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日蓮大聖人・池田大作

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1 日独両国の共通点  

「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)

前後
10  ペリー提督
 (一七九四年―一八五八年)幕末に初のアメリカ使節をひきいて来航し開港をせまった。翌年、再航し日米和親条約を結んだ。アメリカの東インド艦隊司令長官。
 伊藤博文
 (一八四一年―一九〇九年)日本の初代の首相、貴族院議長等を歴任。日清戦争の講和全権大使。韓国統監もつとめる。
 アルジャン侯
 (一七〇四年―七一年)ダルジャンスとも呼ばれる。フランスの初期の啓蒙思想家の一人。懐疑論的な主張をした。
 オリバー・ゴールドスミス
 (一七二八年―七四年)イギリスの詩人、劇作家。
 モンテスキュー
 (一六八九年―一七五五年)フランスの政治思想家。主著『法の精神』ではじめて三権分立論を主張、のちのアメリカ合衆国憲法の制定、フランス革命にも影響をあたえた。
 エンゲルベルト・ケンペル
 (一六五一年―一七一六年)ドイツの博物学者。長崎出島のオランダ商館医師として二年間滞在。
 モーリッツ・ベニョフスキー男爵
 (一七四六年ころ―八六年)ハンガリーの軍人。ロシア軍との交戦で捕虜となり、カムチャツカに流刑。脱走して一七七一年、奄美大島に漂着。その際、ロシアの南下を警告する〈はんべんごろう〉の書簡を長崎のオランダ商館長に書きおくった。
 マリア・テレジア女帝
 (一七一七年―八〇年)ドイツ女帝、ハンガリー・ボヘミアの女帝、オーストリア大公〈在位いずれも四〇年―八〇年〉。オーストリアの絶対主義強化、内政改革にも力をそそいだ。
 コッツェブー
 (一七六一年―一八一九年)ドイツの劇作家。青年の自由主義的運動を批判したため、学生に暗殺された。
 シーボルト
 (一七九六年―一八六六年)ドイツの医師。出島での診療と、鳴滝塾での教育に力をいれた。一時、国外追放となるが、ふたたび来日し徳川幕府の顧問となった。
 アウグスト・リュードルフ
 生没年不詳。一八五五年、ドイツ船グレタ号で来日し、最初の日独貿易をおこなった。
 ヴィルヘルム・ハイネ
 生没年不詳。ペリーの横浜上陸のスケッチや米海軍カッターによる江戸湾測量図などをえがいた。
 カール・リッター
 (一七七九年―一八五九年)ベルリン大学で比較地理学を教授。フンボルトとともにドイツ近代地理学を新たに創始した。
 フンボルト
 (一七六九年―一八五九年)世界各地を研究旅行。地理学、動物学、鉱物学などで業績を残し、海洋学、気候学もつくった。
 ゲーテ
 (一七四九年―一八三二年)ドイツ最大の詩人、作家。『若きヴェルテルの悩み』などで疾風怒涛時代の代表者に。親交を結んだシラーとともにドイツ古典主義を築き、自然科学の分野でも研究の成果をあげた。
 アウグスト・ピッツマイアー
 (一八〇八年―八七年)オーストリア学士院会員、東洋学者。『万葉集』から歌二百余首をはじめて翻訳し、西洋の万葉研究の先駆者に。
 ヨハン・ヨーゼフ・ホフマン
 (一八〇五年―七八年)シーボルトをとおして日本研究をすすめ、のちにライデン大学で日本講座を担当。ヨーロッパでの日本研究の先駆け。
 ヨハン・シュトラウス
 (一八二五年―九九年)オーストリアの作曲家。“ワルツの父”といわれた父親に対し、“ワルツの王”と呼ばれた。
 ルードルフ・ディットリッヒ
 (一八六一年―一九一九年)ウィーン音楽学校オルガン教授。東京音楽学校のピアノ教師として赴任(一八八九年―九四年)。日本の音楽教育、演奏技術の発展に大きく寄与した。
 アルフレッド・オップラー
 (一八九三年―一九八二年)ナチスの迫害を受けアメリカに亡命し帰化。一九四六年、占領軍の法律スタッフの中心者として来日。GHQ民生局法制司法課課長。日本の司法制度の改革、改正を大きく推進。
 マッカーサー
 (一八八〇年―一九六四年)米陸軍元帥。戦後、日本占領連合国軍最高司令官として対日政策を遂行。朝鮮戦争では国連軍最高司令官。
 総司令部 日本の占領政策を実施するための機関。連合国軍最高司令官総司令部のこと。

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