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日蓮大聖人・池田大作

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10 龍樹と世親  

「私の釈尊観」「私の仏教観」「続・私の仏教観」(池田大作全集第12巻)

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4  倶舎論と唯識論
 松本 ヴァスパンドゥ(世親)の八十年の生涯は、論争と著述と布教の休みない実践の戦いであった、とされています。そこで次に、この「千部の論師」が残した膨大な著作の一端を紹介しつつ、大乗の唯識思想を仏教史および仏法哲学のなかで、どのように位置づけるべきかを考えてみたいと思います。
 野崎 たしかに世親の著作は、後世「千部の論師」といわれるくらいですから、かなりの量にのぼったものと思います。しかし、そのすべてが現存しているわけではありません。主なものを挙げれば、まず小乗のアビダルマ論師の時代に著したものとして、さきほども話題に出ました『倶舎論』の他に、業に関する『成業論』などがあります。大乗論師として著したものでは、瑜伽唯識説を体系化した『唯識二十論』『唯識三十頌』などが有名です。また、マイトレーヤ(弥勤)やアサンガ(無著)に帰せられる著作に対して、それらを敷衍し、展開する意味から、多くの注釈書も書いている。さらに、金剛般若経、法華経、十地経、無量寿経など、主要な大乗教典に対する注釈書を著し、そこで菩薩のあり方、六波羅蜜、十地などに関する解釈を述べ、如来蔵思想の解明にもあたっていますね。
 松本 そのうち、まず世親といえば、なんといっても『倶舎論』ですね。これは、世親が小乗のアビダルマ論師の時代にまとめたものですが、当時のアビダルマ教団の有力な一派である説一切有部の教義を、批判的に修正したものです。したがって、すでにこの時代から世親は、理論のための理論に陥っていた小乗部派の行き方を、釈尊の本来の教説に帰ることによって、乗りこえようとしていたと考えられます。
 池田 そうですね。だいたい当時のアビダルマ仏教というのは、すでに教団の存在そのものが体制化していたと考えられる。とくに、そのなかの代表的な一派である有部の場合は、その主張自体が「有」の偏見に固まってしまっていた。このことは、教団の体制化ばかりではなく、その教義の面においても、生前の釈尊が最も強く批判したバラモン的な行き方に、アビダルマ教団がいつしか陥っていたことを意味しています。
 そうした背景を考慮するならば、世親が『倶舎論』をもって、有部の学説をいちいち批判しつつ、釈尊のダルマ(法)の本来の意味を解明しようとした姿勢は、それなりに評価できますね。すなわち、過去・現在・未来の三世にわたって実体が存続するという、いわゆる有部の「三世実有説」を、ひとまず世親は解体してしまって、真に存在するのは「如々として来る」ところの現在のみであるという立場から、いわゆる七十五法を再構成したわけです。
 こうして『倶舎論』は、小乗有部のスコラ的な臭味を帯びたダルマ(法)の体系を、釈尊が説いた本来の意味でのダルマ(仏法)の論蔵へと変革することとなった。ですから、後に大乗仏教が続々と渡っていった中国や日本においても、この書はインドの仏法の基本概念を理解するための必須の教科書となっていったのでしょう。
 野崎 日本の僧侶が、出家してまず最初に学んだのも、の『倶舎論』ですね。俗に「桃栗三年、柿八年」といわれるのをもじって、「唯識三年、倶舎八年」などといったそうですが、これほど専門的に打ち込んでさえ、世親を征服するのには合計十数年もかかるわけですね。(笑い)
 池田 仏法というのは、教義を学問体系として学ぶのが目的ではない。釈尊も、大衆の一人一人を救済するのが目的であった。すなわち仏は、人間の生き方を説いたけれども、整然とした学問の理論体系を説いたわけではないでしょう。
 しかし仏法を、非仏教者からの批判に応えて守るため、さらに思想的に他の宗教を乗りこえ、リードしていくためには、釈尊の教えを結集し、それを体系的に整理し、教義を戴監なものにすることが要請される。その意味でアビダルマ(法の注釈)研究も必要であった。それが、法をして久しく住せしめることにもつながるわけです。
 そうした意味からすれば、教義を体系化する作業も、だれかが成し遂げなければならなかった。しかし、その際に注意しなければならないのは、仏の教えを結集し、それを体系化するにあたって、あくまで仏と同じ境地に立ち、仏道の実践に励むのでなければ、仏説を祖述することはできないということです。龍樹にしても、世親にしても、そのような実践の裏付けがあったからこそ、後世に大乗の論師として仰がれるような業績を残すことができたのです。
 松本 さて、次に大乗の唯識思想家としての世親の活動に移っていきたいと思います。彼はまず『唯識二十論』において、外界の実在性を否定している。一切の存在は固定的な本性をもたず、空であり、幻のようなものであるにもかかわらず、一般的には実有であるかのように思われている。人間がそのように実有と考えるものも、じつは「識」がっくりだしたものにすぎない、という見方ですね。つまり唯識というのは、大乗の「空」を悟るための方法論であるとされています。
 池田 それは、すでに見てきたように、龍樹が自らの実修によって悟った「空」の世界を胸中に輝かせながら、「有」の偏見にとらわれていたアビダルマ教団を徹底的に破折し、空は直観智によって捉える以外にはないという論を展開した。それを世親は、少しばかり視点をかえて、なぜ人間の精神は外界の存在を「有」として捉えてしまうのか――すなわち、迷いのよってきたる根拠を探究しようとしたともいえますね。その結果、その根拠を「識」に見いだしたわけです。
 野崎 そのことを唯識派は、よく夢の例によって説明したり、魔術師の呪文をたとえとして持ち出したりしますね。魔術師が呪文をかけると、観客には縄が船に見えたりするように、一切の外界の存在もまた「識」によって実在するかのように現れているにすぎない、というわけです。
 池田 龍樹から世親への流れは、そのまま仏法思想の深化を示している。だが、世親はこの段階にとどまらず、さらに一歩ふみこんで『唯識三十頒』を著し、識の根本にある「アーラヤ(阿頼耶=蔵)識」なる概念を導き出したわけです。これは、アビダルマ仏教の段階において、識を眼・耳・鼻・舌・身・意の六識に分けていたのが、大乗にいたって第七識に「末那識」が加わり、さらに八識として「阿頼耶識」を打ち立てたことによって、ほぼ「識」の構造が確立されたことを意味します。
 松本 さらに中国へ大乗仏教が渡ってからは、天台宗や華厳宗が八識に「阿摩羅識」を加えて九識を立てたわけですが、いったい「アーラヤ識」とは、現代的にいって何のことでしょうか。また、それを唯識派が確立したことに、どのような意義があるのか、といった問題ですが……。
 池田 まず「アーラヤ識」というのは、われわれの経験世界を構成する観念の、その根源にある種子をたくわえる蔵という意味ですね。アビダルマ仏教の六識の段階では、その認識論の基盤にまで及ぶと、どうしても観念的にならざるをえなかった。ところが、この八識を導入することによって、過去・現在・未来の三世を通じて変わらざる存在の基底部分が明らかにされたわけです。過去の経験は、観念の種子として「アーラヤ識」にたくわえられ、それ縁に触発されて現在に発芽し、また現在の経験は未来にあらわれるであろう種子として蓄蔵される。すなわち、一切の経験事象は、生命の基底部分にたくわえられた種子が薫発して涌出するものである、というのです。
 野崎 その種子ということですが、デカルトの有名な「炉部屋の思索」を示す断片を、このあいだ読んだのですが、そこで同じように「種子」という言葉を使っていますね。すなわち、われわれの精神のうちには、真理の種子、さらには知識の種子があるというのです。これなどは、世親の「アーラヤ識」の断面に光を当てているようにも思えますが……。
 池田 東洋と西洋の思想的巨人が、ともに同じような地平に到達しようとしていることは、興味ぶかいものがありますね。もちろん、東洋と西洋のあいだでは、思惟方法や生活習慣も大いに異なるでしょう。しかし、人間そのものの永遠の真理にまで達した境地というものは、それらの差異を超越して普遍的であることが、いまの話からもうかがえると思う。
 ところで、二十世紀後半の現代にいたって、世界の科学者たちが生命の神秘を解明しようとする流れに呼応するかのように、とくに西欧の哲学者や深層心理学者たちが、仏法の唯識思想に注目しつつあるのは、この世親の「アーラヤ識」なるものが、生命の流れを解明する有力な手がかりを与えているからでしょう。また、精神障害という人間生命の根源にかかわる心の病と対決する精神科医たちも、病める人の生命の奥に分け入って、現実に「末那識」とか「アーラヤ識」なるものの実在性を確認せざるをえなくなっていると聞く。このことは何を意味するといえば、すでに千数百年も昔のインドにおいて、生命の不可思議な法則を探究した仏教者が、その膨大な論書をもって、現代文明と人類の行く手を照らしているということです。
 ともあれ、これで釈尊に始まるインド仏教の一千年の流れを、ほぼ大筋にそってたどってきたわけだけれども、今後さらに研究が積み重ねられ、仏法の汲めども尽きない豊かな水脈が、より深く掘り下げられることを、私は期待したい。今や世界の心ある人の眼は、現代に酒々として流れる仏法思想に向けられているからです

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