Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

5 青少年の非行  

「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)

前後
2  デルボラフ 今日、「青少年の非行」という問題がとくに注目されるなかで、ひんぱんに観察される傾向性として、青少年がふてくされており、落ちつきがなく、態度が悪い、また、ドロップ・アウト(脱落)しているという、おもに否定的側面が浮かびあがっています。
 昔は、女の子についていちばん望まれたことは、うわさのタネにならないことというのがふつうでした。現代では、ちょうど青少年に、このことがあてはまります。そこから、「躾」「教養」「社会化」の“時期”としての、幼年から成人にいたる過渡期には、できるだけ波風たてずに、おとなしく過ぎさることが望まれるようです。そのため「お子さんは元気ですか、どうしていますか」と聞かれれば、「とても元気です」と答えるのが、唯一適切な返事ということになるでしょう。
 したがって、青少年がこうした正常な状態からはみだし、変わった行動をとりはじめると、大人たちは、その背後に禍のにおいをかぎつけたがります。また、マスコミは、その風変わりと見られる兆候を、とくに好んで書きたて、あおります。
 大人はこの点で、破局への奇妙な嗅覚を発達させ、一度でも青少年に批判的なことを耳にすると、不祥事を予想し、さらにより大きな不祥事をも期待してしまいます。あるいは、そこにただちに、全般的な風紀の乱れの兆候をかぎだそうとする傾向があります。
3  池田 たしかに青少年がはっきりした非行におちいっていくプロセスを見ると、最初は非行といえるほどでない行為を、周囲の大人たちが騒ぎ、決めつけてしまうことから、しだいに反抗的になり、非行行為にエスカレートしていくケースが少なくないようです。
 また、商業ジャーナリズムが、ことさらセンセーショナルに、些細な事件をおおげさに取り上げる場合があります。このような心ない大人のやり方は、きびしく戒められなければなりませんが、そうした場合に子どもたちを理解し守ってあげる良識ある大人は、意外と少ないものです。
4  デルボラフ こうした行動様式の傾向性を客観的に見ますと、三つの方向が考えられます。つまり、一、青少年犯罪の量的増大、二、犯罪行為の質的悪化、そして、三、刑法の適用されない低年齢層への拡大です。
 今日の青少年犯罪に関する日本の調査を読んだことがありますが、それによると、大人の犯罪にくらべて、二倍の増加率を示しているようです。私は日本における状況については、何も判断できませんが、この調査で興味深いと思うのは、日本の犯罪率が、一般的にヨーロッパの犯罪率を、はるかに下まわっているということです。
 ドイツでも、これと似たような傾向があるかどうかを検討するためには、青少年犯罪の問題の性質を区分けし、多少なりとも数量化できる、変数の項目を開発する必要があります。まず、犯罪をおのおのの発生件数と罪の軽重にしたがって、体系化するわけですが、両方の契機が、相関関係にあることを前提とします。つぎに、犯行容疑者、あるいは犯行者の年齢層、その社会的背景、犯行の動機等を、問題にしていくことになります。
 もっとも頻度の高い青少年犯罪は、器物破損と所有権侵害(強盗や窃盗)で、これは、軽い場合には、「軽犯罪」と呼ぶことができます。これにつづくのが、比較的たちの悪い盗みや恐喝や詐欺などで、恐喝はすでに暴力行為への移行を意味しており、たいてい身体への傷害をともないます。性的犯罪や殺人は、比較的まれです。その他、ここであげた項目に入らない、多くの種類の犯罪が存在しています。
5  池田 もっとも頻度の高いものとしてあげられた器物破損や所有権侵害は、極端な言い方かもしれませんが、幼児期に家の壁などに落書きをしたり、家族の共有物を使ったりしたのと、同程度の意識でやったものであることが多いのではないでしょうか。したがって、これは社会的ルールへの無知・無認識によるものであって、この点の教育がされていれば、防げる場合が大半であると思われます。
 また、教師はじめ大人たちが、子どもたちの意識のなかに、そうしたルールが十分に定着していないことを理解しないで、定着している大人の尺度で見るから、犯罪になってしまうのであって、これを犯罪としてしまうこと自体、子どもたちにとっては苛酷にすぎるというべき場合も、少なくないのではないでしょうか。
6  デルボラフ 犯行容疑者の社会的背景に関しては、われわれの生きている繁栄した社会では、飢えや直接の物質的困窮が、犯行の動機となることはまれで、このことはすでに、何度も言われてきた事実です。ドイツの青少年犯罪も、たしかに「遊び志向型」で、もっとも多い動機は、遊びのつもりとかスリルを求めて、というものです。
 大人の犯行者と比較してみると、青少年の場合は軽犯罪が圧倒的ですが、他方ではむしろ、重い違法行為をおかしている場合もあります。強奪や押し入り強盗などの重い犯行の場合、比較的高い教育を受けた青少年はほとんど見受けられず、特殊学校の生徒が全体の約一〇%となっています。反対に、万引き、窃盗、詐欺の場合には、ギムナジウム等の高等教育を受けている生徒が目立ちます。
 若年層の失業とか、過度のアルコール中毒や覚醒剤中毒が、青少年犯罪の根底にあるともいわれますが、これは推測の域を出ません。たしかに、一九七七年に、ミュンヘン市周辺で失業中の青少年の五〇%が、なんらかの犯行にくわわっており、重い窃盗や強奪では、そうした青少年が全体の六六%にもなっています。
 しかし、アルコールや覚醒剤が、直接青少年の犯行の動機として、影響することはあまりないようです。青少年の犯行容疑者の一〇%しか、アルコールの影響を確認できませんでしたし、覚醒剤を使用していたのは〇・三%にすぎませんでした。アルコールの影響下での犯行は、暴力ざたがふつうです。
7  池田 アルコールや覚醒剤は、いわゆる自己抑制力を低下させるのであって、それが犯罪に走るきっかけとなることは、むしろ少ないということですね。ただし、いまあげられた、青少年犯行のうち覚醒剤使用者は〇・三%にすぎなかったという数字とは別に、覚醒剤使用者のなかの何%が犯行をおかしたか、という数字のほうが重要ではないでしょうか。
8  デルボラフ 今日、急激に増大する失業率が、青少年犯罪率をさらに高めているということも、一つの伝説にすぎません。オランダのハーグにある国際司法裁判所が最近おこなった調査からは、この点に関して、むしろ否定的な答えが出ております。私が観察できたかぎりでは──といっても七〇年代後半のミュンヘンとその周辺地域ですが──青少年と大人とで、犯罪の上昇率に大差はありません。
 そこで、“エスカレートする青少年犯罪”という定説を、統計学的につくりあげられた神話だ、とする研究も出てきています。それによると、質的傾向性の分析、またとくに数値データについては、十分注意する必要がある。犯行容疑者がより低年齢化しているというのも、あまり信憑性がない――と。
 ただ、多少信頼がおけるのは、青少年犯罪の大多数が──とくに遊び志向型の犯行がそれに属しますが──エピソード的性質のものであり、犯行者の社会的背景から見ると、教育的にハンディを背負っている者によるということです。また、病的性格や不利な社会条件がかさなると、そうした犯罪が常習犯化するという洞察も大事です。
 ここで強調すべきは、青少年犯罪は、軽犯罪が主で、したがって、その物的被害もたいてい、ごく小さいということです。ミュンヘンでおきた盗みの五〇%の場合が、十マルク以下です。マスコミがときどき喧伝するような、青少年犯行者の凶暴化という仮説にも、反駁の余地があります。これは、特殊な統計の取り方と関連していると思います。
9  池田 なるほど。おそらく、教授の見方が正しいと思います。ただそれはそれとして、この問題で大切なことは、家庭や学校もふくめ社会全体に、規範、ルールを重んずる風潮が確立されるとともに、それが青少年の意識に奥深く植えつけられるような教育がなされることです。そのためにも、まえに別の項で述べたことのくりかえしになりますが、学校へかよう以前の幼少期から、まず家庭で、躾がおこなわれることが大事でしょうし、学校教育においても、たんに知識としてでなく、具体的な行動を通じて、社会のルールの遵守を習慣づけることが肝要です。
 青少年の非行化を生みだした背景に、社会全体の義的風潮があることが指摘されると、しばしば、風紀を権力によってひきしめなければならない、といった主張がでてきます。たしかに、青少年の目につきやすいところに、露骨な性描写の本や写真、映画の看板等、といったものが氾濫していることは望ましくありませんし、テレビ番組などの過度の暴力シーンもさけるべきでしょう。しかし、そうしたものをいっさい取り締まるということになれば、芸術的な表現の自由までも抑圧することになりかねません。
 むしろ、大人が力をそそがなければならないのは、悪い影響をおよぼすと思われるものをなくしてしまうことではなく、青少年自身に、判断力と自己規制の精神的力をやしなわせることです。抵抗力を強めさせることに努力しないで、無風状態の温室育ちにさせることは、ひよわな人間をつくる、という結果にしかならないからです。
10  デルボラフ この問題全体を判断するさいに忘れてならないのは、青少年犯罪の場合、現実におこっていること、またはおこったことではなく、警察が犯行ないし犯行容疑として登録した事件が、問題として取り上げられるということです。青少年による犯行に出あった大人は、だれもがすぐ警察へ届け出るわけではなく、多くは若者自身と問題を解決しようとし、面倒をさけたがります。また、その経験をいかして、今後、自分の所有物の安全をはかるようにもなります。
 もちろん、青少年犯罪が遺憾な弊害であり、極力少なくするのが大人の責任であることには、議論の余地がありません。同様に、刑務所が、子どもや青少年の成長にとって、もっともまずい場所であることは、確認されているとおりです。大人の場合には、刑務所生活が成人教育上の影響なり、効果なりを期待できるかもしれません。しかし、子どもや青少年の場合には、「刑期」のあいだに、たとえどんなに多くの職業訓練、再教育の可能性があたえられたとしたところで、教育的成果はまったく期待できません。彼らがそこで学ぶのは、たいてい犯罪を成功させるための新しい犯行やトリックだけで、この意味では、少年院はふつう、プロの常習犯への第一段階とさえなっているのです。
11  池田 そこで、では、どうしたら青少年犯罪を少なくすることができるかということですが、この点については、どのようにお考えになりますか。
12  デルボラフ 今日の享楽主義志向の文明社会、つまり刺激的なポルノ雑誌から過度の暴力にいたるまで、あらゆる遊びによる快楽と娯楽が商業化されている今日の社会で、環境整備を訴えても無益であるという点では、私たち二人の意見は一致しています。
 もっとひどいことに、この誘惑にみちた社会環境は、家庭や「隣人関係」における従来の道徳規範をも、別の仕方で毒しています。一方ではマスコミが、犯罪や汚職によって、いかに早くお金、財産、富裕、名声等を獲得できるかを教えます。他方では、マルクス主義によって鼓吹された社会批判的イデオロギーが、私有財産を「合法的窃盗」と誹謗し、それを尊重する従来の精神的態度を破壊しつつあります。
 こうした好ましからざる影響に対して、子どもや青少年に免疫性をあたえることは、現状では「敬虔なる願い」と映るかもしれません。しかし、その是正は、もっと人生の早い時期にはじめれば、できるかもしれません。つまり、あなたが強調しておられるように“倫理教育の細胞”であり、“母なる大地”である家庭においてです。
13  私は、先にも述べましたように、家庭には二重の課題があると考えています。子どもは、親の生活信条を何の疑いもなく自分のものとする段階では、愛情を必要としています。やがて、家族から離れ、若者同士の友だちづきあいに入っていく段階では、自己実現への手がかりを得るための援助を、必要とします。
 善きにつけ悪しきにつけ、この友だちづきあいがどういう意味をもつかは、たとえば、非行少年グループや、人生の指針や心の故郷を失った若者を、あたかもほんとうの集団生活をにおわせて、うまくひきつけているユーゲントゼクテに見ることができます。また、実りある社会奉仕活動をおこない、緊急事態のさいには、ほんとうに献身的に従事するような青年組織にも認めることができます。
 こうして見てきますと、今日、政治的・社会的・個人的側面から、家庭が破壊されないように配慮することが大切です。また他方、青少年の友だちづきあいの監督と健全化、また、その生産的活動を援助することも必要です。もちろん、こうした配慮や援助によって、現代社会の不安というものの付随現象としての青少年犯罪が、絶滅できるわけではありませんが、それでも、ある程度抑えることはできると思います。
14  ユーゲントゼクテ
 主に青少年、少女を対象にした危険なセクトとみられ、七〇年代にドイツでも社会問題となった新宗教運動の総称。

1
2