Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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6 大乗興起の要因  

「私の釈尊観」「私の仏教観」「続・私の仏教観」(池田大作全集第12巻)

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3  仏教のルネサンス
 松本 一般に「大乗興起」は、仏教七不思議の一つとされていますが、これでほぼ輪郭が明らかになってきたようです。そこで、これまでみてきた要素に加えて、さらに吟遊詩人や在家菩薩、あるいは在家教団の役割に注目してみたいと思います。
 それは、この時代に原始仏教にはない新しい傾向として、釈尊が前世に菩薩であった時代の修行過程を描いた「ジャータカ」(本生譚)や、仏弟子や敬虔な信者に関する物語である「アヴァダーナ」(譬喩集)が、盛んに作られています。ということは、僧院にともってアビダルマ研究に専念する僧侶とは別に、仏教の物語を一般民衆に語り伝える比丘がいたのではないか、とされているわけです。
 野崎 ちょうどそのころは、バラモン勢力からの影響もあって、部派仏教の教団は経典のサンスクリット(梵語)化を進めていたわけですが、これは釈尊が生前に禁じていたことですね。つまり釈尊は、仏法が特権階級の専有物ではなく、広く一般大衆にも開かれたものであるとして、各地の巡行にあたっても、平易なプラークリット(俗語〉で語りかけた。その釈尊の精神を受け継ごうとする比丘たちが、部派教団の行き方とは別に、各地に散って平易な仏教物語を説いていったことは、十分ありうることだと思います。
 池田 たしかに大乗の諸経典を読むと、『法華経』をはじめとして、民衆にもわかりやすい譬喩や文学的表現が多い。随所にちりばめられている偈頌などは、その典型的な例ですね。
 これは、言語の特質も関係していることだが、インド・アーリア語というのは、声に出して朗吟するのに適している。それは、バラモンにおける「ヴェーダ」などにもうかがわれるし、今日でも民衆のあいだで詩劇として人気のあるといわれる『ラーマーヤナ』などもその一つだ。言葉のもつ音の響きをインド・アーリア系の人びとは、とりわけ大事にしたようだ。それだけに、思想を伝えようとする人も、その思想を快い響きをもつ詩の形におさめていったのでしょう。
 思想が生きいきとした力をもっためには、人びとに楽しみながら受け入れられていくのでなければならない。もちろん、仏法のように深遠な哲学を正しく理解するのは、安易な姿勢でできることではなかろう。しかし、少なくとも民衆の心の中にとけこんでいくためには、そうした民衆が聞くのを楽しみにするような形であらわされなければならない。その意味で、経典にみられる譬喩や、壮大な儀式、そして韻をふんだ偈頌といった形式は、インドの民衆の心を捉えた、実践的な表現であったともいえる。
 残念ながら日本においては、仏教の経典は、わかりやすい民衆の言葉に訳されることさえないままに、漢文の音読で今日まできたわけです。したがって、そこにいったいどんなことが述べられているのかも、ほとんど理解されていない。お経とは、わけのわからないものの代名調のようにさえなってしまっているね。(笑い)
 そこで、これは出版社に企画を提供するような話になるけれども(笑い)、最近の仏教書ブームも、各宗派の教義の解説や経典の訓詰注釈だけでは先が見えている。やはり偉大な文豪が出て、仏教のもつ哲理・理念を、日本人の心に最も合った形に仕上げるようでなくては、まだまだ本物とはいえない。
 さらに、世界の各国に伝えられる場合には、その民族に最も合致した表現形式であらわされなければならないだろう。これは、だいぶさきのことになるが……。
 野崎 話はまた二千年前に戻りますが、当時のインドにおいて、はたして在家の教団が存在したかどうか、ということです。
 池田 それは、どういう形態で存在したかという点は今後の研究にまっとしても、やはり私は、在家教団的なものは存在していたと考えたいね。
 たとえば『維摩経』などを読んでも、ヴィマラキールティ(維摩詰)という人物は、在家信者の理想像として描かれたのではないかという説もあるが、単なる想像力だけでできあがったものではなく、なんらかのモデルになるような卓越した在家の大信者がいたと考えられる。また後世、維摩詰に関する経典を成立させた人びとも、原始教団のサンガ(僧伽)とまではいかなくとも、なんらかの組織を形成していたのではないだろうか。
 また『法華経』を伝えた教団自体も、相当に激しい弾圧をくぐり抜けてきた、在家の菩薩たちの集まりだったのではないか、とされているね。むろん、在家信者だけの集団ではないだろうが、少なくと僧俗一致、諸民族平等の世界観をもった在家菩薩が、その中核的役割を果たしていたであろうことは想像できる。そうでなければ、あれだけの内容を盛った経典が伝持されるわけがない。
 ともあれ大乗興起は、まさに衰滅せんとしていた釈尊の仏法を、仏滅後五百年前後のインドにおいて生きいきと蘇生させ、やがて仏教が中国から日本へと伝えられ、東方世界に流布する重要な布石となった。その意味で、大乗仏教運動の意義はきわめて大きい。彼らの運動は、まさに文明の転機を促すような、仏教のルネサンスであったといっても過言ではないと思う。われわれもまた、そこから多くの教訓を得ることができる。

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