう。しかし、だからといって、これ以上、地球上から緑を減少させていったならば、酸素の絶対量が不足するような事態に、やがては立ちいたることは目に見えています。私たち人類は、世界的視野から、この地球上に必要な森林の確保のために協力しあい、助けあっていくことが、いまや焦眉の急となってきていると考えます。
16  デルボラフ 森林はたしかに、エネルギーや木材の供給源であるだけでなく、水を貯蔵し、新鮮にし、風土をつくり、空気を浄化し、浸蝕を防ぎ、土壌を豊かにします。さらに、森林はわれわれを交通の騒音から守ってくれますし、余暇の場としての意義も大きくなってきています。さらに忘れてならないのは、森林は、そうした人間にとっての利用価値と無関係に、独自の生活権をもつ動植物群の生活空間でもある、という点です。
 西ドイツのレーゲンスブルクで一九八一年に出版された、オイゲン・ドレーヴァーマン著の『致命的進歩』によれば、七四年には世界中で、推定四千百万平方キロ㍍の森林が存在していましたが――これは全地表面積の三二%にあたります──それが近年、大損害を受けています。
 フィリピンにつづいてインド、マレーシア、インドネシアで、日本、アメリカ、ヨーロッパ向け輸出用に、森林が容赦なく伐採されているのです。
 アマゾン原始林地帯は五百万平方キロ㍍の大きさですが、毎年、数十万平方キロ㍍が破壊されており、このままでは西暦二〇〇〇年には、全滅してしまいます。原住民や熱帯動植物のことは、まったく配慮されていません。ネパールでは、六四年から七五年のあいだに、森林面積が六万三千平方キロから三万二千五百平方キロ㍍にまで減少しています。その結果、モンスーンの降雨によって悲惨な浸蝕を受けました。七六年と八〇年に、インドとバングラデシュで、ガンジス河の洪水がおきたのは、おそらくその影響ではないでしょうか。
17  池田 森林は雨水の貯水池である、という学者もいます。大量の雨が降っても森林があれば、そこに蓄えられ、自然の調節によって、ゆっくりと川に流れこみます。大地をおおう森林がなければ、雨水は急激な濁流となって大地を削りながら、いっきょに河川に流れていきます。削られた大地はますます荒廃し、その氾濫した濁流のために、下流の広大な地域も、家屋は流され農作物はダメになります。
 このように、恐るべき結果をもたらす森林伐採が急速にすすんでいる原因は、人口増加にともなう燃料や建築資材の消費増と、耕地の拡大などにありますね。
18  デルボラフ 工業化の影響で、一九五〇年から七五年までのあいだに、原料としての木材の需要が二倍になっています。四五年以降、森林保有面積はラテン・アメリカで三七%、アフリカで五〇%、アジアで四〇%ほど減少しており、発展途上国ではいまなお森林を焼いて、開墾がつづけられています。
 工業化と人口増加は、水の使用量を膨大に高め、開墾地の不毛化の傾向をさらに促進しています。土地への需要が高まっている時代には、耕地面積はふえるどころか、むしろ逆で、人口密度の高い国々では、かえって荒れ地がふえています。
 このことから「原始林開墾は農業経済に新たな耕地を提供する」という主張は、人を惑わすものであり、端的にいえば誤りであることがわかります。事実、森林の伐採は地面をたちまち砂地にしてしまい、大きな風土の変化をもたらすことはたしかです。それにくわえて、工業国では何年もまえから、原因不明の森林の衰弱現象が見られます。西ドイツでは、森林面積が増加してはいますが、森林をもっとも必要とする人口密集地帯ではふえていません。森林保護の決定要因とされているのは、林業の収益性であって、落葉樹林にくらべて収益性の高いドイツトウヒの林が優先され、それが森林面積増大の中核になっているわけです。森林破壊は、そのドイツトウヒの森林にとくに顕著にあらわれており、瀕死の状態を呈しているのです。
 したがって、緊急になすべきことは、現存の森林を、自然保護規定とか、少なくとも理性的利用条件をもうけて、そのもとに管理し、被害を受けている森林――「黒い森」や「ウィーンの森」については、適切な保護措置をとることでしょう。とうぜん、大規模工業の利潤追求の商業主義に歯止めをかけ、国際レベルで空気汚染の元凶を阻止することが必要です。それがいかにむずかしいかは、現在、西ドイツで議論されているEC(欧州共同体)での自動車排気ガス規制の導入ひとつをとってもわかります。しかし、それができないかぎり、こうした目標設定は、むなしい願望に終わってしまうでしょう。
19  池田 日本でも、かつてさまざまな落葉樹や常緑樹が混在していた原生林が切りひらかれて、収益性の高い杉や桧が植えられました。しかし、杉や桧は根の張り方が浅いため、台風やそれにともなう豪雨に弱く、山崩れがおきやすかったり、また、病虫害におかされるなど、そのもろさが露呈されて、植林政策に反省の声が出てきているようです。
 人間社会が、多様な人々の相互協力、相互補助によって成り立つように、一つの森林も、さらには自然環境全体が、多様な要素の有機的結合によって織りなされているのです。こうした自然の健全ないとなみを総合的に見つめ、保護策を推進していくことが、なによりも望まれる点であると思います。
20  伏羲
 中国古伝説の中の帝王。三皇の一人。人首蛇身とされる。文字、婚姻の礼を定めるなど基本的な人間生活のいとなみを制度化したという。
 神農
 三皇の一人。炎帝とも。牛首人身と伝えられる。人類に農業や医薬の道を開いたとされる。
 黄帝
 三皇五帝の一人。天下を統一し、度量衡を定めるなど諸制度を確立したという。
 プロメテウス
 ギリシャの神。水と泥から人間をつくり、動物のもつ全能力を付与したという。また天上の火を人間にあたえ「文化」をもたらしたとされる。
 ゼウス
 ギリシャの主神としてオリンポス宮殿に君臨。天空を支配し、政治、法律、道徳など人間生活をも支配するとされる。ローマ神話ではジュピターにあたる。
 オイゲン・ドレーヴァーマン
 (一九四〇年―)ドイツのカトリック神学者。精神分析の立場から伝統的キリスト教教義や教会制度を批判したため、大学での講義や教会での説教を禁止され停職処分を受けた。

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