Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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3 釈尊の成道  

「私の釈尊観」「私の仏教観」「続・私の仏教観」(池田大作全集第12巻)

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5  縁起について
 野崎 そのように、生きとし生ける者の生命が三世に連鎖している姿を如実に看取した釈尊は、いよいよ後夜、第三更に入って、世界、人生に関する究極の真理を体得した。これが成道であるわけですが、その真理とは何であるのか。経典では第一更、第二更まではほぼ同じ記述がみられますが、第三更の段になると、さまざまに異なっています。
 ある経典では、十二因縁の理法、また他の文献では四諦の理、さらにそのほかでは、ただ「不老・不病・不死・不憂・不汚なる無上の安穏・安らぎを得た」(前出)という表現になっています。
 それで学者のあいだにも、種々の説が出ておりますが、一般的にいわれているのは縁起の理法ですね。
 池田 そう。理のうえから判ずれば、縁起であったと考えていいのではないでしょうか。縁起とは、わが国ではよく「縁起がいい」とか、どこどとの寺院の縁起とかいうことで、日常用語になっている。この場合の縁起は、由来とか、沿革とか、因縁、運命といった意味に使われているわけだが、今ここで釈尊の悟りとして「縁起の理法」というのは、そういう意味ではない。否、現在、われわれが口にしている縁起という言葉は、本来の意義から変形したものと考えられるわけです。
 「縁起の理法」とは、ひとくちにいえば「縁によって生ずる」ということで、森羅万象――仏法ではこれを、森羅三千とも、諸法とも万法ともいうわけだが――は、ことごとくなにかの機縁によって生じ、滅している。それが万物の、またおよそ存在するものの、本源的な特質といえよう。
 したがってそこには、なんらかの関係性があり、それ独自で独立して存在するというものもなければ、それ自体で、固定的に、不変的に連続していくものもない。どこまでも、万物は、それ自体では独自的には存在しないのであり、なんらかの「他のもの」に依って存在しているし、また、なにかの「縁」に依って生じているのである。だから「他のもの」とか、また、その「機縁」がなければ、万物の存在はありえない。
 関係性の原理ですね。ごく大ざっぱに捉えて「縁起」という考え方のなかには、そういう哲学的な意味があるわけです。
 野崎 「縁起」というのは、よく「相依性」という言葉で表現されていますね。相依性とは、もろもろの存在は、必ず互いに「相依りて成り立つ」ものという諸法の関係性の概念でしょうが……。
 池田 うむ。広くいえば、たしかに相依性という言葉に含まれるが、縁起のなかには、ただ単に、存在するもののヨコの関係性だけを述べたものではない。何々を機縁として生じ滅するということは、タテの時間的な因果の関係で成り立っているということもあらわしていると私はみたい。ただ、ここで注意したいことは、釈尊の明晰な悟達の範疇を、縁起という概念で表現してもけっして間違いではないが、そこからすぐ安易に、その縁起を代表しているのが、十二因縁説であるというのは、飛躍ではないかということです。
 野崎 この十二因縁説というのは釈尊が、自己の悟った縁起の法にもとづき、それをわかりやすく衆生に説くために、人間界にその関係をあてはめて使ったという傾向が強いですね。釈迦の出家の動機は、前にも触れられたように、生老病死から逃れられぬ人間の宿命を打開するためですね。だから、その生老病死をいかに克服するかが問題とならねばない。そして今、それを解く悟りを得た。
 彼が悟ったその微妙の法は、たしかに、人間の生老病死を現実に克服するに足るものである。しかし、その悟りを正確に表現する言葉を失った。なぜならそれは、けっして固定的に説ける内容ではない。「縁起」というものは、非常に微妙な構造をもった、諸法の真理だからです。したがって、それをそのまま難しく述べても、衆生は理解できないであろう。そこで、人間の現実の姿のなかで、わかりやすく説き起こしていとうとした。それが、まず十二因縁なるものであったと考えられますね。
 池田 そう。結局、十二因縁というのは、生老病死のうち、まず「なぜ老死があるか」という問題提起から始まる。そしてそれは、所詮、生があるからだと説く。人間が死ぬのは、耐えがたい恐怖と苦悩があるわけだが、その苦悩は結局、人間が生まれたこと自体に出発点がある。生が死の苦悩の根源である。したがって「老死は生に縁って有る」という、逆説的な説き方になる。そして、ではその生は「何によってあるか」といえば、それは生存という具体的現実においである。この生存とは「有」とも訳されているが、いわんとしているところは、有るという概念が、生を支えているということになるでしょう。
 それからその生存、有は、執着、取という感情からなっており、その執着はつまるところ渇望という盲目的な欲望の故に起こってくる。その盲目的欲望は感受によって起こり、感受は接触つまり触ですね、それによって起こる。そしてその触は感覚作用によって成り立ち、感覚は物と姿つまり名色によってある。この名色は識という思索の働きで起こり、思索は現象があるが故に起こる。ではその現象はというと、結局、迷い、無明に依っている。したがって、物事の苦しみの根本は、せんじつめれば、無明に帰着するというわけだ。これは流転の十二因縁といわれるもので、人間の三界六道を繰り返す、その原因を十二に分けて論じているわけです。ですから、ここで釈尊が説きたかったのは、苦しみの原因は、人間が無明の酔いに沈んでいるところにあり、だから無明を滅すれば、この連鎖が逆になり、老死がなくなり、安心立命の不動の境涯になるということでしょう。還減の十二因縁といわれるゆえんです。
 この十二因縁説は、たしかに縁起の人間界にあてはめた説き方だが、それは結局、人間に無明があるから幸せになれないことを説かんがために使用した便法であったとも受け取れる。だから、釈尊が悟った理が「縁起」にあるとしても、けっしてそれは十二因縁が本質ではないと私は思っている。むしろ、釈尊の明確にみてとった世界は、瞬時として固定的に存在するということがなく、変転やむことのない「生命の法」ではなかったかと考えたいのです。
 大宇宙の姿に冷静に思いを凝らせば、一見、静寂の太虚にみえるなかにも、時々刻々、変化と生成のリズムを刻みつけている。人間一個をとっても同じである。老いては死に、死してはまた生じている。社会も、自然も、ひとときとして静止ということがない。およそ森羅三千の生命というものは、なにかを縁とし、生じ減している。しかも大宇宙の変化、生滅は、自然の生滅変化に影響を与え、それがまた人間生命に密接に関係している。万物は、そうした、時間的にも空間的にも「全体連関」つまり縁起の状態で存在、死滅している。それが諸法の、動かすことのできない道理であり、実相である。私は、釈尊の悟達が志向していた世界は、その、万物が互いに因でもあり果でもあり、縁でもあり、しかも厳然と因果を倶時した生命の不思議な実体についての嘆声であったと確信したいのです。
 野崎 ところが凡夫の悲しさで、人びとはこの如実の真理を知らないで、互いに与えられた生のなかで、自分自身がまるで独自で存在しているかのような錯覚に陥っている。その錯覚が結局、欲望の虜に人間を堕としめ、かつ、その絶対的真理の法たる「生命の法」から人間を遠ざけている。ここに悲劇があり苦悩があり、不幸が渦巻く。これはなんと愚かなことか。悲しいことか。
 所詮、人間が無明の世界を徘徊しているからだ。人間の不幸はその意味で、胸中にある無明である。この冷厳たる事実である「生命の法」に気づかないどころか、それと相反する考え方に立っている人間自身の迷いなのである。迷い、無明は悪である。この胸中にある自己自身の悪と対決する以外に、人倫の道は開けない。
 今「仏陀」「覚者」となった自分は、しかしその悪から完全に解放され、真に「生命の法」のうえに遊戯している。これ以上の法楽があろうか……。
 釈尊の、当時の心境を凡夫の推測で慮れば、こんな状況が浮かんでくるのですが……。(笑い)
 池田 そう。自受法楽、絶対の幸福境涯ですね。もはや何ものにも惑わされることがない。自身の今、体得した法にもとづき、無限に人生を開ききっていける。どんな迫害、困難、逆境も、風の前の塵にすぎない。
 こういう生命、仏界ですね。それが湧現したときに成仏、涅槃、解脱になるわけです。ですから、縁起の法といっても、結局、生命の本質の直観であったといっていいのではないでしょうか。故に、帰するところ、『法華経』で説く生命の永遠、十如実相、一念三千の悟達になっていくわけです。
 ところが、三千諸法の微妙不可思議な構造関係を有する生命の法を、一挙に説いても、とうてい理解されるところではないまた、そういう深遠な哲学を正面から打ち立てるよりも、釈尊はまずこの法を一切衆生にも開かねばならない。というのは、現実に今、人びとは病み苦しんでいるではないか。その人間に、すなわち衆生に巣くう病巣を駆除することこそ先決である。
 だから、釈尊はまず、この急患者たる衆生の前に、あたかも卓越した医者のごとくあらわれ、その病状に照らして、種々の法を説いていったのでしょう。この説法の具体的な事実については後で述べるとして、その説き方と衆生の受け取り方によって、後に八万四千の法蔵になっていった。
 これは、釈尊を理解するうえでたいへん重要な見方です。彼は、もちろん、哲学者としてもその到達した英知は、群を抜いた輝きがありますが、種々の経典を読むと、けっして単なる哲学者ではない。それよりも宗教的実践者として、稀有の存在であったとみられる。いわば優れた「人生の教育者」「人間指導の達人」であった感が深いといっても過言ではない。人生の病を治す名医であったと表現してもいいでしょう。したがって、この釈尊の姿、本質、原点というものをよく捉えないと、彼の悟りが奈辺にあったか、数多くの文献により、判然としなくなることに注意しなければならない。

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