Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

3 自然の保護  

「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)

前後
2  デルボラフ すでに指摘しましたように、いわゆる近代化というものは、結局のところ、功罪両面の影響をもつ工業文明を抜きにしては考えられません。こうした発展の悪影響の一つとして、あなたの言われる「自然の伝統」の喪失があげられます。つまり、純粋に経済的な観点を優先する分野では、「自然」は、生産と最大利益をあげるという所期の目的を達成するための手段にすぎないとみなされます。
 あなたが嘆かれている屋久島の樹齢何千年という杉の仮借ない伐採、森や湖や河川の破壊――こうした森林や湖沼・河川は、かつては人間の自然環境であり、その美しさによって人生がより豊かなものとなっただけでなく、自然が自然そのままであることによって人の健康もよりよく維持できたのです。
 森林の伐採ということについては、ヨーロッパではすでに前工業期に、とくに南ヨーロッパのロマンス語圏の国々で進行していました。建材および燃料としての樹木の価値はかなり早い時期に認められており、また、許される所では使用されておりました。ギリシャ人は神々の彫像をたいてい林苑に建てましたが、その森林は、崇拝の対象に対する恐れから、侵害されませんでした。
 このような心理的抑制やタブーが存在しない場合には、むきだしの経済的利害が優先されました。そして、こうした自然への搾取に対して法的規制をもうけることができるのは、政治的理性しかありません。したがって、私は、自然保護というものは国家の合法的措置であると思いますし、オーストリアの「ウィーンの森」やドイツの「黒い森」が、南ヨーロッパの森林をおそった運命からまぬかれ、よく保存されていることを、個人的にうれしく思っています。
 ロマンス語圏 ラテン語を母体に中世以降に発展した言語の総称。おもにイタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語など。
3  池田 美しい山野は精神の飛翔をもたらし、人生の憂苦から心を解放し、勇気と希望をあたえてくれます。悠久に流れる河は、硬化した思考に流動性を蘇らせ、固定化した枠に広がりをあたえてくれるでしょう。またうっそうと茂る森林は、万象の根源に息づく生の神秘へと心をいざない、生命への尊敬心を呼びさましてくれます。
 「近代化」は、人間から、こうした精神的な安らぎや深い思索の源泉を奪いさりました。現代社会においては、精神的な不安定が瀰漫しており、そこから、犯罪や麻薬中毒などが激発しています。もとより、人間精神の不安定やこうした犯罪が、自然の回復によってすべて解消されるわけではないでしょうが、かなりの部分が、自然の喪失に負っていることは否定できない事実であろうと私は思います。
 「近代化」は、これまでたもたれてきた伝統の多くを破壊しています。もとより人間がつくってきた伝統の破壊も憂うべきではありますが、まずなによりも早急に目を向け、その存在の意義を正しく確認するとともに、保護の手が打たれなければならないのは、自然環境であると私は考えています。なぜなら、人間のつくった伝統は回復することができますが、自然環境は自然界のいとなみがつくりあげてきたものであり、いったん破壊されたならば、回復することは不可能であるからです。
4  デルボラフ さらにいえば、伐採という破壊的横暴は規制することができますが、かんたんに抑止できないのが、環境汚染という言葉で呼ばれている、産業経済による間接的な破壊作用です。工場廃水による河川や湖沼の汚染と魔力にかかったような森の瀕死――これらは広大な土壌の破壊を誘発しかねません。
 こうした問題は、無鉛ガソリンの強制導入とか、工業用有毒物の処理に対するきびしい規制などの個別措置をとったとしても、せいぜいその進行を緩和するだけで食い止めるにはいたらないでしょうし、ましてや、もとの状態にもどすことはできません。
 被害の原因がすべて確認され、明るみに出されているわけでもありません。たとえ原因がわかっていたとしても、市場経済の秩序をみだすような介入は社会的に好ましからぬ影響をもたらすという理由から、こうした破壊作用への対応措置は容易に実施されないでしょう。環境保護に対する負担があまりに高すぎると、資本の面で弱い体質をもつ多くの企業では、死活問題ともなりかねません。その場合は、失業者数がさらに増大してしまうことはさけられません。
 環境汚染に対して断固たる態度で対応しなければならない、という点では皆、意見が一致しているのですが、そうした処置からひきおこされる経済的・政治的マイナス面に対しては、だれも責任をとろうとせず、結局、自分自身のジレンマを乗り越えられないままでいるのです。われわれ自身がこうした状況のなかに埋没しているのですから、発展途上国の人々がなんとか近代的たろうと努力するなかで、彼らの国土の天然資源を危機におとしいれてしまうような事態を防いであげることは、なおさら困難です。
 そこで、彼らは、われわれの失敗例を参考にできるだけということになりますが、結局、他国民と同じ失敗をくりかえすことは、どの国民もさけられないのではないかと思います。
5  池田 今日、自然保護ということで問題にされるのは、いま言われた開発途上国の自然破壊です。これらの途上国は、自然をいまも多く残している国だからです。言いかえれば、すでに開発された先進諸国は、ずっと昔に自然を破壊してしまった国であるということです。
 ブラジルの大密林地帯をはじめ、いま、地球上に残された自然が地上における貴重な酸素あるからといって、ブラジルの経済開発を強制的に抑止することはできません。大密林をなるべく保存しながら経済的発展をはかるにはどうすればよいか、またブラジル等でやむなく破壊された緑の資源を他の地域でどのようにしておぎなうか――そうした総合的見地からの取り組みが早急に開始されなければならない、と私は考えます。

1
2