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日蓮大聖人・池田大作

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5 ワイマール体制の崩壊  

「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)

前後
2  デルボラフ まず留意すべき点として、ヒトラーは、全体主義理念の貫徹という点では、ドイツ帝国内では、後日オーストリアやズデーテン地方で達成したほどのめざましい成果をあげておりません。ヒトラーの台頭は、むしろ明らかに阻止されていたのであり、一九三三年のヒトラー独裁権力を公的に許した全権委任法も、さまざまな圧力と威嚇なしには成立しえませんでした。
 こうした民主主義的政体から全体主義的国体への急変が、ドイツだけの特例ではないということは、ムッソリーニが一九二二年にやはり独裁政権を樹立したイタリアの運命にも見ることができます。
 さて、あなたのお話のなかにあるように、多くの歴史家や政治学者がこの変遷を三三年のドイツの特殊事情から説明していますが、本質的には、つぎの四つの要因があげられます。
 一、一九一八年のベルサイユ条約でドイツに課せられたにがい犠牲と屈辱。
 二、ドイツとオーストリア両帝国の崩壊後も存続していた旧来の領主制の反民主主義的伝統。
 三、ドイツのワイマール共和制とオーストリアのウィーン体制という民主主義政体の明らかな構造的欠陥。
 四、最悪の時期でオーストリアの全人口に相当する六百万人もの失業者を出したワイマール共和国の、二〇年代後半における構造的経済危機。
 ワイマール体制では、国民選出による議会と大統領という二つの決定機関の機能喪失がひんぱんにおきたり、多くの政党が乱立したため統治力のある多数派が議会を占めることができなかったことなど、その失敗のくりかえしが民主主義を嫌悪させる趨勢をつくっていったのです。
 オーストリアでは、好戦的な社会主義と、それに輪をかけて戦闘的なナチスとがはびこり、民主主義的政府に対し独裁主義的報復措置をとるよう仕向けました。事実、当時の連邦首相であったシューシュニックの時代に、独裁主義的改憲にまでいたったのです。
 社会主義とナチズムは、前者はソ連の威光を借り、後者はヒトラーの帝国を背景にしながら、勢力を拡大しました。一九三四年二月の社会主義者による暴動は、同年七月のオーストリア・ナチスの反撃によって急激かつ徹底的にくつがえされ、四年後にはオーストリアはドイツに占領されてしまいました。
3  池田 この問題をとくに社会心理学的に分析したエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』(一九四一年刊)は、いまでは古典的名著となっています。その題名の示すように、大衆化社会においては、人々は“自由”による孤独に耐えられず、全体主義的体制を求めるにいたったと分析しています。
 もちろん、フロムは、ドイツ人の民族的特質や、当時の政治的・経済的・社会的現実とのからみあいで、この推移を分析しているのですが、この心理分析は、それがドイツだけの問題でなく、現代のあらゆる国々に潜在している危険性であることを示しており、現代の人間社会全体に対する鋭い警告の書となっているといえましょう。
 事実、フロムは、その後、人類社会全体の問題として、物質的豊かさの反面に進行する精神的貧困化、本能的衝動によってふりまわされる現代社会の混迷を指摘し、『正気の社会』(五五年刊)、『希望の革命』(六八年刊)等の注目すべき著作を世に問いつづけたのでした。
 現代人は、中世から近代への巨視的な流れを自由の拡大の歴史ととらえ、また、人間は本然的により大きい自由を求めるものであり、自由を捨てて全体主義的統制へ逆行しようとすることはありえない、と盲信しています。これは、自由を捨てて統制へもどるかもしれない危険性を見過ごさせてしまい、現実にそうした逆行がおこなわれていても信じなくさせ、そして、強大化した権力によって暴逆な人権抑圧がなされていくのを、みすみす許してしまうこととなります。これは、まことに恐ろしいことであり、その危険性を人間に普遍のものとして警告したフロムの業績は、じつに大きいと私は考えます。
4  デルボラフ ご指摘のように、エーリッヒ・フロムの命題は、全体主義への政治的転換は人間的未熟さのしるしとしての、一種の「自由からの逃走」を表している、ということでした。
 フロムは、フロイトの心理分析とアドラーの個性心理学の重要な(かといって、無批判的でない)後継者にあたりますが、その理念を社会哲学の分野にもちこみ、人類学的、民族学的、社会的、経済的ならびに宗教史的な洞察と結合させました。彼の著作の多くは日本語に翻訳されているようですが、とくにフロムが心理分析と禅仏教との関係に関する興味深い研究をおこなっているからだといえましょう。
 人間は自分の意志と無関係に生まれ、自分の意志に反して死んでいく。またその過程では、他者から引き離されることに悩み、孤立化への不安に苦しんでいる。人はその孤独感を正邪あわせたさまざまな仕方で乗り越えようとしている、とフロムは言っています。
 さらにまた、人は創造的な自己実現への可能性をもっているが、そのためにはまず消極的な「~からの自由」を超えて、積極的な「~への自由」へと自己変革していかねばならない。この決定的なステップヘいたるためには、とうぜんのことながら、世界を「愛」と「労働」において克服すべく全力をつくすこと、創造的自己の全力投球が必要である、と。フロムにとって「愛する」ということは、学ばれるべき一つの「技能」なのです。
 私も、フロムの偉大なる業績は、自己完成という困難な道程における個々人の迷いと危機を、入念かつ説得力をもって分析したことにあると思います。
 たとえば、他人との共同生活における擬似的な愛情関係があげられますが、これは、マゾヒスティック(自虐愛的)またはサディスティック(加虐愛的)な機構によってコントロールされており、したがって、他者を支配するか、あるいは他者に服従するというかたちでしか成立しない愛です。愛や労働で自己を実現できない場合には、権威主義的なものや破壊的なものへ逃げこむことになります。
 あるいは、集団のなかで安心感を得ようとして、自分の未完成な自由を放棄し画一主義へ走るわけです。ドイツの全体主義への飛躍は、そのような自由からの逃走という集団行為であるとともに、他のより安定した民主主義体制をもゆさぶりうる危険性があることを、フロムは確認したのです。他のこりかたまった心理分析家とはちがって、まただからこそ命題の重みが増すのですが、フロムは、ここに述べた社会学的因果関係を、この激変状況の解釈のなかに取り入れることを忘れませんでした。
 また別の個所では、ヘーゲル以来、「自由意識の発展」という視点から自己を見つめることになれてきたわれわれの文化において、自由そのものが中央ヨーロッパの多くの国々で、かんたんに投げ捨てられたという、驚愕すべき、また信じがたい事実を、フロムは強調しています。その後、フロムがこの自由放棄の解釈として、いわばマゾヒスティックな要素といったような点を、心理分析の前提としていることを問題視する動きがありました。
 事実、フロムの提起した観点に対して距離をおこうとする兆候は、一九四一年に書かれた『自由からの逃走』を、新しい版では『自由への恐怖』という不的確な題名で発刊したことにもうかがえます。出版者はそうすることによってドイツ人読者の了解にこたえたつもりなのです。しかし、そうしたことはフロムの提示した根本命題に対しては、何の意味ももちません。
5  池田 自由は、人間が追求すべき大切な価値ですが、それとともに、自由を使いこなせるには、自律心、内面的充実、そして、相互尊重の精神が確立されなければなりません。自己の衝動や感情を律しえなければ“自由”の名のもとにたがいに傷つけあい、かえって多くの人々を不幸におとしいれることとなり、その結果“自由”そのものが見捨てられることになります。
 また、個々の人間の精神的充実がなければ“自由”はかえって孤独感をまねきます。たとえば、自分は人生において何をなしたいのかという目的観がなければ“自由”は、その人にとって無意味であり、かえって重荷にさえなってしまいます。そのため、自由を放棄して、何をなすべきかを命令してもらって、そのとおりに動いていればよいという奴隷の気楽さを求めるようになるものです。
 こうした個人の内面的充実や自律の習慣は、長い文化的伝統と教育的伝統によってつちかわれるもので、しかも、外からあたえられて得られるのではなく、一人一人の自覚ある努力によってはじめて得られるのです。もちろん、ドイツのワイマール体制からナチス体制への移行の要因は、自由の放棄という心理的要因だけでなく、それに社会・経済的要因が複雑にからんでいたわけです。
 日本における大正デモクラシーから昭和初期の軍国主義への移行も、さまざまな要素がからんでいました。日本の場合は、自由の放棄という心理的要素はさほど大きくなく(というのは、それほど“自由”は許されていませんでしたから)、むしろ経済的要素が大きかったといえます。つまり、世界的不況が、当時成長しはじめたばかりの日本の資本主義経済を痛撃し、これを乗り越える道を軍事産業と海外領土拡大に求めたのです。
 こうした経験からも、平和世界の実現のためには、一人一人の内面的充実とともに、安定した経済的繁栄をグローバルな視点で考えていくことが必要であると痛感せざるをえません。
6  ムッソリーニ
 (一八八三年―一九四五年)イタリアの政治家。ファシスト独裁体制をしき、ヒトラーと組んで連合国に宣戦。イタリア降伏後に捕えられ銃殺された。
 シューシュニック
 (一八九七年―一九七七年)オーストリアの政治家、首相〈在任三四年―三八年〉。親伊政策を実行したが、ナチス軍がオーストリアに侵入したさい逮捕された。
 ソ連 本文中では、一九九一年に歴史的に消滅する以前の社会主義国家の旧ソ連を指している。
 エーリッヒ・フロム
 (一九〇〇年―八〇年)ドイツ生まれの社会心理学者。アメリカに亡命後、新フロイト主義のリーダーとして活躍。
 フロイト
 (一八五六年―一九三九年)オーストリアの精神病学者。人間の深層心理の解明のために精神分析の立場をはじめてつくった。著書『夢判断』『精神分析入門』など。
 アドラー
 (一八七〇年―一九三七年)オーストリアの心理学者。フロイトの門下。個人心理学を提唱した。

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