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日蓮大聖人・池田大作

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1 仏教とキリスト教の共通点…  

「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)

前後
2  かつて、日本ヘヨーロッパ人がはじめてやってきた十六世紀のころ、たとえばフランシスコ・ザビエルなどは、仏教を信仰している日本人の生き方、考え方を見て、これはキリスト教の一種の変型である、と考えたといわれています。日本人もまた、ザビエルなどの伝えたキリスト教を、それほど違和感をもたずに受けいれたのでした。
 のちに、日本の為政者は、キリスト教信仰をきびしく禁じ、西洋との交流の窓口を長崎一港に制限して、いわゆる鎖国政策をとりました。いったんキリスト教に改宗した人々も、きびしい弾圧のため、その多くがもとの仏教徒にもどったり、身分を隠したりしました。
 あくまでキリスト教の信仰をつらぬこうとした九州の一地方では――先に教授も述べられた島原の乱ですが――苛政への抵抗とあいまって、きびしい戦闘がおこなわれました。また、キリスト教の信仰を仏教の様相でカムフラージュし、イエスを抱いたマリアを、仏教の観音菩薩に仕立てあげて何百年も伝えた人々もいます。
 これは一見、仏教とキリスト教の対立というふうに見えますが、本質的には徳川権力体制と、神のみにしたがおうとするキリシタンとの対決と見るべきです。仏教教団がその信仰教義の相違からたがいに流血の争いを演じたり、あるいは他の宗教を信ずる者に対し、暴力をもって迫害をくわえた例は、ほとんどないといってよいでしょう。
 仏教とキリスト教の相違点は別に取り上げることにして、両者の共通面、そして、それが人間の精神的向上に果たした役割といった問題について、教授は、どのようにお考えになりますか。
3  デルボラフ こうした考察をすすめる場合、宗教的体系の比較から出発し、おのおのの共通点や相違点を明確にする必要があります。もとより、批判も許されてしかるべきですが、その場合、批判の対象となっているものの陰に隠れている批判者自身の信仰理解がどうであるかということが、重要な要素として拾いだされるべきです。
 つまり、批判から自己批判へと前進する必要があります。そのようにしてはじめて、私たちの対話も、宣教の意図をもってするものではなく、ほんとうに実のあるもの、そしてたがいを結びつけうるものとなるでしょう。ここから、あなたが「人類共同体意識」と呼んだものの前提条件も、宗教的生活信条の実践的問題としてはじめて理解できると思います。
 創唱宗教、あるいは高等宗教は、実践上、礼拝上、教義上の相違があるにもかかわらず、自然宗教や原始宗教をはるかに凌駕する本質的な共通の特徴をもっています。原始宗教もふくめてすべての宗教は、最終的には、救済への道であると理解できますが、何を救済とみるか、救済への道をどう理解しているか、救済が実現する場所をどう理解しているかという点に、その相違を見ることができます。
 救済とは、本質的に、現世の生活の有限性と苦悩の体験に対する対極として規定されます。したがって、少なくとも一つには、無常性の克服と苦悩からの解放を意味しています。原始宗教の信奉者はこの世のわざわいを、霊や鬼神によるものであるとしており、供物により寛容や援助を得ようとします。また、彼らは、そうした捧げ物や儀式により故人の冥福と救済を成就しようとつとめます。
4  宗教が高等宗教となるのは、人間が現世または来世の至福を自分の力で、とくに、秩序づけられた善をめざす行状、つまりカントの言う「道徳的経歴」によって獲得できると信じるところにあります。
 個人的幸福としての救済を現世で達成できるのか、あるいは、死後における至福を期待すべきなのかという問題では、高等宗教それぞれで、教義上のちがいがあります。ただ、死後に救済が待っているか、地獄に堕ちるかは、現世での個々人の行状が規範にのっとっているか、違反しているかで決定されるという点では、共通しています。
 そのさい、各宗教の創唱者が規範制定者の役割をもつとめます。さらに、仏教徒は――あなたのお話に対する私の理解が正しいとすれば――自分のカルマ(業)の限界内で現世の幸福も形成できると信じています。
 こうした信仰の実質的な中心問題以外にも、高等宗教は多くの共通点をもっています。同時に、それがおのおのの教義内容や外的な現象形態を規定しており、それによって比較することも可能になります。どの宗教も、一つの道徳上の規範集のようなものをもっていますし、宗教儀式上の伝統的所作を規定している“しきたり”も存在します。さらに、人類学的、存在論的、神学的・宇宙論的な信念をあらわしている教義をもっており、そのなかで信仰の実践が展開されるのです。
 こうした前提条件をふまえていくと、すべての高等宗教に関して、つぎのような結論がみちびかれます。まず第一に、信奉者のあいだに、「教団化」と呼べるような団体形成が必然的におこなわれるということです。この教団化は、さまざまなかたちで社会的・政治的なものにまですすんでいきます。
 カール・ヤスパースによれば、仏教は異端者の火刑、十字軍、魔女狩り等のない唯一の宗教です。こうした仏教の場合は、教団化がゆるやかで、寛容性を保持してきた例といえます。これに対し、ローマ・カトリック教会などは、制度化した実践、厳格な入信規則、信仰上の違反に対する制裁をもち、法的、道徳的にきびしい組織という特色をもっています。
5  しかし、かなり教団化された宗教でも、政治権力を、しかも長期にわたって保持するということは、そうかんたんではありません(そのときには「神権政治」の形態をとります)。そこで、ふつうは、たくさんの宗派(セクト)が存在することになります。
 宗派とは、おのおの独自の儀式と教義をもち、自派こそが救済への道であると主張する小さな信仰団体のことで、そうした教団が形成されていくなかから、一種の信仰上の権威が生まれてきます。権威は、信仰生活や教義の統一と一貫性を崩壊させないための前提条件となります。
 これは、信者の宗教儀式上の実践を秩序だて、規制するためばかりではなく、信仰上の伝統の受容、裁可、教典化のために必要なことなのです。この信仰上の伝統とは、創唱者によってはじめられ、弟子や信奉者により記録され集められた言説、警告、予言のことです。
 これは、受容過程のなかでその信憑性が吟味され、不純な部分は取りのぞかれ、「師匠」の「正しい教え」として権威づけられていきます。たとえばキリスト教会では、かなり早い時期に、イエスの生涯と死に関する膨大な記述が成立しましたが、ふるいにかけられて真偽の鑑別がおこなわれ、そこで残ったもの、すなわち、四つの福音書、使徒行伝、使徒の手紙、そしてヨハネ黙示録が公的に認められたのです。
 他の高等宗教でも同じで、ユダヤ教は『旧約聖書』を、イスラム教は『コーラン』を、そして、いうまでもなく仏教では仏弟子たち自身が伝統教義を成立させました。信仰の伝統は、こうした教典化と発展のなかで完成されていったわけです。
6  池田 仏教における仏典結集は、釈尊滅後、四回おこなわれたと伝えられています。
 第一回は釈尊が入滅したその年のうちに、約五百人の弟子が摩訶陀国・王舎城の近くの畢波羅窟に集まっておこなわれたとされています。第二回は、約百年後で毘舎離城に七百人の僧たちが集まっておこなわれたといわれています。第三回目は、それからさらに約百年たったころで、華氏城に千人の僧が集まっておこなわれたとされ、これをもって経と律と論の三蔵が完成したとされています。第四回目は、さらに約百年後で、カニシカ王の外護のもとにカシミールでおこなわれています。
 この四回にわたる仏典結集の内容を見ると、第一回、第二回は、戒律の整備に重点がおかれ、教団の維持、僧の行動規範の確定が課題であったことがわかります。
 しかし、三回、四回となると、すでに仏教は在家の人々にひろまっており、それにつれて柔軟な解釈が必要となったようで、どこまでを正当と認めるかが論議のマトとなっていたことがわかります。
7  デルボラフ キリスト教でも、とうぜん、信仰教義が別の方向に発展して、伝統が断絶したようなこともありました。西洋の信仰生活における伝統の断絶は、紀元後八世紀にはじまり、十一世紀に決定的になったギリシャ正教会とローマ教会の分裂、また、十六世紀におけるプロテスタンティズムとローマ・カトリック教会の分離に見られます。
 そして仏教でも、旧仏教に対し創価学会が属する新仏教が区別されますし、ここに一つの伝統の断絶があります。旧仏教はいわゆるパーリ語経典に拠っており、他方、新仏教は別の教義伝統にしたがっています。創価学会は、たとえば――私の知っている範囲で補足しますと――本仏として、創唱者としての日蓮(一二二二年―八二年)を敬っています。日蓮はちょうどトマス・アクィナス(一二二四年ころ―七四年)と同時代の人で、法華経を聖典として取り上げたのですね。
8  池田 仏教の経典は、中国に伝えられる段階で、サンスクリットあるいはパーリ語から中国の言葉に訳されました。しかし、中国から日本へ伝えられる段階では、日本語への翻訳はおこなわれませんでした。というのは、日本は中国の文字をそのまま取り入れて用いていたからです。
 したがって、漢文の教養を身につけた当時の知識人たちは、翻訳されなくても容易に内容を理解することができたのです。しかし、一般民衆にとっては漢文のままの経典は容易に理解できませんでした。そのため、大部分の人は仏教の教えの内容を正しく知らず、そうした人々の無認識に乗じて、経典に反した教義を立てる宗派がつぎつぎと生まれたのでした。
 日蓮大聖人は、これらの宗派に対して、経典を根拠としてきびしい批判をくわえられたのですが、人々は素直に認めようとせず、かえって権力などに訴えて迫害をくわえたのでした。
9  デルボラフ それはたいへんに興味深いことです。つまり、革新の活力こそ宗教に多様な形態をあたえるもので、多様性はまた宗教の豊かさを織りなすとともに、その統一性を危険にさらすものでもあります。
 いずれにせよ、こうした信仰上の分裂は部分的に種々雑多な形態をとり、これがまた多かれ少なかれ高い棚を組みあげることになりますが、またもう一方では、信仰上の異なる欲求に応じることにもなります。
 ギリシャ正教会は、初期キリスト教の伝承をより一貫して保持しており、教義的にもカトリック教会よりも寛容でした。プロテスタンティズムは、硬直化したローマ教会の伝統からの解放を求めて、初期キリスト教の源泉である福音書にかえろうとしました。そのため、福音書を信者のために母国語になおし、わかりやすくしたのです。ただとうぜんのことながら、そのことは個人的な信仰解釈を自由にさせることになりました。ここに、プロテスタント内部に数多くの宗派が発生したゆえんがあります。
 私は思うのですが、東南アジアやセイロン(現スリランカ)の小乗仏教と、インドから出発し、とくに中国、チベット、日本にひろまった大乗仏教の区別を知ると、ヨーロッパ人にも仏教の形態や発展史が概観しやすくなるのではないでしょうか。
 小乗仏教では、正覚とか成仏が特定少数の信仰者のみに約束されるので、出家宗教という比較的エリート意識の高い性格をもっています。これに対し、大乗仏教では、法華経にも明確に宣言されているように、すべての人が正覚を得る能力をもっているとされます。
 また、小乗仏教と同様、大乗仏教も細分化をくりかえして宗派を形成してきましたが、それでも大乗仏教は受容された地域ごとに、比較的まとまった信仰上の伝統を保持しています。中国仏教は禁欲的・瞑想的実践を前面に出し、チベット仏教は呪術的・神秘的傾向性をもっています。日本の仏教は、生活におよぼす影響に最大の関心を払っているという点で、実用主義的といえます。
 こうした特徴づけは私にとってたいへんよくわかるのですが、正しいでしょうか。それとも、補足したり、訂正すべき点がありますか。
10  池田 チベット仏教は、政教一致体制が立てられていましたので、権威を強めるため、呪術的・神秘的色彩が非常に強くなったといえます。中国の場合、かつては禅宗の瞑想的なものや、密教系の呪術的なもの、また、道教と融合した祭祀的なものなどが混在していたようですが、今日の大陸中国では瞑想的仏教が中心となっているようです。
 これに対し、台湾や東南アジアの華僑社会では祭祀的なものが主流のようです。日本の場合は、これらのいずれもが、それぞれに勢力をもって並立しています。しかし、新宗教運動として民衆のあいだに勢力を広げているのは、だいたい、ご指摘のように、実用主義的、実利的な特質をもったものであるということはできるでしょう。
11  デルボラフ これまで述べてきた宗教体系の発展にさらに付けくわえるべき点は、各体系が、同時に、たがいに影響しあう二つの反省要素をもっているということです。
 おのおのに一種の生産的力が脈打っていて、それが信仰体験の具体的解釈をうながし、実践的信仰生活を豊かなものにしていると同時に、批判的啓蒙精神も、少しですが、存在していて、あまりに空想的な解釈や極度の変容傾向から信仰理解を守っているわけです。また、こうした啓蒙主義から、信仰への批判や自己批判も生まれ、既存の疑念を増長させたり、独自の信仰の前提をさえ問いただすところまでいくこともあります。
 先にあなたは、キリスト教と仏教の接点を、この二つの信仰体系が自己の精神的完成をめざす宗教であるという点に認められました。すなわち、死後の、また、――少なくとも仏教に関するかぎり――地上での幸福を決意するのは、その人間自身であるという点です。そこであなたが強調しておられるのは、両宗教の最初の歴史的出あいが、イエズス会士の日本での宣教活動を機縁としているため、両者の相違よりも類似面がより強くあらわれたという点です。
 たしかなことは、日本人をキリスト教の味方にするために、彼らは、仏教との障壁を積みあげるのではなく、仏教への橋渡しを意図したということです。そして、仏教的な考えが浸透していた住民は、その特有の寛大さで宣教師の努力に応じたのではないでしょうか。
 それにくわえて、教義の分野にくらべて、生活のなかで生きている信仰実践や、そこに織りなされる伝説形成の分野のほうが、相互理解が容易であるということも、助けになりました。たとえば、キリストの伝記と同じく、仏陀が超自然の力によって受胎され、誕生したという伝説があります。仏陀も悪魔に誘惑されたり、臨終のときには、大地震がおきたといわれますし、また、仏陀にも愛弟子もいれば一種の反逆者もいました。キリスト教の伝説形成には、こうした仏教の影響があることが証明されています。
 そこで、子どもを抱いたマリア像というのは、仏教の信仰世界のなかでも、似たようなイメージにぶつかるのはとうぜんかもしれません。ただ、このことは、両宗教の信仰道徳にかかわる非常に重要な共通点にくらべると、比較的外面的なものと思えます。愛とか慈悲とか、その内面的推進力をどう名づけようと、キリスト教徒も仏教徒も、その心はとくに貧しい人、弱い人に向けられています。両宗教はともに人間の実存的苦悩と脆弱さを――仏教はさらに人間以外の自然のそれをも――考慮にいれ、救いだそうとしたのです。
12  池田 まさにおっしゃるとおりで、仏教の菩薩行の根本は「上求菩提、下化衆生」とされ、一方において自己の精神的完成をめざすとともに、他方、あらゆる生き物に慈悲をもって接し救うことにあるのです。
 ただ、先に私が、前者の自己完成のほうだけをあげたのは、広い意味での仏教のなかには、小乗教や禅宗の教えのように、後者の慈悲を忘れているものもあるので、最大公約数的に、前者だけにとどめたのです。おそらくキリスト教のなかの種々の流派についても、この慈悲や愛の精神が欠けおちているものがあると思います。しかし、本来の精神に立ちもどるなら、この二つ――自己完成と慈悲(あるいは愛)――をともにそなえていくべきであることは、いうまでもありません。
13  経と律と論の三蔵
 三蔵とは仏教の経典の総称で、経蔵、律蔵、論蔵に分類。仏の所説の一切の経典、戒律、論釈をおさめること。
 フランシスコ・ザビエル
 (一五〇六年―五二年)スペインのイエズス会を創立した一人。一五四九年、鹿児島に上陸した日本への最初の宣教師。
 カール・ヤスパース
 (一八八三年―一九六九年)ドイツの実存哲学の代表的存在。精神病理学者をへて、のちに科学の限界に気づき、体系的に実存主義哲学を追究。「世界」「実存」「超存」「限界状況」「暗号解読」などの概念を展開した。

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