Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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2 釈尊の修行過程  

「私の釈尊観」「私の仏教観」「続・私の仏教観」(池田大作全集第12巻)

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4  苦行の放棄とその意味
 野崎 禅定といい、苦行といい、けっして釈迦は、安易な姿勢で取り組んだのではない。禅定の場合は、当時の禅定家の最高の境涯まで得ながら、なおかつ放棄している。苦行でも、周囲が死んだのではないかと思えるほど、徹底しておこない、最極の線まで探究していった。でも、やはり自身の悟りは得られない。そこで、釈迦は苦行を捨てて、新たな悟達の道に入っていくわけですが、この禅定、苦行を放棄したという意味は、たいへん大きいですね。
 池田 それは、結論的にいって、仏教の、その後の立場を鮮明にする端緒になっているのではないかと私は考える。つまり、仏教の教えは、けっして人びとに極端な実践を強要するものでもなければ、かといって、単なる膜想、観念の哲学でもない。人びとにとって、また一個の人間として、きわめて常識的で、かつ根本的な道理を説く基盤を可能にしたということになる。
 野崎 いわゆる”中道”の立場ですね……。
 池田 そうです。この”中道”ということについては、もっと釈尊の悟りの内容から説かねばならないが、たしか、釈尊が中道について語るときに、一方の苦行主義と、他方の快楽主義の、いずれも偏見であると斥けている個所があるでしょう……。
 野崎 それは『転法輪経』という経典のなかで、釈尊が自身の反省を含めて次のように述べているところです。
 「修行者らよ。出家者が実践してはならない二つの極端がある。その二つとは何であるか? 一つはもろもろの欲望において欲楽に耽ることであって、下劣・野卑で凡愚の行ないであり、高尚ならず、ためにならぬものであり、他の一つはみずから苦しめることであって、苦しみであり、高尚ならず、ためにならぬものである。真理の体現者はこの両極端に近づかないで、中道をさとったのである。それは眼を生じ、平安・超人知・正しい覚り・安らぎ(ニルヴァーナ)に向かうものである」(前出『仏典』)
 池田 その部分は、悟りを得た釈尊が、出家前、修行中の自己の人生を、総括した記録と受け取れるね。すなわち、出家前のきらびやかな王宮生活での快楽的人生、出家後の厳しい苦行の実践を、いずれをも極端として排斥し、自己の悟りの立場を述べている。とともに、これを普遍的にいえば、釈尊の思
 想的、実践的な立場を、見事に言いつくしていると思われる。
 というのは、快楽主義というのも、また苦行主義というのも、まったく対極にありながら、双方共通している点がある。それは物の見方、考え方の二元論的な思考が働いているからです。
 野崎 つまり、精神か肉体か、善か悪か、天国か地獄か、浄土か穢土かという二元的見方ということですね。
 池田 そう。いま精神か肉体かということで問題にすれば、苦行主義というのは、明らかに両者を相対立するものとみ、とくに肉体は不浄、悪とみなし、それを滅尽もしくは苦しめることによって、精神が自由になるという思想がある。
 ジャイナ教などは、その典型的な例で、そのために、肉体を滅ぼし、死んでも、涅槃を得たいというところまでいっている。そこにはまた、善と悪が両極にあって、善が精神、悪が肉体という関係の図式もあてはめられている。だから、そうした思想に忠実であり、殉じようとするならば、悪の根源である肉体を抹殺する以外にない。事実、こういうことから人間がのろわしい肉体をもって生きているかぎり、この現世は不浄であり、死ぬことによって初めて浄土、天国に{付けるという「天上思想」が生まれてくる。
 だいたいにおいて、天国思想であるとか、浄土信仰が生まれてくる背景には、このような精神と肉体、色心の二元論があるようです。キリスト教も、この例にもれない。
 ところが、色心の二元論に立つもののうちで、精神の清浄とか、天上思想といったものを観念の産物にすぎないとして拒否する者は、結局、たしかなものは、肉体と物質のみであり、肉体に感ずることのできる快楽の追求に身を委ねるほかはなくなってしまう。
 そういう意味で、快楽主義と苦行主義とは、一見、まったく相反するようでありながら、物事のニ元的な捉え方において共通しており、ともに、それは、仏教の醒めた眼からみるならば偏見であり、極端ということになるわけです。
 野崎 苦行という考え方の原点をそこまで掘り下げていきますと、たしかに、苦行そのものは、インドに、おいて、最も体系だてて展開されたものであったにせよ、その苦行的考え方のあらわれは、いつの時代においても、みつけることができますね。
 たとえば、現代においては人間の「エゴ」という問題に焦点が当てられてきている。これは、人間のもつエゴにより、いわゆる文明全体が死滅に向かいつつあるという側面がみられます。公害であるとか、あるいは核兵器であるとかいった問題ですね。そこから、人間のエゴをすべて悪とみなす傾向があり、それを否定しなければならないという機運も一部にみられます。
 池田 私は、その問題意識自体は正しい標的を射ていると思うが、人間のもつエゴ自体まで否定するということは、やはり極端であると思う。人間全体の生命のうえからエゴなる実体を位置づけ、これをいかに正しくリードしていくかを探究しなければならないのではないか。それを、エゴはすべて否定し去るという考え方は、一種の苦行主義のあらわれとなってくる。
 たしかに、自己否定という考え方の動機は、多くは純粋で、道を志すものが、一度は自身に与えなければならない課題であると思う。仏教の出家も、自己否定といえなくもない。ただ、それはあるべき自己を透視しての、現在の自己の否定です。人間革命も、常にこの峻厳な自己への挑戦と対決の過程でおこなわれていくものだ。ただ、それが自己否定だけを目的とするようになると、なにも得られず、なにも建設できないままに終わってしまう。
 野崎 結局、さきほどから指摘されているように、苦行というものが、何故極端になるかは、やはり、その根底とする思考の二元論性にあるわけですね。すなわち、生命に対する偏った見方が根本の因になっている。釈迦は、それを自ら苦行する過程で、はっきりと把みとったのでしょう。故に長年月の修
 行を総括して決然と苦行を捨てた。
 そして、そこに仏教という、既成の宗教思想とは、まったく別の宗教が樹立されるレールが敷かれた。その意味で、これは釈迦の人生の転換期のうちで、出家とともに、重大な意味をもっ事柄といえると思われますが……。
 池田 そう。釈尊が悟りを聞いたのは、その苦行を捨ててから、まもなくということになっている。ほぼ一カ月ぐらいですか……。
 野崎 それについては、明確に苦行を捨ててから何日ということは残っていませんが、苦行林を去ってから、いずれにしても、短時日のうちに正覚を得たとされています。
 池田 その時の悟りの様子、内容については、次に詳細に展開するとして、釈尊は、そのセーナーで、一人で苦行に励んでいたのかどうか。
 野崎 セーナーは、さきほどもあったように、バラモン村ともいわれたほど、バラモンが集まり、苦行していたことが指摘されています。おそらく釈迦は、その苦行者の仲間から苦行の方法を教わったと推定されますが、特定の苦行者について実践したということは、叙述されていません。
 ただ、釈迦が、あまりに激烈に苦行するのを見て、釈迦は、この苦行で必ず悟りを得るにちがいないと感心し、期待した五人の比丘がいたという伝説があります。
 池田 後に、釈尊が成道後、初めておこなった説法の対告衆となった五人のととだね……。
 野崎 ええ、この五人の比丘がどういう経過から釈尊に随順するようになったか、これにはいろいろの説があります。
 出家した釈迦の様子を心配した父シュッドーダナから、すぐ派遣されたカピラヴアストゥのバラモンの子弟五人であるというのもあれば、釈迦族とは関係なく、苦行林での釈迦の厳格な修行を見て感動した者であるとか、苦行によって死ぬのではないかと噂が流れ、シュッドーダナが、釈迦の身を保護するために遣わした五人であるとか、いわれています。
 ただ、その五人の比丘の名前から、一人が釈迦族出身であることがわかり、やはり釈迦族と関係の深いバラモンではなかったかという意見があります。
 それで興味ぶかいのは、その五人の比丘が、せっかく釈迦が苦行によって悟りを得ると期待したにもかかわらず、釈迦が苦行を捨てたので「修行者ゴータマは貪るたちで、つとめはげむのを捨てて、贅沢になった」(前出)と失望し、釈迦のもとを立ち去ったという話が残っています。
 その話は、いかに苦行というものが当時の出家修行者のあいだに尊ばれ、また、それを捨てるということが、出家者として、いかに勇気のいることであったかを示しているとも受け取れる。
 しかし、釈迦は、強い自負と信念のもとに、あえて周囲の誹謗をものともせず、苦行を捨てる。そしてただ一人、悠然と大悟の道程に歩み寄ろうとした
 のです。

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