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日蓮大聖人・池田大作

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後記 「池田大作全集」刊行委…  

「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)

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1  この対談は、一九八五年一月から一九八六年四月にわたって、月刊誌『潮』の誌上に連載されたものである。その後、より読みやすくするために、多少の手を加え、潮出版社から上下二巻の単行本として刊行されたものを本全集に収録した。
 古来、「生命とは何か」という人類にとっての根本命題をめぐって、数千年の歴史上に、数多くの哲学的、宗教的生命論が去来した。その上に、十七世紀のヨーロッパにおける「科学革命」を起点として、世界中に伝播された西欧近代科学に基づく科学的生命論が登場した。
 その科学的生命論も今世紀に入って、物理学における量子力学の登場、相対性理論の形成、生物学における遺伝子の解明、脳科学の進歩、深層心理学の発展、生態学への着目等、驚異的な展開をみせている。さらには、それらの科学的成果が、「生命」の分野に適用されるにおよんで、遺伝子工学(バイオテクノロジー)や脳手術、ガン告知、延命治療、脳死、臓器移植、植物状態、体外受精等、人間の「生」と「死」に深刻な影響をおよぼしはじめた。
2  特に、医学、心理学の分野では、この二、三十年前とは、比較にならないほどの重大な変化があらわれており、『医療ルネサンス』とでもいうべき時代を迎えている。『医療ルネサンス』の特質は、まず、生物学、生理学、大脳生理学等、物質科学の長足の進歩によって、生命現象が、遺伝子レベル、細胞レベルから詳細に解明されてきていることである。同時に、深層心理学や心身医学による人間の精神の解明が進み、”心の病”に光がさしこみはじめたことである。そして、これらの医療の進展が、かつて人類が遭遇したことのない、きわめて重要な「倫理的課題」を次々に生み出してきた。例えば、バイオテクノロジーの進歩によって可能になった胎児の遺伝子手術を行うか否か、脳死を認めるべきかどうかといった問題である。
3  『医療ルネサンス』は、二つの方向からの「宗教」への接近をさし示している。一つは、生命観そのものの分野である。つまり、近代科学と西洋医学の基盤となったデカルト流の物質と精神の二元論と、要素還元主義を手法とする機械論的生命観の限界性が明らかになり、それを超えるホリスティックな哲学的、宗教的基盤を希求しはじめている。他は、現代医療が問いかける「倫理的課題」は、大きく医学や科学の範囲を超え、哲学と宗教の分野にふみこま・なければ、その糸口すら見いだせないものばかりである。以上のように、生命観と倫理という二つの側面から、「科学」が「宗教」を求める時代が到来したのである。
4  本書でも、言及されているところであるが、今、物理学、心理学、医学、生態学等のあらゆる分野から、宗教のなかでも、特に東洋の仏教に熱い「まなざし」がそそがれている。
 この対談が行われた一九八〇年代の後半といえば、バイオテクノロジー、脳科学、生態学等がひきおとす『医療ルネサンス』が、一般の人々の「生」と「死」に直接的に関与しはじめたころである。例えば高度の医療技術を駆使した「延命治療」が進むにつれて、機械につながれたままの「生命」が、はたして尊厳か否かが改めて問われはじめた。自分の意志で、「死」のあり方を決めたいとする「自己決定権」の問題が浮上してきた。また、臓器移植や体外受精が行われるにおよんで、医者と患者の信頼性、即ち、医療倫理がますます重要性をおびてきた。日本でも、他の先進諸国と同様に高齢化が進み、老後のあり方、「生命の質」(クオリティ・オブ・ライフ)が問われはじめた。さらに、バイオテクノロジーによる「遺伝子操作」をどのように倫理的にコントロールするかが緊急の課題ともなった。
 このような二十一世紀に向けての時代の激動期、「科学」と「宗教」の新たなる関係が模索される時期に行われた、新進気鋭の医学者と池田名誉会長との「生命」をめぐる対談は、まことに、時宜にかなったものといえるであろう。
5  対談が、「生」「老」「病」「死」をタテ軸に展開しているととからわかるように、仏教は、釈尊の「生老病死」の四苦との対決と、その超克から創始された宗教である。「四苦」の原因として、「煩悩」をとらえ、その基盤に「業」を発見しつつも、それを突破して、「永遠なる宇宙生命」を洞察し、顕在化することに成功した宗教である。生命論の視点からいえば、生命の「内なる宇宙」を照明し、そこに展開しゆく生命の法理、因果の法則を『仏教的生命論』として体系化したのである。
 この『仏教的生命論』を基軸に、釈尊や誓婆は、当時のインド医学を摂取して「仏教医学」を形成しつつ、人々の健康と幸福のために、最大限に活用する方途を指し示したのである。仏教が中国に入ってからは、天台は、「仏教医学」とともに「漢方医学」の知見をも吸収しつつ、それを『摩訶止観』のなかに体系化している。日蓮大聖人の御書では、仏教の知見に照らされた「仏教医学」や、「漢方医学」が随所に活用されている。
6  このように、仏教は、これまで、医学や科学と対立したり、排除しあった歴史は一度もない。かえって、『仏教的生命論』によって、その時代の科学を包摂し、倫理性を与え、人々の幸福へと導いていったのである。今、人類が希求しているのは、西洋科学技術を人間の幸福のために導きゆく哲学的・宗教的生命論である。
 池田名誉会長は、本書で、西洋科学の知見を、仏教の法理で包摂しながら論を進めている。例えば、遺伝子次元では「業」の思想、脳科学や深層心理学には「色心不二論」と「煩悩即菩提論」、生態学や「ガイア仮説」には「依正不二論」、延命治療のあり方や「生」と「死」の問題には「本有の生死」「方便現涅槃」の法理を、――といったように、それぞれの具体的課題に即しながら、『仏教的生命論』を自由自在に駆使し、倫理的、哲学的指針を与えていることは、一読すればあまりにも明瞭であろう。また、それにとどまらず、「一念三千論」、「九識論」といった、『仏教的生命論』の全体観を示す法理をも説き明かし、「永遠なる生命」に根ざした人間の幸福なる生き方、心身ともに健全なる人生をも示されている。
7  池田名誉会長が、仏教に基づいて自在に展開しゆく”生命の智慧”は、仏教医学、中国漢方医学、現代西洋科学をも包摂しながら、人類の存続と繁栄に向けて、倫理的、哲学的方向性を与えゆくものであり、「生命の世紀」を創出しゆく”光源”として、ますます、その輝きを増していくであろう。
   平成五年十月二日

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